英雄殺しは英雄の夢を見るのか—改稿版—
コネ
生誕の章
蟻の行軍
瞳を刺した色彩が世界を形造ると云うのならば、瞳を刺す力もない無色の色彩は世界を形造れないのだろうか。
蟻が成す行列の遠く先は瞳の中で曇り、朝焼けの中なのか、はたまたは帷の中で色を失う。瞳の中で曇り、色彩を失った蟻はそうして世界から切り離され、存在を許されず世界の断片から姿を消すとでも。だがどうだろう。視線を落とす位置を変えさえすれば、蟻はどこまでも蟻として確かに世界の一部として、そこに在る。力なき無色な色彩ではなく世界の破片の蟻として。
それであれば形造られた世界とは——観測の先で二律背反性を抱えながら互いを映し合う虚像として、鏡像として、幾つもの姿を同一性の中に押し込んだものではないのか。だとすれば、世界を成す過去、現在、未来といった刻の概念も同じことなのだろう。
この世界〈リードラン〉も同様の原理原則であると云ってよかった。
観測者が夢みた虚像。誰かが夢みた鏡像。
満天の夜空に瞬く星々が見おろした街に瞬く多くの灯火は、宙の鏡像なのだろうし、神が夢みた虚像なのだろう。だが、少なくとも創世記に語られた第四の獣〈人類〉は、そのようには考えたこともない。
その証拠のひとつに、魔導大国フォーセット王国属州であるベルガルキー王国王都クルロスに鎮座した王城は、アウルクス神の大聖堂を背負うと、世界は神のものであると誇示した。それは〈人類〉の視座から来る価値観であり世界の理ではないと云うのにだ。つまり〈人類〉が云うところの神とは、偉業を成した魔導師の業で、その教えであると〈
それが全てだと。
どの時代、どの刻にも世界の王、世界の観測者は〈人類〉の目前にあったと云うのに傲慢な話しである。蟻はいつでも踏み躙られる可能性を孕むことを忘れているのだ。いや、そもそもだ。それを認識することさえ出来ない——と云い換えるべきか。蟻は空を見上げ人を人だと認識できないのだから。
※ ※ ※
ベルガルキー王国王都クルロス。
王城ウィンケンティウス・
そこには大勢の煌びやかな人々が集まり、談笑する様子が広がっている。そもそも談笑なのかと云われれば、腹の探り合いであるのかもしれない。
と、云うのも集まった人々は人類史上初となった〈原初の竜〉討伐、その偉業を成した
※ ※ ※
様々な思惑が澱み溜まった、煌びやかな〈大草原の広間〉に似つかわしくない、無作法な黒ずくめの姿が二つあった。黒が似つかわしくない。そのような事はなく、広間には幾つもの黒はある。
だが、その二つは無作法なのだ。つまり、正装ではないと云う事だ。二つの黒ずくめは広間に幾つもある白亜の大柱の一つに背中を預け思い思いに、やはり無作法に煌びやかな面々の様子を鋭く観察をしていた。
※ ※ ※
「なあ、グラント。なんでルゥを抱いてやらねえんだ」
痩躯に黒く染めた皮鎧。その下の服も黒。ブレーに股引き、脚周りの皮装備も全て黒く染めた黒ずくめの男は、隣に佇む黒外套ですっかり頭から爪先までを覆った男に声をかけた。
痩躯の男は返らない答えに眉を顰め、綺麗に後ろへ流した黒髪を軽く掻くと「お得意のダンマリかよ」と隣の黒外套から視線を外した。「ほれ——見てみろよ。浮ついた魔導師様が、優男に言い寄られて、
「ギャス。ルゥのことを何かの褒美だと云うなら失礼だし、彼女なりに何か理由があるんだと思うよ。それに、僕は竜殺しの称号も〈
声音から、歳をとっている様子はないが、かといって若いというには落ち着いている。難しい歳頃を思わせた。かたや、ギャスと呼ばれた痩躯は下卑た声音と、撫でるような声を使い別けている。随分と荒波に揉まれた様子をうかがわせた。
「判ってるぜ——探し人の情報だろ。ああ、忘れちゃいねえぜ、グラント——お前には
「グラント、お前が欲しい情報は多分あいつから引っ張り出すのが良いだろうな。フリンフロン王国軍元帥シュトルンク・カイデル。まあ堅物だって噂だが任せておけ」ギャスパルは云い終えると、黒外套の肩を気やすく叩いてみせた。
「ギャス。ちょっと待って。向こうの隅の魔導師たちは?」
グラントと呼ばれた男——アッシュ・グラントは、さっさと行こうとするギャスパルの片腕を慌てて引いて留めると、別の人の塊を目で指した。そこに集まった人々は、煌びやかな光景に穿たれた闇の澱みなのではないかと疑うほどの異様さを放っている。
「あれはフォーセット王国、メルクルス神派枢機卿エウスタキウスと、その取り巻き——ああ、王都オッターの枢機卿団だ——いつ見ても気味の悪い奴らだぜ。あいつらの興味の殆どは命の深淵に向けられているって云うが……ありゃあ、人の身体を切り刻みたいだけの変態の集まりだ。万が一、お前の探し人を知ってたとしたら、そりゃあ、もう切り刻まれたあとだろうな。それか豚の胃袋の中か糞になってるかだ」
アッシュが目で指した集団はギャスパルの云う通り——二名を除き——漆黒のローブで身を固め、皆一様にフードで顔を隠した不気味な集団であった。
枢機卿エウスタキウスは頬のこけた青白い顔を露わにし、頭に乗せられた、燻んだ赤色に染められた月桂冠のおかげで不気味さに拍車をかている。その隣には、純白の外套を纏った魔導師——やはりフードで顔を隠している——が佇み両の五指をカサカサと擦り合わせた。
「豚の胃の中じゃ、困っちゃうな——再生できないかも」アッシュは、ギャスパルが云った不気味さよりも、そちらの方が気になるらしい。
「グラント。お前、冗談って判るか?」ギャスパルは、それに呆れ顔で返した。
「それなりには……」
「じゃあ、ここは笑うところだぜ——アランからは女の扱いしか学ぶことがなかったか。いやぁ、お前にとっちゃあ——まあ良いか」ギャスパルはアッシュの肩を叩きながら意味深に吐き捨てると、そそくさとその場を立ち去ってしまった。
アッシュは、それに黙し肩を竦め、改めて周囲を見渡した。
※ ※ ※
アッシュが眺めた大広間に集められた絢爛な顔ぶれ。
それは、ベルガルキー王国の内乱終結が産んだ副産物のために集められた利害関係者。副産物とは創世記に語られた古竜・四翼のオルゴロスの討伐という偉業と、持ち帰られた〈夢幻の心臓〉——竜の心臓そのもの。
とりわけ四翼のものは生命の根源を解き明かすとされる。
故に、これはベルガルキー王国、もしくは王国を併呑した魔導大国フォーセットだけの所有物ではないと〈世界会議〉は取り決め、管理法を定めるとした。
〈世界会議〉とはリードランにひしめく五つの国の対立関係とは無縁の、世界の秩序を保つことを目的とした機関である。〈世界会議〉の決定事項は、如何なる場合においても優先される。
これは〈リードラン〉中央に位置するフリンフロン王国建国の王ジョージ・シルバが起案し結成された機関だと伝えられている。制定当時は戦国時代に終止符を打った快挙だと評された。もっとも、その結果、大戦は勃発しないものの各国の争いごとは、政争や小規模な代理戦争へ姿を変え、
今夜は、その会議前の前夜祭とも云うべき祝賀会が催される。
お淑やかな争いごとの前夜祭だ。
祝賀会ではオルゴロス討伐を成し遂げ心臓を持ち帰った英雄を讃え、〈白の吟遊詩人〉が彼らの英雄譚を披露をする。その際にはクルロス王直々に〈
〈
〈宵闇〉の賛名が与えられるのは、大広間のど真ん中で貴族女に囲まれた黒礼服の剣術士アラン・フォスター。黒髪黒瞳で精悍な顔立ちの男で黒鋼の両手剣の使い手だ。嘗ては傭兵団を率い戦場を巡ると名声を欲しいままにした戦士だ。
若き日には随分と危ない橋を渡ったと噂されたアランであったが、これまでの功績もあり、それを蔑視するものは数少ない。表向きは気丈夫な大将肌の戦士であると見られている。
〈光輝〉の賛名を与えられるのは、二人の女従者を従えアランの様子を伺う女剣術士カミーユ・グスタフだ。
先ほどから頭の上で艶やかにまとめられたブロンドの後ろを触ったり前髪を気にしたりをしている。どうやらアランの挙動が気になっている様子だ。
そんな様子のカミーユ——豪奢な真紅のドレスを纏った——の周囲には、彼女とお近づきになろうと画策する若い貴族たちが距離を置き、声をかける機会を伺っている。血気盛んな若者が彼女に突撃できない理由は、彼女が類稀なる剣術士であるという事実を、お淑やかさの皮で覆い隠していることにある。間違って、逆鱗にでも触れようものなら首しを締め上げられかねない。だが、グスタフ族の中でも名家の長女であるという事実もあり、若き貴族たちはカミーユへ声をかけるか、迷いに迷っていると云う所だろう。
〈闘いの輝き〉の賛名を与えられるのは、鮮やかな蒼とそれを縁取る白が映えるドレスを着込んだ小柄な女、ルゥ・ルーシーだ。
四英雄の中で
ルゥはできるだけ目立たないよう、大広間に何本もある大柱の影に身を潜めていたようだが、とうとうブレイナット公国・マグナス魔術師学院の学徒たちの目に留ると質問攻めにあっているようだ。先ほどから、何本か向こうの大柱に背を預けるアッシュ・グラントへ視線を投げ助けを求めているようだったが、アッシュは一向に取り合う様子を見せなかった。
それにルゥは、頭の後ろで綺麗に結ったブロンドを忙しなく触りしどろもどろとすると胸元に目を落とした。そこには、ルゥの鮮やかな装いとは正反対な質素で鈍く輝く首飾り見えた。
〈宝運び〉の賛名を与えられるのは、全身黒ずくめの痩躯。黒髪を後ろへ流した鷲鼻の男、ギャスパル・ランドウォーカーだ。
フロン人だ。つまり、フリンフロン王国出身。そして、大貿易都市セントバの
もっとも〈世界会議〉の記録上、盗賊を英雄扱いにはできない。だから彼は〈短剣使い〉と云う、どうにもあやふやな生業で記録された。ギャスパルは、それを承諾する条件に、この煌びやかな会への参加に礼服で出席することを拒んだ。どのみち礼服で出席する気は更々なかったが、大義名分ができたと云うわけだ。それもあってか、あてがわれた侍女が用意した濃紺の礼服に唾を吐きかけ「近寄るな」と、侍女たちを遠ざけたのだそうだ。
そんなギャスパルは、今はフリンフロン王国軍元帥の傍で何やら親しげに会話を弾ませているようだ。ギャスパルの話術は人の命を容易く奪うし、一国の情勢を傾けるような言質を引っ張り出すことさえあると云う。だが、それも昔の話——ではあるのだが、どうやら堅物であると噂されるカイデル元帥の破顔を見れば、その話術は健在だと判る。
はたして、この四名が新たな英雄譚で〈四英雄〉として謳われることとなる。
※ ※ ※
そうなのだ——オルゴロス討伐を成した英雄の一人であるアッシュ・グラントは〈賛名〉を与えられず英雄譚にアッシュの姿を見出すことはない。これは、アッシュ・グラントが〈外環の狩人〉と呼ばれる存在であることに由縁した。
〈外環の狩人〉は人よりも遥かに長命であり——老いて死すのかも定かではない——卓越した剣技に魔術、魔導を駆使する。そして彼らの多くは国政に関わらず魑魅魍魎を狩ることを生業とし、都市部で血盟と呼ばれる単位で拠点を持つのが通例だ。大規模な血盟ともなれば、南のフォルダール連邦の小国を買い取れるほどの財力を有するが、そうすることはないし多くの場合は拠点を置く国を中心に狩りへ勤しみ財を溜め込む。
そう云ったことも含め長命の者は人の営みの外にあるとされ〈外環〉、つまりの理の外にある人種だと認識され〈外環の狩人〉と呼ばれるようになった。故にこの——竜殺しの——栄光は人のものであり、感謝はすれど〈賛名〉や称号は与えられないと云うわけだ。
だが〈外環の狩人〉であるアッシュ・グラントには相応の報奨金が提示されている。しかし、アッシュはそれを辞退すると、報奨金は
ギャスパルが、さきにアッシュへ云った褒美とは、この膨大な報奨金のことだ。
談笑らしき腹の探り合いの刻は、ほどなくすると〈大草原の広間〉へ姿を現した、深緑のサーコートを纏った騎士らしき男の呼びかけで終わりを告げた。
〈謁見の間〉が整ったようだ。
※ ※ ※
「草原の氏族も大変だなこりゃ——さっきの騎士もどきが、さしずめ紋章官っていったところなのかねえ」ギャスパルは頭の後ろで両手を組むと、ぼやくように云った。この大盗賊が大変だと云ったのは、どこまでも背の高い通路の両側に突き出された旗を見てのことだった。
アッシュは、旗を数えるまでもなく「草原の氏族は大きく二十四氏族。小規模なものを合わせれば……数えるのも面倒なほどだからね」と、肩を竦ませた。
「カミーユの氏族——ああ、グスタフか。あれは大氏族なんだろ?」ギャスパルは、ずらずらと歩く行列——ギャスパルはその行列を蟻の行軍か? と嘲笑ったが——の先頭を歩くカミーユ・グスタフを、ぼんやりと眺めながら云った。「だってのに、あんなに粗忽だから驚きだよな。みんな知ってんのか、あの女の粗忽さを」
「ギャス——居心地が悪いのは判るけれど——草原の王族が氏族を束ねる大変さとカミーユの粗忽さは関係ないし、そもそも彼女は粗忽なんじゃなくて、気位が高い。ってだけだよ」アッシュはギャスパルに返すと、周囲を見渡した。
紋章官に呼ばれ大広間から、思い思いにお偉方が通路を行く姿は、厳かで気品を感じる。
だが、アッシュとギャスパルに限っては正装でもなければ、ギャスパルは装備のあちこちを緩めているものだから、いくら革製の装備といえどもガシャガシャと音をたて場違いな空気を醸し出している。だからと断定していいだろう。周囲からの視線は、随分と冷ややかだったし、アッシュに向けられたそれは、忌諱の念そのものだ。〈外環の狩人〉が、国政の場に姿を現すことは、極めて異例だと云って良い。
「そうか? 俺はアイツに股座を蹴り上げられそうになったが、それがお前の云う気位ってヤツなのか?」ギャスパルはそう云うと、顔をくしゃくしゃにし股座へ両手をあてると下卑た笑い声を挙げた。
「その辺でやめておこう。もう〈謁見の間〉だ」
アッシュは眉間へ困った風に皺を寄せた。
周囲の冷ややかな視線——もはや嫌悪の視線だったかも知れない——が猛烈に集まったことを確認すると、ギャスパルの両手を軽く叩き下品な格好を正した。すると、紋章官が四英雄と〈世界会議〉の到着を高らかに宣誓する声を耳にした。アッシュはそれを合図に黒外套のフードを深々と被り直した。「オルゴロスの心臓がこのまま、素直に〈人類〉の手に渡る——なんてことはないだろうし……僕の
すると、いよいよ〈謁見の間〉の両扉が厳かな音と共に開かれた。
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