第11話 Day.11 蝶番

 七月の京都は、全体的に浮かれた空気が漂っている。

 祇園祭と、開放的な夏の空気があいまって、人々の浮わついた気分が充満しているって言うか。

 夏休みを控えた学生達が、楽しそうに歩いているのを見送り、俺は眼鏡をかけ直した。

 眼鏡をかけると、アレの姿は見えなくなる。

 見えなくなるだけで、消えるわけではないけれど。精神的には楽になるから、出かける時に、眼鏡は必須だ。

 特に夏は、アイツらが増えるし。

 夏は境界が曖昧になると、はくどーさんは言っていたが、その通りだと思う。

 夏の陽気と、浮かれた人の熱気で、雑多なものが入り交じり、そこかしこにアイツらが蠢いている。

 アイツらは陰の塊なのに、どうして夏の陽気に活発になるのだろう。

 陰だからこそ、真逆の陽に惹かれるのだろうか。

 もっとも京都という場所柄もあるらしい。

 かつての都には、それ相応の結界が幾重にも張り巡らされている。

 その結果、あちこちに小物が吹き溜まってしまうのだと、昔聞いたことがある。

 そうして夏に浮かれた人々の欲を食う為に、色濃くなった影の中で蠢くのだ。

 本当なら、学校も終わったし、祇園祭の間は、街中には近づきたくない。

 が、楽しみにしていた新刊が複数出るし、新作のゲームも見たいしで、意を決してやってきたのである。

 あらかた買い物を終え、俺はお気に入りの喫茶店で休むことにした。

 そこはレトロな雰囲気の、珈琲が美味いと評判の店で、近くまで来た時には寄ることにしている。

 カロンコロンと、ドアベルを鳴らしながら入ると、レジ脇でマスターと、大学生らしき人が話をしていた。

「こんな感じで、大丈夫かな?」

「ありがとうございます!いい感じです!」

 二人は、貼られたばかりのチラシを眺めて、頷きあっている。

 レジ周辺の壁には、ライブハウスや、演劇、お笑いなどのチラシ、フライヤーがたくさん貼られている。どうやらそこに追加していたらしい。

 一番新しく貼られたそれは、学生劇団のもののようだ。

『蝶番』

 茶色の扉の真ん中に、大きくそう書かれた、シンプルなチラシ。下の方に『劇団YAKUMO』と書かれている。

 これ、タイトルなのか?

 斬新というか、わかりにくいというか。

 でも逆に気になるといえば、気になるか。

 前衛的な話なのか、もしく哲学的な作品なのかもしれない。

 そんなことを考えていたら、大学生がこちらに気がついた。

「あ!すみません、邪魔でしたか」

「いえ、あの」

「もしかしてチラシ、気になった?演劇、興味ある?!」

 テンションが高い。あと距離も近い。

 俺より十センチは背が高いだろうか。

 人懐っこい笑顔は、まさに好青年という印象だ。

 不思議な人だった。

 顔立ちは、整っていると言えば整ってるけど、決してイケメンではない

 イケメンではないけれど、何て言うか、華がある。人目を引く顔立ちと言うか。

 あまり見るのも失礼だよなと、俺は目をそらした。

「えと、そう、ですね。はい、嫌いじゃ、ないです」

「まじで?!珍しいね!」

 自分で聞いといて、その反応はなんだ。

 隣でマスターが吹き出した。

「それはないでしょ。せっかく興味持ってくれてるのに」

「あ、そっか」

 マスターは笑いながらカウンターへと戻っていった。

 演劇は好きな方、だと思う。

 家の関係で、幼い頃からよく連れていかれた。

 歌舞伎、能、狂言、宝塚、ミュージカル、新派、大衆演劇などなど。

『芸事は、本来神に捧げるものだった』

『つまり芸事は神事にも通じる』

『それを学んでおきなさい』

 そう語ったのは、父だったか、師であったか。

 事実、劇場と言うところは、アレが集まりやすいのだ。芸を神に捧げることによって、アイツらを祓う。それが本来の……。

 考え込みそうになるところを、大学生の声が思考を引き戻す。

「ごめんごめん!好きって答える人、珍しいからさ。嬉しいよ、お仲間がいて」

 更に笑うと、彼は持っていた鞄から、フライヤーを差し出した。

「今度やるから、よかったら見に来て」

 先ほど貼っていた『蝶番』と書かれたそれを受け取り、俺は裏面を見た。

「……人と人を繋ぐ、彼こそは『蝶番』!なくてはならない存在なのだ……?」

 なんだ?真面目、な話なのか。それとも不条理劇というやつなのか。

 ざっと目を通すが、皆目ジャンルが判らない。出演者も、演出家も、当然知っている名前はない。

「ワケわかんないだろ?俺も最初、台本読んでも、よくわかんなかった!」

 彼は頭をかきながら、アハハと笑う。

「……これ、不条理劇ってヤツですか?」

「不条理?いや、うーん、SF?かなぁ。でも人間ドラマ要素もあるし」

「え?」

「気になるなら、見に来てよ!俺も出るし」

「はぁ、気が向いたら……」

 あくまでも爽やかに笑うと、彼は手を差し出した。

「俺、あずま隼人。見に来てくれたら、めっちゃ嬉しい!」

 その名前は、出演者の中に並んでいた。

 五番手くらいだから、そこそこ出番があるのかも。

 しかし通りすがりの高校生に、なぜ名乗る?

 そう思いながら、俺は勢いに流され、手を握った。喫茶店の入り口で、実にはた迷惑だったと思う。

「将来、俺が売れっ子俳優になったら、自慢できるぜ?あの東隼人に勧誘されたって!」

 バチコーンと音がしそうなウインクをする東さんに、俺はなんて答えていいか判らず、曖昧に微笑むと手を引いた。

 どう考えても人種が違う……けど。

 何故か、舞台の上にいるこの人が観てみたいと、そう思った。

 やたら人懐っこい笑顔のまま、手を振る彼を見送り、俺は頭の中でスケジュールを確認したのだった。

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