第18話 Day. 18 交換所
カランカランと、ベルの音が響く。
「当たりー!四等賞、景品はこの中から選んでね~」
恋さんが陽気な声で告げた。
「ちぇー、四等かぁ」
ガラポンから飛び出た玉を見て、男の子はガッカリして肩をおとす。
もう一人がどれにする?と声をかけ、二人は四等賞の箱を物色しはじめた。
今日は、商店街の夏祭りだ。
商店街の近くにある広場には、屋台が立ち並んでいる。広場の端には、仮設の舞台が作られており、今は近所のダンス教室の子達が、ダンスを披露していた。この後は、バンドの演奏、カラオケ大会など、夜までプログラムが続いていく。
俺の担当は、反対側の端に作られたガラポンくじ交換所だ。
祭りの前の二週間、商店街で買い物をすると、券を貰える。その券を持ってくると、ガラポンくじが出来るのだ。
酒屋のバイトは、週に三回ほど。配達の手伝いがメインなのだが、今日はこっちを手伝って欲しいと言われた。
正直人が集まる場所は苦手だけど、頼まれてしまった以上仕方がない。恋さんも担当だったのが、せめてもの救いだ。
七尾姉弟は、竹細工を卸している雑貨屋さんに、頼まれて手伝いをしているらしい。双子の片割れ、祭さんはどこかの屋台で、焼きそばを焼いているとか。お昼には、焼きそばを届けてくれるというから、昼飯を食い損ねることはなさそうだ。
暑いし、午前中は暇だと言われていたが、それなりに人は来る。
券の枚数を数えて、ガラポンを回してもらい、当たりが出たらベルを振る。
恋さんが相手をしてくれるので、俺はあまり喋らなくてすむのは助かった。
くじの景品は特賞から五等賞まで。
上位の景品は、ペア温泉宿泊券、人気の遊園地のチケット、話題のゲーム機、米五キロにお酒など。
町の夏祭りの景品としては、なかなかのラインナップじゃなかろうか。
いいな。俺もゲーム機、欲しい。
券を持っていないから、出来ないけどさ。
寺に来る前は、ゲームもそれなりにやっていた。
むしろ得意だった。何度やっても俺に勝てなくて、悔しがっていた顔が浮かぶ。
その顔は弟だったり、彼だったり、従兄だったり。
ほんの一年ちょっと前の記憶なのに、なぜだかとても遠い思い出のように感じた。
券を持った小学生、高校生の集団、近所のおばさん、じいさん、大学生にカップルなどが、パラパラとやってきては、歓声や落胆の声をあげる。
混むのは夕方からと聞いてるが、どれくらい来るのだろう。
そう思っていたら。
どう考えても、こんな小さな町の夏祭りには、不似合いな人影が見えた。
隙なく仕立ての良いスーツを着こなした、背の高い眼鏡の男性。
あれは……。
まっすぐこちらに歩いてきたその人は、俺の前に立つと券を差し出した。
「くじを」
低い美声。記憶にあるままのその声に、俺は呆然と相手の顔を見上げた。
ほとんど表情が変わらなくて、鬼の鉄面皮と呼ばれていたのを知っている。でも眼鏡の奥の眼差しは、優しく俺を見つめていた。
「あ、え、なん、で」
「こちらでくじが出来ると聞いたんだが」
「そうじゃなくて!何を、して」
何と問えばいいのか判らなくて、言い淀んだ瞬間、後ろから腕が伸び、ぐいと抱き寄せられた。
「何しに来た?!今更返せと言われても、返さないからね?!」
恋さんが叫んだ。ぎゅっと抱きしめられ、ちょっと首が苦しい。
彼は心外そうに眉を寄せる。
「返すも何も、彼は自由だ。私にどうこうする権利はない」
淡々というのに対し、恋さんは鼻をならす。
「どうだか。お前の言葉はあてにならん。昔から腹黒かったからな。この子が惜しくなったのではないか?」
いつものフレンドリーな口調とは違い、険のある言い方に戸惑う。
だが彼は静かに首を振った。
「惜しくなろうとも、既に彼は自らの意思で歩きだしている。私にそれを止める権利はない」
「ならば我らが貰っても良いと?」
「……彼がそれを望むのならば。なれど」
眼鏡の奥の瞳が鋭く光る。
「彼の意思をねじ曲げるのならば、介入するぞ」
二人はしばし睨み合い、俺はどうしたものかとオロオロするばかり。
先に目をそらしたのは恋さんだった。
「……仕方がない。今日のところは、信用してやろう」
その言葉に、彼はわずかに口許を弛めた。
「えと、あの、それで今日はどうして」
「仕事のついでだ。ここに来ることは、誰にも言っていない」
手にしたくじをヒラヒラとさせる。
「寺に行ったら、バイトだと言われてな。酒屋に行ったのだが、ここにいると」
「ああ、それで……その、くじは」
「差し入れに酒を買った。後で寺に運んでくれ」
隣で恋さんが「やった!」と手を叩く。くじを受けとり数えると、十枚あった。
そこそこ良い酒を買ったのか、それとも量があるのか、どっちだろう。
「えっと。十回、回して下さい」
「ふむ」
彼は物珍しげにガラポンを見つめている。
だろうな。やったことがあるとは、思えないし。
ハンドルを握ると、ゆっくりと回す。
ガラガラという音共に、銀色の玉が飛び出した。
「え」
「おお!銀じゃないの!大当たり~!」
恋さんの声に、俺はカランカランとベルを激しく鳴らした。
銀色の玉は一等賞、話題のゲーム機だ。
ちなみに特賞は金の玉で、温泉宿泊チケットである。
しかしゲーム機って。この人、ゲームやるんだろうか?
「当たり、なのか?」
「一等賞です。こちらのゲーム機になります」
周囲で「すごーい!」「いいなぁ」等の声が上がる中、俺は一等賞の箱を渡す。
彼は受け取ったものの、どうしたものかと悩んでいるように見えた。
やがて後ろに並んでいた小学生に、残りの九回を回して欲しいと、丁寧に頼むと「少し話せるか?」と言った。
恋さんは、あからさまに「嫌だけど!」という顔をしていたが、「いってらっしゃい」と許してくれた。
俺達は広場を出て、近くにある神社へと移動した。子供達が、祭りでゲットしたオモチャで遊んでいたが、やかてどこかへ走っていく。
境内の端に置かれたベンチに、並んで腰を下ろした。
「……元気そうで、何よりだ」
「はい」
一年前、こちらに来る前にも、こんな風に並んで話したことを思い出す。
あの日、深夜の高速バス乗り場で、行き先を見つけられずにいた俺の前に、この人は現れた。
全部見透かされていたのだと、あの時思った。
俺の中の弱さも、悩みも、全部。
全部判った上で、それで……それでも……俺を助けてくれた。
白洞寺を紹介してくれたのも、通信制の高校への転入も、全て彼が手配してくれたのだ。
「さっきも言ったが、私がここに来ていることは、誰も知らない。安心したまえ」
「はい」
「今日は、事務的な手続きの報告に来た。遅くなってしまい、申し訳ない」
彼は手にした箱を眺めながら、淡々と話す。
予想外に手続きに時間がかかってしまったこと。
後見人は、引き続き彼が勤めてくれること。
事務手続きが必要な時は、担当者に連絡すること。
基本彼とは直接接触はしないこと。
彼が来るのも、今回限りということ。
「それから、君の資産の管理も担当者に任せてある。必要なら連絡したまえ」
「え?資産?いや、それはいりません!俺は家を出たんだし、そんな資格は」
「あれは君のものだ。家の資産ではない」
「いえ。家のものです!」
俺が稼いだものではないのだ。家を出た俺が受け取るのは、筋が通らない。
そう主張すると、彼は珍しく苦笑した。
「頑固だな、君は。だがあれは正しく、君の資産だ。退職金、とでも思っておけ」
「退職金って、そんな」
「君だけではない。他の者が、違う道を選んだとしても、この金は用意される。そういう金だ。受け取っておくといい」
「……口止め料?」
そう言うと、彼は僅かに瞬きをして、こちらを見た。面白いことを聞いたと言うように、微かに笑う。彼が笑うなんて、本当に珍しい。少しばかり楽しそうに見えるのは、気のせいだろうか。
「それでもいい。金などなくても、君は話さないと思うが」
「……それは、そう、ですけど」
「将来どうするか、少しは考えたか?」
突然話が変わり、俺は口ごもった。
「ええと、その……」
「焦らなくて良い。じっくり考えなさい。考えた末に、大学に行きたい、企業したい、外国に行きたい。そう思ったら……その時のための資金だ」
自分がこの先、どうすべきか。
一年経っても、まだ正解は判らずにいる。
自由になると家を飛び出して、そのまま迷子になっているようなものだ。
俺はいったい、どこに行けばいいのだろう。
俺は、道を見つけられるのだろうか。
突然大きな手が、頭を撫でた。
ワシャワシャと、まるで子供を撫でるように。
いや、彼にとって、俺は正しく子供なのだ。
行き先を見失った、迷子の子供。
「焦ることはない。じっくり考えなさい。君ならきっと、進むべき道を見つけられる」
「……そうでしょうか?」
俺はこんなに弱いのに。
弱くて、臆病で、目の前に用意された道が怖くて、逃げ出すような人間なのに。
「大丈夫だ。君は強い。自分の道を、信じて、歩いていきなさい」
低い声が、優しく囁いた。かつては、厳しく叱咤する声ばかり聞いていた。懐かしい声が、今はとても優しくて、泣きそうになる。
大きな、少し人より冷たい掌が、優しく頭をポンポンと叩く。
「……少し背が伸びたな。髪も伸びたか?」
「はい。十センチ伸びました。髪は、そろそろ切ります」
「そうか。眼鏡の呪いは、まだ効いているようだな」
俺の眼鏡には、魔除けと、認識阻害の呪いがかけられているのだ。これをかけていると、知人であっても、俺だと判らないのである。
これも、彼が用意してくれたものだった。
「はい……あの、皆……元気、でしょうか?」
「ああ。変わりない。元気にしている」
その言葉に、安堵と同時に、寂しさを感じる。
自分が捨ててきたのに、勝手なものだ。
それでも、大切な人達の幸せは願いたいと思うし、幸せでいて欲しいと思うのだ。
彼はもう一度頭を撫でると、立ち上がった。
俺も立ち上がり、背の高い彼を見上げる。
「そろそろ行かねば。……もう会うこともないと思うが、元気で」
「はい。あの……色々、ありがとうございました」
「気にするな。これは私の役目だからな……これ」
そう言いながら、彼はゲーム機を差し出す。
「君にやろう。好きだったろう?ゲーム」
「え」
「私には不要なものだ」
持ち帰れば喜ぶ人がいるじゃないか。
そう思ったけれど、俺は眼鏡の奥の眼差しが、とても優しい光を宿しているのを見て、素直に受け取った。
たぶん、この人は、俺を甘やかしたいのだ。
こんなどうしようもない俺なのに。
一族を飛び出した出来損ない。だからこそ、気にかけている。そんな気がした。
「……ありがとうございます」
「では失礼するよ。アレのことも、よろしく頼む」
「アレって……はくどーさんですか?俺がお世話になってるんですけど」
「君は気に入られているようだから。仲良くな」
そう言うと、彼は片手をあげ歩き出す。
背の高い後ろ姿に、俺は深々と頭を下げた。
もう二度と会うことはないであろう彼に、大きな感謝の念を送るように。
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