第4話:理由2


ミナシア王国は、一人と一匹からはじまった。


その一人は、ローエン王国の戦巫女の妹。


一匹というのが、雄の虎だ。


どうして捨てられたのかはわからなかったが、親の保護もなく弱り切った子供の虎を見つけた戦巫女の妹が保護をした。


虎は、献身的に看病され元気を取り戻した。


そして、戦巫女の妹に拙くも「ありがとう」と人間の言葉を発したのだ。


その話を妹から聞いた当時の戦巫女は、ローエンから遠く離れた地にあるカンデリフェラの者と見当を付け、カンデリフェラへ問い合わせた。


問い合わせから二ヶ月後、知らせを受けてカンデリフェラから使者が来た。


だが、カンデリフェラから使者は、これはカンデリフェラの者ではないと判定した。


何故ならば、虎の背中には羽が付いていたからだ。


それから、戦巫女の妹は虎を友として過ごすようになった。


だが、この一人と一匹は、言葉を交わすたびに魅かれあって行く。


成体となった虎と戦巫女の妹が、より深い場所で愛を確かめたいと思うようになる。


カンデリフェラの者と似ているのだから、人型にはなれないのかと虎は試してみたものの、虎は虎のままでしか居られなかった。


抱いて欲しいと戦巫女の妹は、虎に泣きながら懇願した。


獣型と人間が、カンデリフェラでは交わることがあると聞いたことがあるからと―――…。


虎は、戦巫女の妹の望む通りにはできない。


『貴女を抱ければ、どんなに嬉しいことか。だが、私の爪や牙は鋭く、貴方を傷つけるかもしれない』


愛しているが故に、虎は己の持つ凶器を恐れていたからだ。


嘆く一人と一匹に、戦巫女が見かねて『まだ、誰の物でもない土地を目指しなさい』と命令した。


とうとう、戦巫女の怒りにふれたかと項垂れる賢い虎と、姉の言葉に悲しみ涙する戦巫女の妹。


『虎の白虎(びゃっこ)に似て、白虎であらず。ならば、狐である白狐(びゃっこ)が化かし、貴女方の望む形にさせましょう』


そう女神のような慈悲に満ち満ちた微笑みをしながら、言葉遊びをした戦巫女は、白の強い光に包まれる。


その光が弱まると、戦巫女が居るはずのそこに、尻尾を三つ持つ白狐が現れた。


驚く虎に、白狐は口を開き、


『義弟よ。わたくしと血を分かつ妹を愛した者よ。わたくしの力があれば、貴方は人型になれる』


と告げる。


すると、虎は白い光に包まれた。


そして、光が消えると琥珀の髪にそれと同じ色の瞳、そして羽を持つ男になった。


『人が手をつけていない地を耕し、国を創りなさい。その祝いに、貴女方の二人が寂しくないよう人と獣であるが故に、交わることが出来ないと嘆く者達に、わたくしの力を貸そう。そして、その者達と国を豊かにして行きなさい』


『だけれど、良くお聞き』と戦巫女は子供に言い聞かせるよう言う。


『わたくしがこの世に居なくなれば、獣を人型には出来ない。わたくしが特殊だ。わたくしは、尻尾を三本持つ白狐となれるが、娘にはその力がない』


だから、気をつけなさい。急ぎなさいと、戦巫女が告げるままに、一人と一匹は荒れた野原や森を耕し、人と獣を集め国を創った。


こうして、ミナシア王国が出来たのだ。






* * *





本を閉じテーブルに置いたアルベルトは、また床に跪いてスバルを見上げる。


「これは、ミナシア王家にしか伝えられていない。そして、三つの尻尾を持つ戦巫女―――《三つ尾(みつお)の戦巫女》が亡くなり、今現在、その恩恵は衰えはじめた」


「どのようにですか?」


スバルは、何かを見極めるような目をアルベルトに向け訊ねた。


「獣型か人型か、どちらか一方にしかなれない子供が生れるようになった」


「それと、《三つ尾の戦巫女》の力とどのような関係が?」


「……先程の本には書かれてはいないが、王家のみに代々言い伝えされてきた《三つ尾の戦巫女》の言葉がある」


そしてアルベルトは、朗々と暗唱する。


「"交わり、生まれた子供はカンデリフェラと同じく、獣型にも人型に変化が可能になる。だが、わたくしの力は無限ではない。生まれた子供が、獣型か人型にしかなれない時が目印。何代後かわからぬが、その時は王が戦巫女の権限を有する者を番(つがい)として迎えなさい"」


そこで言葉を切り、アルベルトはスバルの両手をとった。


「"次は神の祝福で、わたくしの力が無くとも永遠に獣人の国と成りましょう"―――そして、貴方が来てくれた」


キラキラと輝く空を思わせる瞳が、眉間を寄せているスバルを映し出している。


「それは、わたくしでも……男の身でもよろしいのでしょうか?」


「ああ。《三つ尾の戦巫女》の先代が、貴方のように戦巫女をされていた。《三つ尾の戦巫女》も想定内だろう。現に、《三つ尾の戦巫女》が言ったのは"戦巫女の権限を有する者"だ」


「わたくしは、子は生せませんが」


「ローエンへ手紙を書く前に話し合い、私の弟達がその任を負うことになった」


「側室を持たないという事ですか?」


「貴方が、俺の番になってくれるだけで嬉しい」


嬉しいとは、どういう意味なのか。


ふと疑問に思ったが、アルベルトが側室を持たないというほどに《三つ尾の戦巫女》に憧れを抱いているのだろうとスバルは、一人納得をした。


スバルは、アルベルトの話を根拠なしに信じた訳ではない。


実際に、ローエンの王位継承権を持つ者達のみに言い伝えられている話に、《三つ尾の戦巫女》の名が存在するからだ。


アルベルトに聞いた話は知らなかったが、不思議な術を使っていたという《三つ尾の戦巫女》ならば出来ただろうと納得する。


そして、澄んだ瞳で真っ直ぐに自分を見上げてくるアルベルトを信じてみようと、スバルは思った。


それでも、スバルは確認せずにはいられない。


「では、ローエンや隣国には何もなさらないのですね?」


「ああ! 貴方にもローエンにも感謝することがあっても、害をなそうとは少しも思っていない!」


信じてくれというように必死に見上げてくるアルベルトに、スバルは肩の力を抜いた。


では、手紙を見た時に思っていた、ミナシアが助けを求めているという自分の考えは、合っていたんだ。


早とちりしてしまった……。


申し訳ないという気持ちが、スバルの心を埋め尽くす。


大きな手に包まれている両手、それで握り返した。


「アルベルト陛下、疑ってしまい申し訳ありません……」


頭を下げた拍子に、予想しなかった涙が目から零れ、スバルの頬を伝う。


(あれ…? 俺、どうしちゃったんだろう……)


申し訳なさに、泣いているのではないのだと思う。


幾度となく戦巫女として苦労していても、泣くことがなかった。


なのに何故、今になって自身が涙しているのかわからない。


疑問は二点。そのもう一つは、男であっても良いのかという質問だった。


その事が発端で難癖をつけられることも、戦巫女の自分を人質にし、ローエンや隣国を脅かすことはないのだと言われて、緊張から解放され安堵してしまったからだろうか?


人質といった切迫した状況に陥ったのは一度きりで、場慣れしていないことの未熟さからか。


スバルは、戦巫女として五年過ごしたというだけで、胸を張っていた自分を恥じた。


「貴方は、何も謝ることはない。俺が全て悪い。だから、泣くな。泣かないでくれ……」


アルベルトはがるると唸るような声を出し、怪我をしたのではないかというほどの苦痛の表情をする。


「貴方に泣かれると、俺はどうすれば良いかわからない」


触れると壊してしまうのではないかと恐れる大きな手が、静かに涙を流すスバルへと向かう。


濡れた頬に男らしい指でそっと触れられ、スバルは大丈夫なのだとアルベルトへ懸命に笑った。


泣き笑いになってしまったことを自覚したスバルは、耳も髪の毛も―――おそらく、尻尾もぶわりと逆立てたアルベルトを見た。


その次の瞬間、スバルは温かい何かに包まれ、目の前が暗くなった。


スバルは訳がわからずにいたが、尻に感じていたふかふかのクッションから、硬い何かに変わったことだけは気付く。


背中を優しく擦られ、拘束されている感覚に、もぞっとスバルが身を捩れば上から光が射す。


それに導かれるように上向けば、獣のような鋭さのある目を柔らかく細めた、アルベルトの顔があった。


スバルは、左腕に背を支えられ、膝の上に横向きに乗せられて、抱き締められている。


周りを良く見れば、スバルが尻に敷いていたはずのクッションが、床に落ちていた。


すごい早業だ。スバルは、感心した。


視線をアルベルトへと戻すと、大胆な行動と反対に、真面目で直向きな瞳と合う。


ああ。とスバルは納得した。


アルベルトの率直に生真面目に、初対面からスバルに甘いから、甘えてしまうのか。


(爺達よりも、甘いかも)


先の戦巫女だったスバルの母が病に伏すまで、周りの過保護なのもあって、スバルは甘えたがりになっていたのかもしれない。


悪いことをすれば、何故これが悪いのかわかるまで諭すことはローエンの城の者達はスバルにしたし、母親に尻を叩かれた思い出もスバルにはあるが……。


だが、こんなにも甘い雰囲気で接しられたことは、スバルにはあまりなかった。


(泣きやまないと……)


スバルは自身を落ち着かせるように、ヒクッと息をしてから深呼吸をする。


宥めるように、大きな掌がスバルの頬を覆い、濡れた下瞼を親指が優しく拭った。


そんな時、扉を叩く音がして、部屋の主が返事をする前に扉が開く。


「王よ。大人しくして……いないな」


取っ手を持って扉を開けたまま部屋に一歩入った形のリクは、部屋内の状況に無表情を驚きに染めた。


「あの、王が。浮いた噂があまりなかったあのアルベルト王が、ついに、狼さん」


「えっ、どういう…?!」


リクの脇腹あたりから顔を出したフィーネは、振り向いたスバルが泣いていたことに気付く。


そして、アルベルトの膝上に乗せられていることも……。


すぐさま、軽蔑するような表情をアルベルトへ向ける。


「おのれ、ケダモノめ!」


この国の王を殴ることも出来ずに、フィーネは結婚前のスバル様に手を出し泣かせるなんて! と地団太を踏む。


ハンカチがあれば、歯と手で引っ張りそうな怒り具合だ。


「これは……尻に敷かれるな。王よ……」


フィーネの行動にきょとんとするスバルと、何故か幸せだというような雰囲気を放っているアルベルトを交互に見たリクは、ぽつりと諦めたように小さく呟いた。

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