第6話 TSエルフさん、笑う
「……………」
次に婆さんが作ってくれた傷薬や風邪薬、そしてすり鉢とすりこぎを。
ごく簡単な製薬の知識は婆さんから教えてもらった。
それ以外にも、色々なことを。
弓の使い方……も教わったが胸が大きくなって弦が当たるようになってしまったので、それからはボウガンの使い方を教わった。
森の歩き方、調理の仕方、朝早く起きるコツ、仕留めた獲物の解体の仕方、武器の点検の仕方、作物の育て方……本当に色々なことを教わってきた。
この十年間、ほとんど休まる暇も無かったと思う。
それも最近では落ち着いてきたと思ったのだが、まさか家を追い出されるだなんて。
「……………」
結局、あれからいつになっても眠りに落ちることはなかった。
永遠に流れると思った涙もようやく枯れた頃、俺はゆっくりとベッドから起き上がった。
何も聞こえず何も見えない静寂と暗闇の部屋の中で、俺はただ言われた事をしている。
慣れたもので、何も考えることなく体は勝手に動いてくれる。
それはとても楽だった。
でも、同じくらいとても苦しかった。
このまま、体に従っていいのだろうか?
何か、この行動に抗わなくてはならないんじゃないか?
「………ぅぐっ………」
そう思っても臆病な俺は、何もできなかった。
現実は変えられないし、変えるための声を上げることができない。
だから今はただ。
この行動が正しいものであるかのように思いたい。
「……………………………………………………………………………ぁ……」
手が止まる。
手の中にあるものをみる。
「————」
そして俺は何をすべきかを決めた。
―――――――――――――――――
―――――――――――――
―――――――――
「朝だよクソガキ、起きな……。……起きな……起きなッ!」
「あぐっ!?」
いつも通り、体に残る怠さのままベッドを転がり、地面に落下。
のっそりと起き上がる。
眠ぼけ眼をこすりながら、部屋のドアを開け廊下に出る。
一歩一歩前に進んで、縁を掴みながら階段を下りる。
階段を下りた先には、婆さんがパンを焼いていた。
いつも通りだ。
「おはよう」
「……おあよう」
少しだけ早く起きたようで、俺は朝の配膳だけでも手伝うことにする。
食器に昨日のシチューの残りを食器に注いで、焼いたパンを食卓へと持っていく。
「どうしたの?」
「……いや、そうだね……連続で丸々同じメニューだから、変えたほうが良かったかい?」
「シチュー好きだから良いよー。それよりも早く食べようよ、まだ食べてないんでしょ?」
「そうだね……」
婆さんが食卓に座ったのを確認して、一緒に手を合わせる。
「「いただきます」」
昨日とは違って、ゆっくりと食べる。
噛みしめて、味わって食べる。
「そういえば、朝こうやって食べるの久しぶりだね」
「お前が起きてくるのが遅いんだよ、その点今日は良く起きたじゃないか」
「何それ。婆さんが起きるのが早すぎるんだよ、俺が遅いんじゃないの」
スプーンが皿の底に当たり、カチ、と金属音を奏でる。
持ち手に反射する俺の顔は、多分昨日よりかは各段に良い。
俺はそのことに安堵の笑みを浮かべ、シチューを食べ進めながら言う。
「……あのさ、俺、この家を出ていくよ」
「……そうかい」
「うん」
少しの静寂。
婆さんはいつも通りにふん、と不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「何?そんな顔して、婆さんが言ったんだよ?出ていけってさ」
「……さっさと食って、早くどっかへ行っちまいな」
婆さんは俺から目を離し、バクバクと歳に見合わない豪快な食べ方をする。
それに負けじと俺もいつも通りの朝食を食べ進めていく。
「荷づくりはしたのかい?」
「うん」
「じゃあ、持ってきな」
「……分かってるけど、少しは惜しむとか無いの?」
朝食が食べ終わり婆さんの言う通りに俺は部屋に戻って、昨日から準備していた家出道具一式を持ってくる。
婆さんは俺の背嚢を見ると、うげ、嫌そうな声を上げる。
「そんな大荷物抱えていくのかい……!?必要無いと思うが」
「もちろんどれも必要あるものに決まっているじゃないか!」
俺は背嚢を床に置いて、開く。
一番上にある荷物を手に取って婆さんに見せてやる。
「これは最初に狩りをしたときに獲った山ウサギの牙!後これは少しだけしか使わなかった弓!それにそれに……」
「いやいい、しまえしまえ。というか、必要無いだろうそれらは……」
「——全部、俺の思い出だもん!」
婆さんは、目を見開く。
朗々に笑う俺を見て、初めて見るものに驚いたかのように。
「全部、全部……思い出だからっ。大切な……思い出、婆さんと一緒にいた、証明だからっ……だから、全部持っていかなくちゃ……俺、寂しんぼだから……忘れっぽいし……ものぐさだし……」
声が震える。
視界がぼやけてきた。
この先は言ってはいけない。
昨日、そう決めたはずなのに。
「……でもやっぱり、婆さんと一緒にいたいよぉ」
心のままに、婆さんに抱き着く。
昨日あれほど流した涙が、上限など知らないようにまたあふれ出していく。
「……いたいよ、クソガキ」
「ごめん……ぅぅ」
「だから痛いって……少しは婆を労わりな」
それでも俺は婆さんを抱きしめ続ける。
「わかってる、でも、これが最後だから……」
「ああもう、仕方ない子だね……」
木漏れ日が二人を差す。
しばらくの間、すすり声だけが響いていた。
「もう、良いのかい?」
「……ん」
「っち、酷い顔だねぇ、涙と鼻水でぐちゃぐちゃじゃないか……」
「でも、だって……!」
視界が闇に染まった。
それが婆さんが俺を抱きしめたからであったことに気付いたのは柔らかく暖かい感触に包まれてからであった。
「良いかい、あんたはこれから、長く、色々な旅をするんだろう。いつしか友に会って、語らって、悪に立ち向かうときがあるのかもしれない。他の人との明確な差に、打ちひしがれて絶望するかもしれない。でもこれだけは覚えて置きな」
婆さんは俺の頭を自分の胸で押さえつけ、言う。
「あんたは一人じゃない。たとえほとんどの人があんたを否定しようが、誰かがいる。少なくとも私はその一人だよ。ま、私一人だけわかっていてもいささか寂しいがね……」
婆さんは俺の肩を掴んで離し、目線を合わせる。
ハンカチで涙や鼻水を拭きとり、髪を整える。
「じゃあそろそろ、行きな。もう一人で立てるだろう?」
「……うん」
今にもあふれ出しそうな涙を必死にこらえ、俺は婆さんを見る。
背嚢を背負う。
わかっていたことだけど、とても重たい。
「この家も、寂しくなるねぇ」
「……一人になったからって泣かないでよね」
もう、無理な笑いではない。
確かに寂しいけど、それよりも婆さんの――たった一人の家族の願いを叶えよう。
「……じゃあ、行ってきます!」
「待ちな」
婆さんは、俺の首に自分の付けていたネックレスを付ける。
綺麗な青い石だ。
「汝の道程が、善きものでありますように」
その言葉に呼応するように、ネックレスが淡く光った気がする。
「これは?」
「……私がかつて住んでいた国では、旅立つ我が子に贈り物を授けていたらしい。どうか道に迷わないように、怪我をしないように、という願いを込めてね。だから私もそれに倣って、贈り物を授けることにした」
老婆は恥ずかしそうに目線を彷徨わせる。
そして意を決したかのように、薄く笑い俺に目を合わせて言う。
「行ってらっしゃい、【アリューシア】」
「——え、それって」
「笑うんじゃないよ、返品は受け付けないからね」
「……笑わないよ」
不思議と、すんなりと体の裡に入ってきた。
染み入るような茫然の後、俺は玄関を開ける。
そして振り向きざまに。
いっぱいに笑う。
「行ってきます!婆さん!」
そうして俺——アリューシアは旅に出た。
いつしか、終点で色々な土産話をしよう。
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