13. オレがオレにされる前
鏡の中に、白衣を着たガキがいた。生意気そうな面だ。
小さな手で目の周りを擦った。オレも目を擦っている。
——こいつ、オレ、か?
白い部屋。音がない。息が詰まりそうだ。
オレの意思じゃ足は動かない。 ……ホントにオレか?
どこだよ、ここ。
けど、体の方は覚えているらしい。
「これは、お前の記憶なのかよ?」
オレは、記憶の主に訊ねてみた。何かいる気配はある、けど、返事はない。
ただ、ノイズみたいな雑音が時々耳に入り込んでくる。
「黙ってんじゃねーよ! いるんだろ」
叫んだら、辺りが暗転して、周囲に景色が浮かんできた。
薄暗い壁、取っ手のないドア。床に何か黒いものが落ちている。
壁を背に座り込むオレ。何故か左手の震えが止まらない。
堅くて、ヌメヌメした手の感触。手放すと、カラーンという金属音をさせ近くに転がった。
壁の向こうから何人もの乱暴な足音。すぐにドアが開く。部屋に落ちていた黒いものに、光が当たる。
黒いそれ——人間だ。
痙攣して小刻みに動く手足。見開いたまま動かない目。どれもオレとそんなに変わらない年格好に見える。
光を遮るかのように、ドアの向こうから影が伸びた。
オレは、声をあげながら立ち上がろうとして、滑ってその場に尻餅をついた。柔らかく練り過ぎて、握ることもできなくなった粘土みたいなそれは、どうやら血らしかった。
喉元から叫び声が漏れかけるのを、強引に奥歯を噛み締めて呑み込む。
半狂乱で、それでも立とうとする。手には、赤い泥がこびりついていた。
その一方で、オレはイラついていた。こんな所で足止めを喰ってる場合じゃなかった。
オレにしかできない事だ。……早く行動に出なきゃ。
……これが、あいつ——もう一人のオレが見てきた世界かよ。
だったら、なんでオレ、今ここにいるんだろ? 司や京子たちと、学校行ってるんだろ?
戦うスキルなんてこれっぽっちもないのに、あれがオレだって言われても……ピンとこねぇ。
『……逃げてきたんだよ。キミの望んだ時間に』
ノイズに混じって、女の声がする。
誰の声かは、なんとなくわかっていた。……綾乃、だろ?
『今のが、キミになる前のショースケの記憶。……いじってると、どうしても出てきちゃう』
待て。……いじる、ってなんだ?
——記憶、いじられたのか?
オレにこんなもん見せて、どうしたかったんだよ。
「怖ぇわ、痛ぇわ、ヤバいもん見せんな」
下手なホラーゲームなんかより、全然グロくて、視野が暗転を繰り返す。まだ手に感触が残っているみたいだ。
……でも、あの中でオレは、次に取る手段が何も湧かなかった。
怖いのも痛いのも、感じはした。
でも、どう逃げようとか、こう応戦しようとか……。あいつは必死なのに、オレは一歩引いたところで見ていた感じ。
「こう、モヤっとすんだよ。動画無理矢理見せられてる感じでさ」
『動画? 面白い事言うよね。以前の将介にはない発想』
動画くらいしか言い方が浮かばねーんだよ。
奴はあの状況から切り抜けたんだろ。
「オレなら即詰んでる。あれからどう逃げたんだよ」
『動画の感想? 他人事みたいだよ』
「そんな感じ。オレが考えなくてもどんどん話が進んでいくんだ」
しばらく置いたあと、綾乃の声が降ってきた。
『当事者の感覚が、消えちゃったのかも?』
それかな? 当事者。オレからそれが抜けてるから、何も感じないのか。
感じたのは、ただ一つ。
やらなきゃいけない何かがある——それだけだった。
焦りと、怒りみたいなもんと、悔しい気持ちと……そこだけは体の奥の方に熱を持ってて、オレ自身のその時の感情、って気がした。
オレ、あの時何をしようとしていたんだ?
『みんなそんなもんじゃない? 必要なくなったら、いらないものは忘れちゃうからね』
次の瞬間、目の前に空が広がった。辺りが眩しい。
それまで耳に流れ込んでたノイズが消えて、風の音がした。
……空って、あんな白かったっけ?
現実に戻ったのか? なんか、頭ん中がふわふわする。
背中に、綾乃の体温を感じる。……抱きかかえられてる?
振り返ろうとした時、綾乃が尋ねた。
「ねぇ。……本来いた世界があそこだとして」
一段静かな声で言う。
「板橋くんは、あそこにいたいと思う?」
冗談。考えるまでもねーわ。
でも……即答はできなかった。
「思うわけ、ねぇじゃん」
「……だよね」
綾乃は口元に笑みを浮かべた。
間違ってもあそこにいたいとは思わねぇ、……けど。
「あいつらの世界はどうなっちまうんだ? あの後は?」
「心配しないで。キミは、京子ちゃんや、司くんの知っているキミのままでいいから」
一拍置いて、綾乃は言う。
「じゃあ……キミは、ここにいたい?」
思わずオレは振り返った。言わなくても答えはわかってる。そう目が言っているようだった。
咄嗟に答えようとして、オレはその言葉を呑み込んだ。
ここにいたい。
たった一言なのに、なんでこんな罪悪感感じなきゃなんねーんだよ?
幾つものここにいちゃいけない理由が、頭をぐるぐる巡った。
やらなきゃいけない何か。置き去りにしちゃダメだ。
けど、いまのオレじゃどうしようもねぇ。
見ないフリしてここに居座ろうとしているオレは、もっとダメだ。
___________
ここまで読んで下さった方、
読むのに時間使ってくれてありがとうございます。
将介が飲み込んだ怖さや覚悟、少しでも胸に残ったなら、ぜひ感想や星で声をお聞かせください
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