第15話 Day.15 解読

 週末の夜。四条駅付近は、人でごった返していた。

 時刻は夜の八時過ぎ。

 本当なら一番歩きたくない時間帯だ。テンションの高い観光客やら、飲み会帰りの人、これから飲みに行く人などがそこかしこにいて、とにかく人が多い。

 人の影に紛れて、アイツらが蠢いているように見えて、俺は眼鏡をかけ直した。

 余計なものを見ないように、少し俯き加減に歩く。

 そんなに嫌なら来なきゃいいんだけど、今日ばかりはそうもいかない。

 先日フライヤーを貰った、あずまさんの出演する『蝶番』を観にきたのだ。

 東さんの所属する劇団YAKUMOは、京都にある大学に所属する、学生劇団である。

 今回の舞台は、夏の間行われている学生演劇祭の為の公演らしい。

 学生劇団の公演を観るのは初めてだったが、予想以上に面白かった。

『蝶番』は、恐らくジャンルとしては、SFになるのだろうか。主人公が扉が開いて、蝶番が軋む音が鳴る度に、二つの時代と人々が入れ変わり、物語が進行していく。

 そうして、やがて二つの物語は交わり、終焉の時がくる……。

 熱い展開に、俺は息を飲むのも忘れて、夢中になった。

 演劇の持つ魅力というか、力を、初めて思い知らされた。

 なんて面白いのだろう。

 そりゃ学生劇団だから、素人っぽい面も、ご都合主義なところもある。

 けれどそれを凌駕する魅力に、俺はとりつかれていた。

 東さんは俺に気がついていたようで、終演後、ロビーで劇団員一同が見送ってくれている時に、大喜びで声をかけてくれた。

 連絡先を交換し、後日会うことを約束して、俺はそそくさと劇場を後にしたのだ。

 本当はもっと話していたかったけど、早く帰らなくては、アイツらが出てきてしまう。

 だが時すでに遅し。

 やはり夜はヤツらの時間だ。

 そこかしこに、その気配を感じて、俺は極力目を向けないように駅へと向かった。

 なのに。

「ねぇ、あれなんだろ。なんて書いてあるのかな」

「え?どこ?」

 そんなやり取りが聞こえてしまい、俺は視線をあげてしまった。

 カラオケ帰りらしき、女子大生が二人。

 一人が指差す方を見る。

「何も書いてないじゃん」

「嘘、あるよ、ほら。変な落書き」

「ないってば。目、悪かったっけ?」

「そんなことないもん」

 なんで見えないのよ?ないってば、などと言い合いながら、二人は行ってしまう。

 俺は彼女が指差した先を見やった。

 通りの反対側。閉店した店のシャッターだ。

 何もない。

 けれど俺は、かけていた眼鏡を少しずらした。

 レンズのない視界。

 クリアになった世界のシャッターには、奇怪な紋様が浮かんでいた。

 あれは、ダメだ。見てはいけない紋様。

 いや文字と言うべきか。

 普通の人には読めない、アイツらの文字。

 それを書くことによって、見える人間をおびき寄せる。

 見えると言う事は、力を持っていると言う事。

 ヤツラは、力を持つ者を欲するのだから。

 文字を撒き餌とするヤツがいる事を、俺は知っていた。あの奇怪な文字も知っているし、解読する事も出来る。

 通りを渡り、文字の前に立つ。

 見るべきではないと、判っているのに。

 これを見て、アイツらの餌食になる人が出る事が恐ろしかった。

 文字は、次に行くべき場所を示している。

 普通の人は見えても読めないが、その文字に籠められた力に導かれてしまうのだ。

 消す方法はあるのだが、今の俺には出来ない。

 どうしよう。そう思いながら、フラフラと俺は、文字の示す先に歩き出す。

 近くの細い路地に入ると、そこにも文字があった。

 まっすぐ進んで、突き当たりの文字を右に。

 薄暗い路地裏へと、文字は導いていく。

 行かなくちゃ、そっちへ進まなければ。

 人がいなくなる。

 喧騒が消えていく。

 暗い、暗い、闇の、中へ。

 暗い、くらい、く、ら、い、


 その瞬間、目の前で音が弾けた!


 ハッと、意識が戻り、俺は瞬きをした。

 目の前には、ボサボサ髪に無精髭の、作務衣姿の男がいた。

 猫だましよろしく、手を鳴らしたのだ。

「……さ、び、さん」

「何してる。行くぞ」

 前髪の下で、金色の光が反射する。

 さびさんは俺の腕を掴むと、半ば引きずるように走り出した。

 必死で足を動かし、錆さんに連れられて、元の大通りへと戻る。喧騒が戻ってくる。

 最初の文字よりもだいぶ離れた所まで来ると、錆さんはやっと足を止めた。

 ぜーはーと息を切らす俺を見下ろし、ため息をつく。

「お前、何やってんだ。一番近寄っちゃいけない癖に」

「そ、そうだ、けど」

 額の汗を拭い、俺は深く息を吐いた。

「でも、あのままだと、誰かが襲われるから」

「今のお前じゃ、消せないだろ」

「う」

 それはそうなのだけど。

 黙り込んだ俺に、錆さんはもう一度ため息をつくと、ずれたままだった眼鏡を、無理矢理元に戻す。

「あ、ちょっと、錆さん!」

「然るべき所には連絡した。ほら、帰るぞ」

「錆さん」

「面倒事は御免だ。行くぞ」

 すたすたと歩き出した、その背を追う。

 束の間、背後の闇を振り返り、俺は小さく頭を振った。

 闇の向こうで、何かが口惜しそうに蠢いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る