サイドストーリー②(澪視点)

駅前のベンチに腰掛け、澪はぼんやりとスマホをいじっていた。


ただの時間つぶしのはずだった。何も考えずに、流れるタイムラインを指でなぞる。ただそれだけの、いつもの“暇”なひととき。


──だったはずなのに。


ふと、スクリーンに映った見覚えのある顔に、指が止まった。


《文化祭準備中に差し入れ!》


そう書かれた投稿の写真には、女の子が笑いながら、箸を差し出している。


そして、その箸の先には、無防備に笑みを浮かべた少年の横顔。


──一ノ瀬 晴翔。


昔、隣にいた少年の、今の姿だった。


澪の喉の奥が、きゅっと詰まったような感覚に襲われた。


《花咲 結花》


投稿主の名前は、文化祭のとき、どこかで見かけた女の子。明るくて、はきはきしていて、澪とは正反対の雰囲気を持っていた子。


(……付き合ってるんだ)


じわじわと実感が滲んでくる。


ほんの少し前まで、自分の隣にいたはずの彼が、もう知らない誰かと“恋人”をやっている。その事実が、肌を刺すようにリアルだった。


(……そんな顔、あんたしてたっけ)


晴翔の表情は、柔らかくて、どこか幸せそうで。


あの頃の彼は、感情を表に出すのが苦手で、笑うときもどこかぎこちなかった。


けれど、今は違う。


自然な笑顔で、楽しげな空気の中に、ちゃんと“彼氏”としてそこにいた。


その姿が、なぜか無性に悔しかった。


「……は?」


思わず小さく声が漏れる。


スクショを撮る指が止められなかった。気づいたときには、画像フォルダにその笑顔が保存されていた。


「なにやってんの、あたし……」


自嘲気味に呟いて、スマホを伏せる。


(あたしが、全部手放したくせに)


物足りないって感じて、もっと刺激が欲しいって、勝手に晴翔の隣から離れていったのは自分だった。


そんなとき、ちょうどいいタイミングで現れたのが──紘。


明るくて、優しくて、ちょっとチャラいくらいが心地よかった。


「晴翔とは違って、分かりやすい」なんて、そんな理由で。


でも、今となっては、紘の言葉も笑顔もどこか上滑りしてるように感じる。


目が合っても、心が合ってる気がしない。


(……やっぱり、違った)


一瞬だけ本気になりそうだった。


あのイメチェンした姿も、「晴翔より頼りがいあるかも」なんて錯覚したこともあった。


でも、最近気づいてしまった。


紘が欲しかったのは、「澪」じゃない。


ただ──「ハルに勝った自分」だっただけ。


私は当て馬。


そう思ったら、全部が嘘みたいに感じた。


(……結局、アイツも同じだったんだ)


そして何より、そんな“気づき”よりも早く、自分の中に芽生えていた感情の方が──もっとタチが悪かった。


(晴翔が、他の誰かと笑ってるのが、許せない)


後悔なんかじゃない。


未練って言葉じゃ、足りなかった。


あたしは、勝手に手放して、勝手に人のものになった彼を、今さらまた欲しいと思ってる。


「……ずるいよ、あんたばっか」


幸せそうで、まっすぐで、もうあたしを見ないで。


まるで「正しく生きてきた人間」が報われてるみたいで、悔しい。


なのに、その画面を消すことはできなかった。


スクショしたその写真。


何度削除しようとしても、指が止まる。


(あたしが一番クズだよね)


わかってる。


でも、それでも──


一度手に入れていた“幸せ”が、誰かのものになっていることが、どうしようもなく苦しかった。


そう思った瞬間、あたしはもう、取り返しがつかないほど負けていたのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る