第21話 雨の中、語られる神話

 測量を終わらせた夜、ミズキがぽつりと言った。


「明日は……雨が降ります」


 空は澄んでおり、雲一つない。とても翌日雨が降るとは思えない。

 しかし、ミズキは前にも雨が降ると的中させている。もしかしたら、今回も雨が降るかもしれない。


「……そうか、ありがとう」


 そう返し、半信半疑のまま寝床についた。


 翌日――


 朝から灰色の雲が広がり、小雨が静かに降り始めていた。


「……当たったな」


 稲夫は感心しつつ、以前にも同じように言い当てられたことを思い出す。二度も続けば、偶然とは言えない。


「なあミズキ。他に何か、できることってあるのか?」


 期待を込めて問うと、ミズキは視線を落とし、申し訳なさそうに首を振った。


「私は、天気を予測することしか……母はもっと多くのことができたのですが……」


 自分を責めるような口調に、稲夫は首を振って笑った。


「いや、それだけでも十分すごいよ。ありがとう」


ミズキはわずかに微笑み、稲夫も心の中で安堵の息をついた。


 ※※※


 昼下がり。雨脚が強くなり、外での作業はできなくなった。

 稲夫が住居で休んでいると、入り口の戸を開けミズキとヒナタが現れる。


「アキ様から……しばらく預かってほしいと」


「……なるほど」


 稲夫はすぐに察した。雨音が外の雑音を消す中、二人きりになった夫婦の時間――そっとしておくのが礼儀だ。


 しかし、ヒナタはふくれっ面だった。


「……お父さんとお母さん、雨の中で何してるのか、巫女様に聞いたら、笑ってごまかされた」


 どうにも気まずく、そっと視線を横に流す。そこにいるのはタケル――案の定、毛皮を被り寝ていた。


(お前は本当に、こういう時に都合よく寝てるよな……)


 ミズキは少し困った顔をした後、にっこりと笑った。


「それより、稲夫様に神の世界のお話を聞いたほうが面白いですよ」


(いや待て!なんでここで俺にパスするんだ!)


 内心で悲鳴を上げる稲夫。しかも、これは相当なキラーパスだ。

 心の中で叫ぶが、遅い。ヒナタはぱっと目を輝かせた。


「ほんと!?じゃあ聞きたい!」


 稲夫は逃げ場を探しつつ、ゆっくりと横目でタケルを確認――寝ている。

 前回のように都合よく起きて口を挟むことは……。


「……俺も、気になります」


 タケルが目を開けて起き上がる。

 前回とまったく同じ口調、同じ間合い。


(お前わざとやってる!?いや、絶対わざとだろ!!)


 稲夫は額の血管がぴくりとするのを感じながらも、この場を乗り切るため必死に頭を回転させた。

 そして、以前話した神話の続きを思い出す。


(……よし、天岩戸だ)


「じゃあ……天岩戸って話をしようか」


 ミズキとヒナタは姿勢を正す。タケルも腕を組み、静かに聞く構えだ。


「昔々、太陽の神様――天照大神(あまてらすおおみかみ)っていう女神がいてな。ある時、弟の乱暴な行いに怒って、大きな岩の戸の中に隠れちまった」


「弟は何しちゃったの?」


 ヒナタが首をかしげ、膝を抱えたままじっとこちらを見る。


「たしか……小屋に馬を投げ込んだら、中にいた女の神様が下敷きになって死んじゃったんだ」


「馬を投げ入れるとは……とんでもない怪力だ」


 タケルが低く唸り、目を細めて感心する。


「兄様、そこではありません」


 すかさずミズキがたしなめた。声色は穏やかだが、微妙に呆れが混じっているのがわかる。


 俺は咳払いして話を続けた。


「太陽の神が隠れた瞬間、空は闇に閉ざされ、冷たい風が吹き渡った。作物は枯れ、人も神も途方に暮れた」


「そんな……どうすれば」


 ミズキが眉を寄せ、静かに問いかける。


「馬を放り投げられるだけの男がいるのだ。丸太をもって岩屋を粉砕してしまえばいい」


 タケルが当然のように言い放った。


「力技すぎるだろそれは……」


 思わず引き気味に答えた。あまりにも脳筋すぎる……。

 気を取り直して続ける。


「そこで、ある女神が岩戸の前で踊り始めたんだ。鈴を鳴らして、足を踏み鳴らして。そしたら周りの神々も手を叩いて笑い出した」


「えー、なんで笑ってるの?」


 ヒナタがきょとんと首をかしげる。


「天照大神を誘い出す作戦だよ。世界が真っ暗なのに外が楽しそうなのを、不思議に思った天照大神は、戸を少しだけ開けて神に尋ねたんだ」


「それで、どうなったの?」とヒナタが身を乗り出す。


「『貴方様よりも貴い神が現れたので、皆が喜んでいるのです』って答えたんだ。そう言って鏡を見せたら、天照大神はよく見ようと戸をさらに開いた。そこに待ち構えていた力持ちの神が引っ張り出して、世界に光が戻ったってわけだ」


「やはり力ずくで出したのですね」


 タケルが満足げにうなずいた。腕を組み、その表情には妙な確信が宿っている。


「いや、そういう事じゃ……いや、今回はその通りだな……」


 稲夫は額を押さえ、苦笑した。


「お日様が戻ってよかったね!」と、ヒナタはぱっと笑顔を見せた。


 やがて、ミズキが静かに口を開く。


「祈りとは、ただ静かに祈りを捧げるだけではないのですね」


「ああ。神様の家を模した物を担いで練り歩いたり、川に飛び込んだり、色々あるよ」


 ヒナタが目を輝かせて身を乗り出す。


「じゃあ、稲夫様はどんなふうに祈られたい?」


「俺は――普通でいいよ。賑やかなのも嫌いじゃないけど、毎日お祭り騒ぎされたら困るしね」


 口ではそう言いながら、頭の中では少し想像してみる。太鼓の音、笑い声、米酒の香り……悪くない。


「まぁ、稲が無事に収穫できたら、みんなで騒がしくお祝おう」


 その言葉に、ミズキが微笑み、ヒナタがぱっと笑顔を見せ、タケルが黙って頷いた。

 雨音が一層やわらかく響き、住居の中は小さな温もりに包まれた。

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