第24話 【ケルベロスの精神攻撃】
「グァァァァアアアアッ!!」
左の頭を破壊されたヴォルグ=ケルベロスが、残る二つの首を仰け反らせ、狂ったように咆哮を上げる。
「貴様……! 貴様ごときに、この俺の頭を……!」
「もはや容赦はしない。貴様の魂、ズタズタに裂いてやる!」
「我が魔法は、お前が1番後悔してるその想いが襲いだす。これで死なない生物はいない!」
「喰らえーっ!」
ヴォオオオオオーーーン……。
直後、周囲の風景が音もなく戯め始める。 そして世界が、黒く、止まった。
――そして、世界が暗転した。
……暗い。
全身に残るのは、熱と痛み。
目を開けると、そこは見覚えのある6畳の部屋だった。
黄ばんだ壁紙、天井の染み、タバコの焦げ跡。
――そうだ。弟と二人で暮らしていた、あのボロ団地の一室。
「……ここは……?」
思わず声が漏れる。
確か俺は、ヤクザの事務所で撃たれて……あのまま死んだはずだ。
弟に、最後の言葉ひとつ伝えられずに。
なら、ここは……地獄か? それとも――。
振り向いた先に、雫が立っていた。
制服姿のまま、かつてのあの頃と同じ姿で。
一瞬、朔の胸が熱くなる。
「……無事だったんだな。よかった……」
だが、その安堵はすぐに裏切られた。
「兄貴……」
低く、呻くような声。
雫の目に浮かんでいたのは、涙ではなく――濁った憎しみだった。
「俺、自首したんだよ。兄貴が死んだあとに」
「なのに、なのに……」
雫はポケットに手を差し入れ、ゆっくりと何かを取り出した。
それは、短く鈍い銀色の光を帯びた――ナイフだった。
「……!」
朔が言葉を発する間もなく、その刃が振り下ろされる。
ザグッ!
胸元に、鋭い痛みが走る。
刃が皮膚を裂き、筋肉を断ち、血が一気に吹き出す。
「――ぐっ……!」
体の奥から腐ったような生々しい音が響く。
まるで内側から何かが崩れ落ちるように、痛みと熱が朔の全身を駆け巡る。
ズブッ、ザクッ――。
刃は容赦なく繰り返された。
胸、腹、そして腰……。
まるで積年の怒りを叩きつけるかのように、弟の腕は何度も振り上げられ、血の雨を撒き散らす。
そして、口元を歪ませた。
「なのに……人生、何一つ報われなかったんだよ」
ズブッ
朔の胸に、刃が突き立てる。
「兄貴は……英雄ぶって、俺を守ったつもりかもしれないけど」
「俺の人生は、兄貴が死んでから本当の地獄になったんだ」
ズブッ、ズブッ。
何度も、胸を突き刺す弟。
雫の声が、次第に震え始める。
「世間は冷たかった。俺は犯罪者の弟。ヤクザの事務所に乗り込んだ殺人鬼の弟。」
「罪は償った……けど、許されることなんて、
何一つなかった……!」
「どんなに真面目に生きても……誰も、見てくれなかった!!」
「俺の人生は、兄貴が死んだ日から――ずっと地獄だったんだよ!」
――ズブッ、ズブッ!ズブッ、ズブッ!
刃が、何度も朔を貫く。
「助けたつもりか!? ヒーロー気取りか!?」
「ふざけんな……!」
「俺のこと、不幸にしたのは……兄ちゃんだ!!」
ザクッ! ザクッ! ザクッ!!
胸を、腹を、肩を――血が吹き出す。
それでも朔は、反撃しなかった。
ただ、まっすぐ、弟を見ていた。
「……雫」
小さく、呼ぶ声が、狂気の空間を静かに揺らした。
朔はナイフを持った腕ごと、雫を抱きしめた。
ナイフは胸に刺さり、血が垂れ流している。
「雫、最期まで守ってやれなくてすまなかった。」
こんな痛み、雫が感じた痛みに比べたら、なんでもない。
「苦しかったんだな……。」
その声には、怒りも、悲しみもない。
ただ、静かに――優しさだけが滲んでいた。
「お前を置いて、勝手に死んで……」
「……守るって言ったくせに、守りきれなかった」
「兄として、一番やっちゃいけないことを……俺はしたんだ」
「無鉄砲で、考えなしで挑んでしまって、残されたお前の事を考えてやれてなかった。」
「助けたら終わりじゃねーよな。」
「バカな兄貴ですまない。」
朔の手が、そっと伸びて、雫の頭を撫でる。
血に染まり、震えていたその髪に、優しく触れる。
「ただそれでも俺は雫に伝えたい……」
「どんなに苦しくても、生きてくれてありがとう」
「俺のこと、憎んでくれていい。怒ってくれていい」
「でも……それでも、俺は今でもお前を――」
「たった1人の弟の雫を、愛してる」
その言葉に、雫の震えが止まった。
刃を握っていた手が、だらりと落ちる。
「……っ、兄ちゃん……」
涙が、ようやく、流れた。
「違うんだ……」
「こんなこと、したかったわけじゃない……!」
伝えたかったわけじゃない。
「こんなふうに、怒鳴って、刺して、恨んで……違うんだよ!!」
「俺が……俺が本当に言いたかったのは――」
「ありがとう……!」
「ずっと守ってくれて……バカみたいに無茶して、俺のために死んで……」
「そんな兄ちゃんが……俺は、大好きだった!!」
「ずっと、伝えたかったんだよ!」
「怖くて言えなかった! 照れくさくて逃げてた! でも本当は……!」
「俺、兄ちゃんの弟でよかったって……思ってたんだよ……!!」
「……ごめん。ありがとう。……ありがとう……!」
「兄ちゃん、兄ちゃん。」
雫は小学生の時のように、
泣きながら叫ぶ。
それは、今まで伝えられなかった心の本音だった。
「俺のせいで兄ちゃんを死なせてしまった。
ごめん、ごめん。」
朔は、少しだけ目を細め、微笑んだ。
「雫、お前のせいじゃない。」
「それに弟を守るのは兄の役目だ。」
「……死んじまったバカな兄貴だけどよ、
それでもまた同じ事をしちまうと思う」
「お前は優しいやつだ!」
「俺の自慢の弟なんだ!」
「今からだって、大丈夫。」
「俺がいなくても
蒼月朔の弟、蒼月雫なんだから。」
「俺も、また最後に……お前に会えて、よかったよ」
「幻かもしれねぇ。……でも、それでも――」
「俺は、お前を……愛してる」
雫の姿が、柔らかな光の中で、少しずつ溶けていく。
最後の涙を残しながら、微笑みながら、消えていった。
朔は、一歩踏み出す。
崩れゆく世界の中で――確かに、想いが通じ合ったという感覚を胸に。
「これで……ようやく、俺も進める気がする」
「ありがとな、雫」
――そして、世界が崩れ始めた。
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