第7話 「ボビー? それ誰?」
ヒューイの視線が床に落ちた。マッキーはそれを見て、言葉を飲み込んだ。
不穏な空気だけが、じわりと広がっていく。
「なにか、まずいことでもあるのか?」
マッキーが尋ねると、ようやくマーカスが口を開いた。
「上級を見れる教授がいないんだ」
専科棟の情報履修では、必須の初級・中級カリキュラムはしっかり組まれていた。
しかし、上級は前半の100課題の履修だけで『アカデミー(訓練施設)』への正規登録が決まるため、後半の100課題を履修する者はほとんどいないのが現状だった。
「最終100課題はチューターである教授が、進捗と習得技術を見極めながら指導する。だから基本的には教授がつくことになるんだけど」
マーカスがそう説明しながらヒューイに視線を送った。
ヒューイは目を合わせず、ずっと考え込んでいた。マーカスには、彼が悩んでいる理由が分かっているのか、そのまま説明を続けた。
「教授もそんなにいないから、今だと統括主任のニール教授に頼む形になるんだ」
情報課ならまだしも、機械課のマッキーに教授が時間を割くことに同意してくれるかが問題だった。マッキーが尋ねた。
「他にはいないの?」
「あてがないわけじゃないんだけど……」
そう言ってマーカスは再びヒューイを見た。そこには、いつも以上に思い詰め、床を睨みつけるヒューイの姿があった。
誰も何も言わなかった。ただ、ヒューイが答えを出すのを待っているように──
やがてヒューイが重い口を開いた。
「しゃーねぇ。ボビーに頼もうぜ」
その言葉にマーカスの顔が安堵で明るくなった。
「ヒューイ」
「ボビー? それ誰?」
マッキーが尋ねると、マーカスが嬉しそうに答えた。
「アカデミーのOBさ。今は町でネットカフェのオーナーやってるMaster(教授)だよ」
だがその言葉にマッキーは引いた。
「ヤバくね? OBなら部外者だろ?」
それに対し、腹を決めたヒューイが答えた。
「外回り(外勤)だ。育成生徒の溜まり場のネカフェのオーナーで、俺たちの城の
「城?」
「二人でそう呼んてるのさ」
マーカスが明るく笑ったまま答えた。
「とにかく一度、挨拶に行こうぜ」
マーカスとは対照的に、ヒューイは半ば諦めたようにつぶやいた。
◆
翌週の月曜日、ヒューイたちは久しぶりに町へ出向いた。
「ずっと外出してなかったから、なんか新鮮」
陽気なマーカスに比べ、ヒューイは一言も発せず、スタスタと先を歩いた。
小柄なマッキーはその後を早足で追った。
裏路地のこじんまりとした場所に、『ネットカフェ ボビー』の看板が見えた。
「おはよう、ボビー」
ヒューイはそう言ってドアを押し開けた。コロンコロンと、皮ベルが軽い音を鳴らした。
「よぉ、お前ら。久しぶりだな。元気だったか」
カウンターでジャスミン茶を入れていた、少し大柄な男が声をかけた。
「お久しぶりです。ボビー」
マーカスがその後に続いて入店する。最後にマッキーが入る頃には、ヒューイはカウンターの席に座っていた。
「プロジェクトはどうだ?」
ボビーと呼ばれた男はそう言いながら、手慣れた様子でヒューイにジャスミン茶のカップを差し出した。
「なんとかね。それより、彼が話してた、次に上級へ進むことになったメンテ員さ」
ヒューイはカップを受け取りながら、マッキーの方を見て、目線で合図を送った。
マーカスはヒューイの隣に座ったが、マッキーはいつも通り、目を丸くしたまま、ボビーを見て立ち尽くしていた。
ボビーもまた、新参者の品定めをするかのように腕を組み、ジト目でマッキーを見ていた。
それはまるで、
(さすがに機械課野郎が、情報課の連中を差し置いて上級を受けようってんだから、面白くねぇかもな)
ヒューイはそう感じながら目を伏せ、ジャスミン茶をすすった。
「そう言えば、お前らが来ないから、結構溜まってるぜ」
ボビーはそう言いながら二人を見た。
「悪い。見ておくよ」
軽く返事をしてジャスミン茶を飲み干したヒューイは、窓際のPCへ向かった。
薄いカーテンが日差しを遮り、窓際は育成施設の作業室とは打って変わって穏やかだった。
「溜まってるって……?」
マッキーがようやく席に着き、マーカスに尋ねた。
「ここね、ハッカーたちのプラットフォームなんだ」
マーカスは小さな声で短く答えた。
「はぁ?!」
その答えはマッキーを驚かせるには十分だった。
仮にも組織の外部接触拠点のネカフェが、ハッカーの共有の場になってるというのだ。
「ボビーはセキュリティMaster(専門)だから。独立サーバーだし問題ないのさ」
作業をしながらヒューイが説明した。
その時、ボビーがヒューイに声をかけた。
「ヒューイ、彼も加えるのか」
「頼むよボビー」
何かと巻き込まれては来たが、今度はプラットフォーム運営に巻き込まれそうになり、さすがのマッキーも焦っていた。
「ヒューイ。俺、聞いてないぜ」
「ここの仕事は四年続いてるし、アカデミー(育成所)公認だぜ。プロジェクトより優先されてる」
そう答えながらも、その指はまるで水を得た魚のように軽快に跳ねていた。
「手伝ってよ。プロジェクトを早く済ませるためにもさ」
マーカスがそう言うと、ボビーがカウンターから出て来て言った。
「じゃあ上に行って、PCを選ぼうか」
カウンターの横には階段があり、ボビーはそこに立った。
マーカスは移動を済ませ、ヒューイの隣に座った。仕方なくマッキーはボビーに催促され階段を登った。
その階段は屋根裏へ直接通じていた。つき当たりの扉を開けると、そこにはサーバールームと、使われていないPCが、綺麗に並べられていた。
「……」
天窓から惜しみなく注がれる光に浮かび上がる圧巻の光景に、マッキーは言葉を失った。
呼吸を忘たかのように見とれているマッキーを、現実に引き戻したのは、後ろから来たボビーの腕だった。
いきなり左腕を掴まれ、振り返えらされた。
「何……?」
驚くマッキーをよそに、ホビーは右手で胸ぐらをつかみ、壁へと押し付ける。さらにそのままその肘で、マッキーの首根っこを押さえつけた。
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