第5話『名を返した夜』

――旧〇〇村・拝殿裏


 風もなく、虫の音もない夜の村で、彼らは黙って座り込んでいた。

 再生した佐竹の映像があまりにも“明確な恐怖”を伝えていたからだ。


 それはただの怪談ではなかった。

 本当に、“佐竹”は存在していたのに、呼ばれ、応じ、消えた。


 森山が、ようやく口を開いた。


 「……名前を返すってことが、“存在の扉”を開く鍵だったんだな」

 「でもな、あれはたぶん……自分が名前を呼ばれたときだけじゃねぇ。“誰かの名を思い出したとき”も、同じなんじゃないかって……そんな気がしてる」


 佐伯が不安そうに言った。


 「思い出すだけで……繋がってしまうのか?」


 「名を媒介にした“神”だった存在だ。思い出された時点で、“それ”が“それ自身”を回復するんだよ」


 「名を忘れることが、封印だったんだ……」

 「だから村を異界に落として、記憶ごと断った。あの場所を、“なかったこと”にした」


 森山の言葉に、飯村が気づく。


 「……俺たち、今、ライブで全国に配信してるよな?」


 その一言に、皆の顔がこわばる。


 「もし、誰かがあの“神”だった存在を知っていたら、もう、“あの名”が誰かに届いてしまったかもしれない。思い出され、返されたかもしれない」



---


――東京都内・ワンルームアパート


 スマホの画面の前で、私は身動きが取れなくなっていた。

 呼吸の音がうるさく、指先がじっとりと汗ばむ。

 心臓が早鐘を打ち、耳の奥で“誰かの声”がずっとリフレインしている。


 ──○○ちゃん、おねえちゃん、こっちにいるよ。


 (やめて。呼ばないで……私は、あなたの名前を……)


 言いかけて、口を噤む。


 喉の奥で引っかかっていた“あの名前”が、突如として蘇ってきた。


 (……“ユメ”)


 それが、かつて私が呼んでいた“妹”の名前だった。

 血のつながりなどなかった。けれど、小さな頃、一緒に過ごした“誰か”。


 その子がいたのは、山の奥の村。

 母に連れられて、一度だけ訪れた夏。

 妙に静かな家、誰もいない神社、名前を呼んではいけない夜。

 祖母はその夜、こう言っていた。


 「“あの子”の名前は、口にしちゃいけないよ。返したら、あの子が来るから」


 私は……返してしまった。

 そして、ユメは姿を消した。



---


 スマホの画面が一瞬、暗転する。

 画面には、ライブ映像ではない、別の映像ファイルが再生された。


 誰も操作していないはずなのに、ウィンドウが勝手に開かれる。


 そこには――あの時の村の風景が、私の視点で映っていた。

 夏の日差し、石段を登る自分の足、小さな手を繋いで歩く“ユメ”。

 その横顔は、決してこちらを向かない。


 そして――最後、拝殿の中で、

 「おねえちゃん、私の名前、覚えててね」と微笑むユメの顔が映る。


 画面がふっと消えた。

 同時に、スマホの電源が落ちる。



---


――旧〇〇村・現在


 突然、配信が途絶えた。

 映像が消え、音も止まった。


 「おい、なんだ……?」


 飯村が慌てて機器を確認するが、電源は入ったまま。にもかかわらず、映像は完全に遮断されていた。


 「まさか……“誰か”が、名を返したのか……?」


 森山がぽつりと呟く。


 その時、背後で鈴の音が鳴った。


 しゃらん。


 誰も触れていないのに、拝殿に吊るされたはずのない見覚えのない鈴が、音を立てて揺れていた。



---


――東京都内、あるワンルームアパート


 私は、ようやく顔を上げた。

 拭った涙の跡が、頬にひんやりと残る。


 「……ユメ」


 今度は、静かに、確かに呼んだ。

 すると、部屋の空気が、柔らかく震えた。


 風もないのに、カーテンが揺れ、

 テーブルの上に置かれた藻塩が、ひと粒、こぼれた。


 そして、その静けさの中、部屋の奥から、微かな声が聞こえた。


 「おかえり」


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