第2話声の主
廊下の扉が閉まったあとも、ユウの胸のざわめきは消えなかった。
佐久間の姿。
黒板の文字。
忘れていたはずの過去は、ずっと心の奥でくすぶっていたのだ。
罪悪感。後悔。
自分を守るために、誰かを見捨てたあの日の記憶。
「……鍵、か……」
あの女が言っていた。
記憶の“鍵”を探せ、と。
ユウはゆっくりと歩き出す。
次の扉が、目の前にあった。
手を伸ばし、取っ手に触れる。
ひんやりとした金属の感触が、指先から脳まで染みわたるようだった。
* * *
開いた扉の先には、リビングが広がっていた。
どこか見覚えのある風景。
壁には家族写真、ソファの上にはぬいぐるみが転がっている。
テレビの横には、タクミが作った折り紙の箱がきれいに並べられていた。
「……ここ……」
自然と足が止まる。
この空間は、懐かしくて、でも苦しくて、足を踏み入れたくないような場所だった。
(もし目を覚ましていたら、きっとこの部屋には近づけなかっただろう……)
――そんな思いが、胸の奥からじわりとにじみ出る。
自分では記憶していなかったはずの感情が、無意識に染みついていたのだ。
「おかえりなさい、ユウくん」
ソファに腰かけていたのは、あの白衣の女だった。
「……お前……」
「案内人よ。あなたがこの場所を開けた時点で、私はここに現れるようになってるの」
相変わらず、どこか作られたような口調。
でも、その目だけは、じっとユウの心を見透かすように真っ直ぐだった。
「ここは、あなたとタクミくんがよく過ごしていた場所」
ユウは無言でうなずいた。
タクミの声が、笑顔が、部屋の隅々に染み込んでいる気がした。
「でもあなたは、この部屋を避けていた。怖かったのよね。罪悪感が。」
「……」
「自分のせいで弟が傷ついたと思っている。
けどそれは、まだ“記憶”になっていないの。
あなたは見ていたはずよ、最後の光景を。
でも、思い出したくないだけ。」
女は、テレビの前に置かれた絵を指差した。
タクミの描いた絵だった。
兄と弟が空を見上げ、にこにこ笑っている。
隅に、小さく「お兄ちゃんだいすき」と書かれていた。
――心臓を、指で押されたような痛みが走る。
「……違うんだ……俺は……」
「言い訳をしてもいい。
でも、それで何かが変わると思う?」
ユウは答えられなかった。
そのとき、部屋の奥にもうひとつの扉が現れた。
それは、古びていて、重たそうで――何かを“封じている”ように見えた。
「次の記憶へ進むかどうかは、あなたの自由よ。
でも、その先には“思い出したくない真実”がある。」
ユウは、しばらくその扉を見つめていた。
胸が、息苦しいほどに締めつけられる。
でも、進まなければ何も変わらない。
それだけは、もうわかっていた。
ゆっくりと、扉に手をかける。
その瞬間――背後から、低くくぐもった声が聞こえた。
「見捨てたのは、お前だろ……」
振り向いても、そこには誰もいなかった。
けれどその声だけが、いつまでも耳に残っていた。
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