第16話:覚醒
天蓋付きのベッドに横たえられ玉のような汗を掻くスバルは、荒い息をしながら意識を失っていた。
「スバル……」
熱に魘されているスバルは、呼びかけにもアルベルトが汗の滲む額に冷水に浸し絞った布を置いても反応はしない。
涙をいっぱいに溜めたフィーネが、薄ら開いている少し乾いた唇に水の入った薬飲み器の細長い飲み口を当てて傾ける。
だが、出てきた水の大半が零れてしまった。
唇から真っ赤に染まる頬に伝い、ベッドのシーツを濡らす。
「スバル様、お願いです。少しだけで良いので、意識を覚まして水を飲んでください。……こんなに汗を掻いているのにっ」
濡れたスバルの唇や頬、シーツを布で拭いながら、フィーネは意識のない主に喋り掛け、最後には嗚咽を漏らしはじめた。
「俺がやろう」
アルベルトの差し出された手に薬飲み器を置くと、フィーネは両手で目を覆った。
泣いて声を上げないようにしようと、唇を噛む。
「フィーネ。あまり噛みすぎると唇を傷つけるぞ。スバルが起きた時に、心配をする」
スバルが心配をすると聞いて、主思いのフィーネは手を顔から外した。
目から溢れて次々に零れていく涙をそのままに唇を噛むのを止め、さっと口を両手で塞ぐ。
それを見届けてから、アルベルトは薬飲み器の飲み口をスバルに―――ではなく、自身の唇に当て軽く咥える。
薬飲み器を傾け水を口に含み、スバルの頤を片手で上げた。
顎に当てている親指で口を開かせ、そこに口付ける。
「あ……」
フィーネが小さく短い声を上げたが、気にせずにアルベルトはするりと舌を熱い口内へ滑り込ませ、水を少しずつ送り込む。
「んっ……」
こくこくと喉を鳴らしながら、スバルが水を飲んでいく様子に、水を与えながらアルベルトは安堵する。
含んでいた水が終り、アルベルトは舌を口内から出そうとすると、もっと水が欲しいというように火傷しそうなほど熱い舌が触れてきた。
一瞬、驚いたアルベルトだが、今度こそ唇を離して薬飲み器の水を口に含んだ。
アルベルトは口移しで数回、水をスバルに与えた後、席に着き上掛けから出ていた自分のものとは反対の、頼りなく小さい手を片手でそうっと握った。
だいぶ落ち着いたらしいフィーネは、汗を拭くためスバルの着ている上着の留め具を外していく。
一連の動作を見ていたアルベルトは、視線を愛しい人の手へ移し、その手を少し持ち上げて甲へと口付ける。
唇を離した後、もう片方の自分の手も重ねた。
「どうか……どうか、早く良くなるように」
祈り、そして懇願する。
「愛くるしい笑顔を見せてくれ。スバル……」
傷つけないように少し力を込めると、ぴくりと中にある手が動く。
アルベルトが持つ獣の本能が、チリチリと刺激される。
――――空気が変わった。
解ったことはそれだけだが、浄化されたように冷たく凛と張り詰める空間へとなっただけで、戸惑うには十分だ。
見詰めていた自身の手から、スバルの顔を見る。
スバルの目が開いていた。
が、どこか様子がおかしい。
「スバル?」
呼び掛けに反応を示さず、天井をじっと見詰める漆黒の双眸が鈍い光を含んでいた。
「スバル様?」
フィーネも気づいたらしく声を掛けると、スバルが顔を歪め悲鳴を上げた。
「ぅあっ!」
「スバル!?」
身体を捩り苦しみだしたスバルに、アルベルトは立ち上がる。
「あたま…うずうずするぅ!」
スバルは両手で頭の左右を押さえた。
バタバタと足を動かし、上掛けがスバルの足元へ飛ぶ。
「ゃあ……ああ、ひゃあッ!」
喘ぎにも似た悲鳴を上げる。
頭を押さえながら勢い良く上半身を上げ、俯せて腰を高く上げる格好をした。
「ぃやあぁ! ……お尻がぁ!!」
自分で下着とズボンを一緒に勢い良く膝まで下ろす。
臀部と太股が露わになり、尾てい骨あたりと先ほどまで押さえられていた頭からぶわりと白い物体が現れた。
「獣耳と…尻尾……?」
これでもかと通常も大きな目を零れそうなほど開いたフィーネの呟きに、アルベルトは我に返った。
目の前のことが信じられなかった。信じられないが、白い物体―――――獣耳と九つの尻尾がスバルから生えている。
尻尾は細いのでもなく、犬のような形でもない。
「狐の尻尾か……?」
アルベルトは自身の呟きに、《三つ尾の戦巫女》と《白狐》という言葉が脳裏を過る。
――――だが、尻尾は九つだ。
どういう事だと、眉根を寄せた。
苦しんでいたスバルが、ピタリと止まった。
「スバル……」
「……」
静かになったスバルにアルベルトは話しかけたが、反応はない。
例えようのない焦りに、スバルの肩に触れようとした。
「っ……」
だが、尻尾の一つに差し出した手を痛いほどに弾かれた。
少し痛む手を摩りながらスバルを見れば、白い光を放っている。
膝立をしたスバルの顔が天井に向く。
そして、身体が――――浮いた。
最後までベッドに付いていた爪先も浮き、膝まで落ちていたズボンが小さな衣擦れと共にベッドへ落ちる。
両腕を背後ろへ突っぱね、ぐぐっと背中を反らせると、上着が背を滑り、はらりと落ちて手首で引っかかった。
ふわりと四方八方に長い髪が宙に散り、上着までもゆらゆらと宙を漂う。
それは、まるで―――……。
「天人様……」
フィーネが呟きに、アルベルトはスバルを目を凝らしてじっと見つめながら頷く。
九つの尻尾と獣耳を除けば、ローエン王国やアイリ国の古くからの話にある、羽衣で天上を飛ぶ天人――天人は服を着ているが――の特色に似ていた。
* * *
『いい、スバル。良くお聞き』
そう言って抱き上げてくれたのは、今は亡き母。
憂い顔に、小さな手が触れた。
『貴方は、男と安易に身体を重ねてはいけません』
幼子のスバルにするには早すぎる話。
案の定、意味がわからずスバルは首を傾げるが、母は戦巫女の顔で続ける。
『口だけでもいけないわ。でも、もし……』
そこで一旦、言葉を切った母は、母親の慈愛に満ちた微笑みをして、優しくスバルの頭を撫でる。
『もし、貴方が心から愛し愛されるような男ができて、肌を合わせたいのならそうなさい』
愛されなさい。
幸せになりなさい。
そして、どうか。
どうか――――。
『そうすれば、その男は……』
母の唇は動いているが、音は聞こえなかった。
――――お母さん。何て言っているの?
スバルは疑問に思ったまま、急激に浮上する意識に問うことはできなかった。
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