第一章:仕組まれた断罪と愛ゆえの離婚

 建国記念を祝う、一年で最も大規模な夜会。その日、事件は起こった。

 王城の大階段の上で、アレクシスの隣に立つエレオノーラと、少し離れた場所に立つリリアーナ。リリアーナを支持する貴族たちが、彼女を取り巻いている。


「妃殿下、殿下のお隣は、妃殿下のように冷たい方ではなく、リリアーナ様のような温かい心を持った方こそがふさわしいのではございませんこと?」


 あからさまな侮辱の言葉にも、エレオノーラの表情は変わらない。だが、隣に立つアレクシスの纏う空気が、絶対零度まで下がったのを肌で感じた。彼が何かを言う前に、リリアーナが悲しげに首を振る。


「やめてくださいませ、皆様。妃殿下をお困らせしてはいけませんわ」

 そう言った彼女は、エレオノーラの方へ一歩踏み出したかと思うと、突然甲高い悲鳴を上げた。

「きゃっ!」


 リリアーナの小さな体は、吸い込まれるように階段の下へと転がり落ちていった。

 一瞬の静寂の後、ホールは阿鼻叫喚に包まれる。


「リリアーナ様!」

「誰かが突き飛ばしたぞ!」


 人々の視線が、ただ一人、階段の上に佇むエレオノーラへと突き刺さる。彼女の手は、何もしていないにもかかわらず、まるで誰かを突き飛ばしたかのように、中空に浮いていた。


 駆け寄った貴族に抱き起こされたリリアーナは、か細い声で、涙ながらに訴えた。

「……うっ、妃殿下が……わたくしが殿下とお話ししようとしたら、急に……『あなたのような身分の低い女が、馴れ馴れしく殿下に近づくでない』と……」


 完璧な被害者と、完璧な加害者。

 状況証拠は、あまりにもリリアーナに有利だった。アレクシスの対立派閥の者たちが、ここぞとばかりに声を張り上げる。

「王太子妃による暴挙だ!」

「このような方を国母には戴けぬ! 即刻、離婚なさるべきだ!」


 地鳴りのような非難の声が、エレオノーラを包む。しかし彼女は、ただ静かに、夫であるアレクシスの顔を見つめていた。彼の空色の瞳が、苦悩と怒りで深く揺れている。彼が自分を信じていることは、痛いほど伝わってきた。だが、彼がここで自分を庇えば、対立派閥に格好の口実を与え、最悪の場合は内乱に発展するだろう。


(あなたの未来を、曇らせるわけにはいかない)


 エレオノーラは、ふっと、完璧な悪役令嬢の笑みを唇に浮かべた。

「ええ、そうですわ。わたくしが突き飛ばしましたの。身の程知らずの小娘に、礼儀というものを教えて差し上げたつもりですわ」


 ホールが再び静まり返る。アレクシスが「エレオノーラ!」と、悲痛な声で彼女の名を呼んだ。

「おやめください、殿下。わたくしのような悪女が、あなたの隣にいては、あなたの輝かしい未来を曇らせるだけですわ」

 彼女はアレクシスに向き直り、これ以上ないほど優雅にカーテシーをしてみせた。


「――つきましては、殿下。わたくしとの離婚を、ここに正式に要請いたします」


 その言葉は、死刑宣告よりも重く、冷たく響き渡った。

「……嫌だ」

 アレクシスの唇から、初めて感情のこもった拒絶が漏れた。

「駄目だ。私は、君との離婚など絶対に認めない」

「いいえ、認めていただきます。これは、わたくしの最後の我儘ですもの」


 エレオノーラの紫の瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。それが、自分を、国を、そして何より彼自身を守るための、彼女なりの最後の愛情表現なのだと、アレクシスは悟ってしまった。彼の全身から力が抜け、血を吐くような思いで、彼はか細く、しかしはっきりと答えるしかなかった。


「……わかった」


 その一言で、二人の世界は終わった。

 後日、離婚届は滞りなく受理された。エレオノーラは慰謝料も財産も全てを辞退し、ただ一つ、実家であるヴァイスハイト公爵領の北の端にある、痩せて寂れた辺境の地の統治権だけを要求した。王家からの追放ではなく、自らの意志で去るという最後のプライドだった。


 王都を発つ日、見送りに来たのはアレクシスただ一人だった。

「……これを」

 彼が差し出したのは、小さな包みだった。中には、辺境の厳しい冬を越すための、最高級の毛皮のコートと、そして一輪の、決して枯れることのない魔法の薔薇が入っていた。

「……達者で」

 それだけを言うのが精一杯のアレクシスに、エレオノーラは最後まで『氷の薔薇』を演じきった。

「ごきげんよう、殿下。あなたの未来に、幸多からんことを」


 馬車が動き出す。遠ざかっていく王都と、そこに佇む愛しい人の姿を、エレオノーラは涙で見送ることさえしなかった。ただ、ドレスの下で、自身の指が白くなるほど強く握りしめていた。

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