第10.5話 母性爆発

 私は今年で29歳になるまだ28歳の女、リサマール。

 冒険者ギルドの受付という華々しい職業をしているにも関わらず、なぜか結婚できていない女だ。顔は悪くないし、スタイルだっていいのになぜか結婚ができていない。

 なぜ?

 綺麗にしている部屋の鏡で身なりを確認し、出勤を始める。

 今まで出会った男達には、「可愛げがない」「愛嬌がない」「気が強い」と言われ逃げられてきた。どうしてこうなってしまったのか、至って普通に育った可愛げのある女だったはず。私の人生設計では今頃、イケメンで強いAかSランク冒険者と結婚していて、子供が二人いるはず。男ならばサム、女ならばリマ。一応三人目以降の子供の名前まで全部考えていた。それに子供を寝かしつけるための子守唄だって5曲は覚えたし、離乳食の作り方、オムツの替え方まで全て勉強済みだ。だけど、日々冒険者達から受ける高圧的な態度、女だからと下世話な事を言ってくる輩も非常に多く、そんな環境で仕事をしていたら嫌でも気が強くなってしまった。結婚できないのは今の環境に適応した結果でしかない。だから仕方ないし、これから良い男を見つければいいだけの話。

 え? もう28歳の女に良い男は無理だって? ふふっ。ぶん殴るわよ?

 そんな私は今日も冒険者ギルドで働く。退屈はしない、色々な人達と出会えるし、仲良くもなる。もちろん、悲しい別れはいつも唐突にやってくるけれど。

 見なれたギルド内ロビーの景色。依頼が貼ってある依頼板の前には大量の冒険者達が集まっている。そこに注目をしていたから、目の前にいる人に気づく事ができなかった。

「あ、あ、あの……」

 声をかけられて初めて気づいた。あまりにも近くにいたものだからつい驚いてしまった。

「っ! はい。どうしましたか?」

 突如目の前に現れた人は前髪が異常に長く、目が隠れていた。身長は低い、性別は声的に女性ではあるが、顔がよく見えない事と全身が隠れるローブを着ている事から断言する事はできない。もちろん初めて見る人だった。

 いや、髪の毛の割れ目から綺麗で大きな右目が一瞬見えた。女性かな。

「ぼ、冒険者に、な、なりたいです……」

 凄くおどおどしている。まるで喋る事が初めてのような、そんな訳がないのに、そういう印象を受ける程におどおどしていた。

 冒険者になりたい、つまり冒険者登録をしに来たという事か。いつもならばこういう初めての顔には新人潰しの連中が動くのだが、そもそも気づいていない様子だった。彼らの役目はまさしくこういう冒険者に向いていない人を選別するためにあるというのに、今回は全く機能しなかったようだ。

 非常に迷う。ここでこの人を冒険者にしたら、きっと死ぬだろう。というより、十中八九死んでしまう。能力値のテストはあると言っても、大事なのはそこではない。魔物と殺し合う冒険者は弱くても強くても、度胸ある事が大前提だから。

「非常に申し上げにくいのですが、冒険者とは魔物と戦う職業です。覚悟はできていますか?」

 正確に言えば魔物と戦わない選択は取れる。けれど、ならば冒険者になる必要はあまりないとも言えてしまう。

「か、覚悟? わ、私は……やっぱり、やめておきます……」

 微かに見える眼が様々な方向に動いている。

 挙句そう言って彼女は、受付を後にしようと背中を見せた。

 非情かもしれないが死ぬよりはマシだ。

 と、思ったら帰ってきた。体を少し丸めてコソコソと。

「な、なんちゃって」

「はっ?」

 急に帰ってきてそんな事を言われてしまったので、ついつい素の態度が出てしまった。

「ひぃっ」

 彼女は顔を引き攣らせた。それほど怖がらなくても良いというのに。

「申し訳ございません。怒っている訳ではないですよ」

「よ、良かったです。り、リサマールさんは、怒らせたら怖いので……」

 なぜ私の名前を知っている? いや、胸につけている名札から確認する事は可能だ。そんなことよりも、私の性格についても知っているようだった。断言に近い言い方だ。

「ふふっ。そんな事ありませんよ、私はギルドの女神です」

 満面の笑み。初対面で私をよく知らないはずの人にはこれが一番だ。

 第一印象は非常に大事よ。

「は、はは……ははは……」

 引き攣っているのか、本当に笑っているのかよく分からない口角の上げ方をして彼女は笑った。どっちよ。まるで私が痛い人みたいじゃない。というか、どっちにしろ笑いどころではないのだけど。

 冗談だと思って笑ったのかしら?

「ご用件は、冒険者登録でよろしいですか?」

「は、はい。お、お願いします……」

 どうやら止まらないようね。こういう時、受付に冒険者登録を拒否する権利があるならばどれだけ楽だったか。立場上、今の私はこの用件を受け入れる事しかできない。

「かしこまりました。それでは鑑定水晶の部屋で能力値のテストを行いますのでついてきてください」

 彼女はやはりおどおどしながらも、返事をして後をついてきた。

 この時私は決めている事がある。それは、相手をよく知るために必ず一つ質問をする事だ。何も知らず、私が冒険者にさせた人達が死んで行くというのは、どこか逃げているように思ってしまう。

 ギルドの受付として働くようになって、いくつかのルールを自分の中に作った。そのうちの一つ。

「どうして冒険者になろうと思ったのですか?」

 無難な質問。だけどどこまでも純粋な疑問。

「ず、ずっと、憧れてて……それで……」

 よくある返答だった。冒険者に対しての憧れ。決して少なくない志望動機。そして、これが最も多い死亡動機。憧れは盲目となり、周りを見えなくさせる。何千人、下手したら万人近い冒険者の人達を見てきたけど、こういう人は8割死んでいく。

 だけどもちろん、私にこれを止める権利はない。

「憧れ、ですか」

「た、ただ。それだけじゃないです……ひ、人と関わるのが苦手で……冒険者になれば変われるかなって……思いました……」

 確かにどう見ても人見知りね。彼女はそれを克服しようと冒険者になりに来たという事か。少し特殊な考え方ではあるけども、決して悪い考え方ではないわね。環境が変われば人は変われるかもしれない。

「とても勇気のある決断だと思います。素晴らしいことですよ」

「えへへ……。だ、だけど、どうやったらいいのか、よく分からなくて……。さ、さっきは、リサマールさんを、笑わせようとして……その……」

 さっきは? ああ、「なんちゃって」という奴だろうか。

 彼女は人との距離感というものがあまり分かっていないのかもしれない。いきなり「なんちゃって」とは使わない。少なくとも、親しくなって一か月後だ。

「そうだったのですね。人と関わるのが苦手。ですがそれは、自然に解決——

 言いかけて口を閉じた。この返答は逃げている気がした。だから途中で止めた。

 普段ならば私は適当にこういう返答をするだろう。でもなぜか、彼女の姿勢を見て、彼女が自分の弱さを認めて克服しようとする姿を見て、この返答はダメだと思ってしまった。

 彼女は今までの人生でどれだけそれに悩まされてきたのか。こうやって冒険者になって自分を変えようと行動に移すくらいには悩んできたのだ。

「そ、そうですかね? そ、それなら……うれしい、です……」

 でも彼女は嬉しそうに、さっきの引き攣った笑顔とは違う、自然で小さな笑みをこぼしながら、この返答を鵜呑みにした。

 後悔した。何も考えず、適当に口を開いてしまった事、そしてそれを純粋に受け取った彼女の純粋さに、心が痛くなった。私から質問したというのだから尚更だ。

 せめて能力値テストで不合格になって欲しいと私は最低な事を考えた。だって、合格したら私の言葉を鵜呑みにして苦しむ彼女を見たくないから。

「今から鑑定水晶で能力値を測るのですが、武器や防具と言った装備品は身に着けておりますか?」

「あ、装備品とかが、鑑定に影響を及ぼすんですよね……」

 彼女は今までのイメージが崩壊するくらい自然に言葉を連ねた。

「はい、そうです。大丈夫ですかね?」

「あ、はい。ぶ、武器も、防具も……装備してないです……」

 と思ったらまた元の喋り方に戻ったようだ。

 小さな手のひらを開いて控えめにこちらへと向けてきた。何ももっていないアピールだろうか? 不思議な子だ。

「かしこまりました。それでは中へどうぞ」

 鑑定水晶の部屋の扉を開く。中には水晶とそれを置く台のみ。

「こ、これが鑑定水晶……!」

 何千回と来た無機質で面白くない部屋。特殊な結界魔法が施されているから当然無駄なものは置いていない。

 その真ん中にある物体に、彼女は目を輝かせた。

「す、すごいです! き、きれいっ!」

 驚くほど感情が昂っていた。

 鑑定水晶。ダンジョンの報酬として生み出されたアイテム。

 世界には現状十個と存在しない、誰もが超貴重だと知っているアイテム。そんなアイテムに感動するのは確かに分かるが、まさかここまでだろうか。触れてしまうのではないか、そんな勢いだった。

「触らないように、気を付けて下さいね」

「さ、触れませんよ! こ、こんな綺麗なものに……」

 それはそうか。金貨何枚あっても買う事もできない代物、まさかこれに触れようとする者など存在するはずがない。

「改めましてリサマールと言います。あなたの名前をお伺いしてもいいですか?」

「は、はい。ファマ、です」

「ファマさん。それでは、手をかざしてください。表示される項目は体力、魔力、攻撃力、防御力、俊敏力、器用の6項目です。これらから算出される戦闘力が50以上の場合、合格となります」

 彼女はわくわくしながら両手をかざした。見えないはずの目が輝いて見えた。それほど全身からワクワク感が溢れ出ていた。

 体力:10/10 魔力:210/210 攻撃力:1 防御力:3(+2) 俊敏力:2 器用:105

 戦闘力:180

「っ! 嘘……」

 戦闘力180? 魔力が210ですって? これはエルフや魔人族がもつ数値よ? 戦闘力ならばBランク以上の冒険者に該当する。戦闘経験がなさそうな子が180……?

 それに、戦闘力がこれほど高くて攻撃力や防御力が低いという事は、鑑定水晶に表示されないスキルや魔法が影響を及ぼしている。つまり、保有しているスキルや魔法が凄く強いか、数が多い事になる。

「や、やった。50、超えてます……!」

「お、おめでとうございます。これほど高い数値は滅多にみませんよ、素晴らしいです」

「えへへ……。あ、ありがとうございます」

 相当嬉しいのか彼女の口角が上がりっぱなしだ。それでも、恥ずかしいのか照れているのか、顔を下に傾けていた。

 ただこれで、この子は冒険者になってしまう。でもこの数値ならば戦えるのでは、と思うかもしれないが魔物を前にして恐れない者は一人としていない。

 私は以前Sランクパーティが討伐したという、Sランクの魔物の解体現場に興味本位で顔を出して後悔した事がある。蜘蛛のような見た目をした化け物、眼が四つついた頭部は人間の身長なんかより遥かに大きく、足は無数に生え、全長7メートル以上はあったのではないかという魔物だ。あれは死体だった、でもその死体でさえもとんでもない程の恐怖を覚えた。そして私はその場で嘔吐してしまった。

 これをきっかけにその魔物を生きている状態で倒したSランク冒険者達や、日々魔物と戦っている冒険者達への尊敬がさらに高まった。同時にSランク冒険者達が犠牲を払って討伐した原初の魔人の恐ろしさを知り、さらには原初の魔人10名が束になっても勝てないと言われているほどの魔王が最近誕生したという話も聞いた。

 末恐ろしい話だ。どうしろっていうんだ、私はまだ結婚もしていないのに。せめて結婚するまで待って欲しい。

 話が逸れてしまったけど、ファマさんは防御力や体力、俊敏力が高い訳じゃない以上、油断や焦り、恐怖で直ぐに死んでしまう。結局ファマさんが死ぬ可能性は十分に高い。だから、意地悪だけど覚悟を問おう。

「今すぐに冒険者登録は可能ですが、本当に宜しいですね? 恐ろしい魔物と殺し合いをすることになるんです。覚悟はありますか?」

 ファマさんの年齢は分からないけどだいぶ若い。20歳未満なのは間違いないだろう、まだまだ子供のこの子が早々に死ぬのは、やっぱり私が納得できない。だから問う。覚悟を。

「は、はい! できてます!」

 彼女の返答には何の憂いも恐れもなかった。ずっと怖そうにしていたのに、この時だけ真っすぐに目を見て言われてしまってはこっちが気圧される。

 どうして……。怖くないの? こんなに人と話すのも恐れている子が、魔物に恐れないなんてあり得ない。

 それとも若いがゆえの無知だというの?

 だとしたらどうやって止めればいいのよ……。

「どうして……? 怖くないの?」

 この言葉はギルドの受付としてではなく、リサマールとしての言葉になってしまってる。ダメ。こんな事言ってはいけない。でも、止められるなら止めたい。

「こ、怖いです……。魔物の図鑑とか、凄く好きで……でも、た、戦うのは、怖いと思います……」

 真っすぐにこちらを見ない彼女を見ると、私まで不安になってしまう。

「じゃあ、どうして……?」

「ぼ、冒険者が凄く、好きで……。魔物とか、薬草とか、冒険者の人達とか、す、凄く調べたりするんです……。18歳になって、生きていくには、働かないといけない……だ、だから、冒険者になれば、戦うのが怖いから、い、一緒に戦ってくれる人を、見つける必要があるって、思ったんです……。そうすれば、私の、人見知りも、治るかなと、思って……」

 もじもじと体を揺らしながら彼女は言った。

「……」

「で、でも、私もたくさん、たくさん、魔法を覚えたんですっ……。足を引っ張らないように……。な、仲間になってくれる、人達のために、です」

 手をグッと握り、胸の前で小さく掲げた彼女は一生懸命に言った。

 彼女は最初から一人で戦おうとはしていなかったらしい。好きな冒険者になり、仲間が必要な環境を作りだして人見知りを改善させないといけないようにする。いわば一石二鳥のような、そういう考え方のようだ。

 これほど健気に、戦闘力が180になるほどに、努力を重ねてきた彼女を前に、今ここで私がやるべき事は覚悟を問う事じゃない。きっと、彼女はずっと覚悟して努力を続けてきたんだ。低い能力値でこれほど高い戦闘力を出すには、どれだけの日々を犠牲にして魔法の習得が必要だというの?

 ならば、私がやるべきことは彼女を全力で見守る事ではないか。

 そう思った時だ。急に彼女が愛おしく見えてきたのだ。その健気さと一生懸命さに。

 母性本能の爆発が起きた。行き場を無くした私の母性本能はファマに向き始めた。いつもしている家庭の想像、お腹を痛めて苦労して産んだ赤ちゃん、夜泣きが止まらず手のかかる幼児、反抗的になる3,4歳、それでも徐々に成長していく私の子供……それにぴったりとファマがはまった。私の娘……? この子はもしかして、私の娘だというの?

 この子を全力で応援し、全力で支える。それが、私のやるべき事よリサマール。

「ファマ……さん。あなたの覚悟、確かに理解しました。冒険者カードを発行するので、ロビーでお待ちください」

「は、はいっ!」

 満面に笑ったファマ。ついつい抱きしめたくなるのを抑えてギルドの受付として仕事を全うした。

 大変だったのはここからだった。

 受付として仕事をしている以上、冒険者間の交流というのは手に取るようにわかる。ファマがどういう動きをしているのかも私は入念に見ていた。

 ロビーでうろうろしながら、どうにかして仲間を見つけようと、話しかけようとするファマ。それでも上手く話しかける事ができないのか、最初の3日は何も成果を得られなかったようだ。私が我慢の限界を迎えそうになる、それでも言い聞かせた。きっと、母親というのは娘が苦しい時に助けてあげる存在ではなくて、娘のそばで娘と同じくらい苦しんで見守る存在だと思うから。

 そして4日目、危惧していた事が起こってしまった。

「ああ? 仲間になりてーのか?」

 Dランク冒険者のガルダを筆頭にしたパーティ「爆発竜」の周りをうろうろしていたファマが目にとまったらしい。

「あ、あ、はい……」

「へっ。ならよ、銀貨5枚もってきなぁ。そしたら仲間にしてやるよ」

 「え、え……?」と戸惑い始めたファマ。爆発竜は新人を使いつぶす素行の悪いパーティだ。だけど、それを知らないのか現れた希望の光に戸惑いは消え、ファマは嬉しそうにした。このままではファマが終わってしまう。おそらく、直ぐに銀貨を用意してしまうだろう。

「わ、わかりま——

「ガルダさん。金銭を目的とした勧誘はお辞めください」

「はっ! そんなルール、ギルドにねぇだろ?」

「ええ。ただ、あなた達が今までしてきた事はギルドの違反に当たりますよ? 前回の新人さん、相当荒くしたらしいですね? 徹底的に調査しますか?」

「ちっ」

 バツが悪そうにしたガルダから、ファマの腕を引いて離れさせる。

「ど、どうしてですか……せっかく、ガルダさんが……」

 失意の念は表情にまで表れていた。それほど嬉しかったのだろう。3日何もできなかった焦りも相まったと思う。

 3日間見てきて思ったのは、おそらくファマは「爆発竜」の事も知っているし、他の冒険者達の事も知っている。彼らを見る眼に尊敬と憧れが込められていたからだ。よく調べているのだろう、悪い噂も勿論聞こえているはず。それでもここまで落胆するのは彼らが本当は良い人なのではないか、そう思ってしまっているからだろう。

 悪い人間なんていっぱいいる、でもファマはそういう人達とも会ったことが無いのだ。

 ここで私はでしゃばるべきじゃなかった。きっと、一度は痛い目を見た方が良いに決まっている。だけど……最悪の場合「痛い目」だけでは済まないのが冒険者だ。

 こう考えると、ファマの弱点克服計画はあまりにもリスクが高い選択と言えるだろう。

 ファマに視線を合わせるため、膝を床につけて微かに見える目をよく見る。

「ファマ。あなたは人見知りを克服するためにここに居るのでしょう? 目的を見失ってはダメ。あなた自身の目で判断して、あなた自身から声をかけて会話をして相手を知って、あなた自身が納得のいく仲間を探さないとダメよ」

「……。は、はい……ごめんなさい……」

 私には分かる。ファマの目元は微かに潤んでいる。

 苦しいでしょうファマ。でも、ここから逃げてもあなた自身が納得のいく自分になる事ができない。自分と戦う理由は、自分自身に納得するためよ。

 それで痛い目を見たのならばきっと後悔はしないはず。

「謝らないでファマ。そして諦めちゃだめよ。勇気を出して。あなたが冒険者になりたいと思う気持ちは本物でしょう?」

「は、はい!」

 絶望とまでは行かないけど、落胆した表情と態度だったファマが姿勢を正し、確かに顔が元気になった。

 あとは見守るだけ。きっと大丈夫、あの子なら。


 それから少しして二人の冒険者志願者がギルドに入ってきた。

 今回も新人潰しにあって帰ってしまうのかなと思いつつみやる。年々ひどくなっている新人潰しによって、新人冒険者は極端に数を減らし始めた。飽和状態だったから、仕方のない事だけどそろそろギルドから規制が入るかもしれない、それほど酷い状態だ。

 でも、今回の二人は違った。いや、正確には右脚にしがみついている角を生やした人物だ。

 いたって普通の二人だと思っていたが、新人潰しが声を荒げた瞬間、ギルド内に殺気が満たされた。ただの気配にしか過ぎないはずなのに、どす黒い肌に絡みつく重たい空気がギルド内の空間いっぱいに満たされた感覚だった。思わず息を飲んだ。Sランクの魔物の死体なんかでは比べものにならない威圧感、生きるのを諦めたのは生まれて初めての体験だった。

 新人潰しはよくあそこで踊りを始められたものだ。私は吐かずにいるだけで精いっぱいだったというのに。直ぐにファマの様子を確認した、でも何ともなさそうに平然と二人をみていた。多分、そもそも気づかなかったんだ。周りの様子がおかしくなったのを戸惑っている様子があの子にあった。

 さっき王城とその周辺が襲撃され、国王が殺され、戦いは終わったという二つの朗報が飛んできたけど、その犯人が魔王という話だ。まさか……そんなまさか。この世には知らない方が良い事だってある。きっとこれがその内の一つよ、リサマール。

「冒険者登録をしたいんすけど、今からできるっすか?」

 まるで何事もなかったように赤モヒカンの青年がそう言ってきた。

 何が起こっているのか分からなかったけど、知ろうとせずに仕事をいつも通り全うしようとした自分を褒めた。寿命が延びた気分だ。


 彼らの冒険者カードを片手にロビーへと向かいながら起こった事を整理する。

 バインさんは見た目に反してまともな人だったけど、あのマサトという男はやばいわね。少し頭のネジが飛んでしまっているような、そんな印象だった。なんかこう普通ではないような、ある意味こっちも見た目に反してはいるのだけれど、いい意味ではない。

 あんなにやばい人間とファマを一緒にさせてはいけない、私の母性本能がそう言ってる。ファマはまだ真っ白な紙と同じ、どんな色でも染まってしまう純粋さをもっている。あんな人と一緒にいたら変な色になってしまうわ。

 そんな事を思いながらロビーに繋がる扉を開け、冒険者カードを待っている二人を探す。

 隅にある椅子で待機していると予測して探すと、意識を失っているバインさんがいた。あと一人、マサトさんは——。

「っ!」

 私はその場で膝から崩れ落ちる。

「リサマールさん!? 大丈夫ですか!?」

 同じ受付の子が心配してくれているけどそんなのどうでもいい。

 手遅れだった。

 あの男の左脚にしがみついているファマがそこにはいた。

「そ……そんな……私のファマが……」

 どういう状況なのかは全く分からない。

 止めようと思った。その人だけは勘弁してって。

 どうして……ファマ。


 ファマを見るとその表情に一切の翳(かげ)りはない。真っすぐな目をしていた。まるでこの人しかいないと思っているような、そんな表情だった。これを見て私の絶望も軽くなる。そして徐々に嬉しさすら沸いてきた。

 勇気を振り絞ったのね、ファマ。それなら良かった。

 始まるのよ、あなたの冒険が。


 ふふっ。今日はケーキを買おうかしら、ファマの分まで。

 まあ、食べるのは私一人だけ、だけどね。

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