第72話 教会学校 特別クラス
――うーん、やらかした。
聖女の部屋を出たのはいいが、完全に迷った。
戻るだけのはずなのに、肝心の魔法陣の場所がどこにも見当たらない。
延々と続く赤い絨毯。
まるで出口のない回廊を彷徨っている気分だ。
「――なんじゃ、貴様」
突然、背後から声がした。
しかも、その声は驚くほど可愛らしい。
振り返ると、そこには幼女が立っていた。
背は低く、メディナよりさらに小さい。
だが、絹のように艶めく白銀の髪が光を反射し、彼女の存在をひときわ際立たせていた。
「お前も迷子か?」
「なんじゃと!? 迷子はお主のほうじゃろう!」
「はは、ごめんごめん。じゃあ一緒に出口を探そうか」
「な、なにをするのじゃ! こ、これは――」
ちんまりしていて、やたらと可愛い。
子供は得意じゃないが、なぜかこの子には妙に惹かれる。
気づけば俺は、彼女を肩車していた。
小さい子は高いところが好き――そんな経験則からの行動だ。
「どうだ、意外といい眺めだろ」
「ふむ……お主、強引ではあるが悪くない。我の家臣にしてやっても良いぞ」
「じゃあ今日はお前の家臣ってことで」
「ふぬ。なかなか響きが良いのう。――ならば進め、下僕よ!」
「今、格下げされた気がするんだけど……?」
家臣と下僕は全然違うだろ。
それにしても、この幼女――この場所に出入りできるってことは、相当な身分の子じゃないか?
まさか教皇の娘……? いや、そんなわけないか。
あまりに自由奔放すぎる。個人的にはもっと清楚なイメージだ。
「お主、何をしておる。右じゃ、右!」
「こっちか。お前、けっこう詳しいじゃないか」
「お前ではない、我の名はネメシアじゃ!」
「ネメシアか」
「うむ。して、お主の名は?」
「俺はシュウだ」
「シュウ……ふむ、覚えておこう」
そんなふうに名前を交わし、肩車のまま廊下を進む。
だが、ネメシアの案内は心もとない。結局、出口まではたどり着けなかった。
「おい、全然出られねぇぞ!」
「し、知らぬ! いつもはジイジが案内しておるのじゃ! 道など覚えておらん!」
「やっぱり迷子じゃねえか」
「う、うるさいっ! 迷子に迷子呼ばわりされとうない!」
理不尽で、子供らしくて、どこか憎めない。
ポコポコと叩かれる頭も、妙に愛嬌があった。
さらに十分ほど歩き回ったあと、ようやく転移魔法陣を発見した。
ネメシアは「ここまででよい」と言う。
「本当に大丈夫か?」
「ああ、我をここまで連れてきたこと、褒めて遣わす」
「へいへい。じゃあな」
「…………うむ」
腕を組み、そっぽを向きながらも、どこか嬉しそうだった。
俺は軽く手を振り、ネメシアと別れて宿へ戻った。
◇◇◇
翌朝、俺は一人で教会学校へ向かった。
イリスは同行しない。しばらくはハラマリアのもとへ通うらしい。
「――昨日も来たシュウ・ミレイスターだ。編入の手続きは通ってるはずだが、案内を頼めるか?」
「はい、聞いております。では、こちらへどうぞ」
昨日も見かけた修道服姿の女性職員が、俺を先導してくれる。
案内の途中、ちょうど一人の男性が廊下の角を曲がってきた。
「レーベン先生。例の編入生です。あとはお願いできますか?」
「問題ない。――私はレーベン・オカルト。特別クラスの担任をしている。シュウくんだったね、これからよろしく頼むよ」
少し気の抜けたような雰囲気の男だ。
年の頃は四十前後、天然パーマ気味の長髪を後ろで束ねている。
修道服は教師用のものらしいが、シワだらけでくたびれていた。
「こちらこそ、よろしく頼む、レーベン先生」
軽く挨拶し、俺は先生とともに教室へ足を踏み入れた。
「――はい、静かに。今日からこの特別クラスに新しい生徒が入る。自己紹介をお願いできるかな」
教室は階段状になっていて、五段の段差に机が並ぶ造りだ。
生徒は十五人ほど。少数精鋭という感じで、空席もちらほらある。
その中に、見覚えのある顔が二つ。
「シュウ・ミレイスターだ。十七歳。まだ分からないことばかりだが、よろしく頼む」
自己紹介を終えると、教室はしんと静まり返った。
が、その沈黙を破ったのは二人の少女だった。
「まさかお主と同じクラスになるとはな。運命とは奇妙なものじゃ……」
「あなたは……っ」
一人は、昨日ルミナパレス大聖堂の特別空間で出会った幼女――ネメシア。
そしてもう一人は、森で野盗に襲われていた第三王女・アリーシャだった。
ネメシアがこの学校に通っていることも驚きだが、王族のアリーシャまでいるとは。それにしてもネメシア、年齢いくつなんだ……?
「はい、ちゃんと拍手しましょうね〜。では、シュウくんはあちらのカナンくんの隣に座ってください」
カナンと呼ばれた生徒は、アッシュブラウンの髪を整えた中性的な美少年だった。
穏やかで優しげな目をしている。
「僕はカナン・アルトリア。神殿騎士見習いをしてるんだ。シュウくん、よろしくね」
「カナンか。こちらこそ、よろしく頼む」
神殿騎士見習い――ここには、各自が目指すジョブを学ぶ生徒が集まっていると聞いていた。そうなると、俺は何扱いなんだろうな……。
「あ、シュウくん。あっち、見て」
「ん?」
カナンが指差した方には、一人の女の子が座っていた。
「みゅみゅ、みゅみゅみゅみゅっ……」
「え?」
「ふええええ〜〜!? ご、ご挨拶がうまく言えないですぅ〜〜っ!」
なぜか突然泣き出した。
俺、何もしてないよな?
「あはは……彼女は人見知りなんだ。でも仲良くしたい気持ちはあるから、優しくしてあげて。名前はミュウミュウ・ニャアズ」
「ミュウミュウか。よろしくな」
「よ、よよよよよっ……よろしくですっ!?」
反応があまりにも素直で、つい笑ってしまう。
ピンク色の長髪に、修道服の上からでも目立つ豊かな胸――どう見ても目立つタイプだ。
「――さて、今日は編入生もいることだし、教会の歴史を復習しようか」
レーベン先生は見た目こそだらしないが、授業には手を抜かないらしい。
教会の歴史――少し興味が湧く。
もしかするとアルテミシアが人間だった頃の話など聞けるのだろうか。
「シュウくんはまだ教科書がなかったね。明日には用意するから、今日はカナンくんから見せてもらってくれ」
「カナン、いいか?」
「もちろんだよ!」
カナンが椅子を少しこちらへ寄せる。距離が縮まった瞬間、ふわりと甘い香りが鼻をくすぐった。
美少年であることは間違いない。だがそれ以上に、どこか中性的で――まるで女の子みたいに、いい匂いだった。
「あはは……ごめんね。ボク、教科書にけっこう書き込んじゃうタイプで……見づらいとこがあったら、遠慮なく言ってね?」
「ああ、カナンは優しいんだな」
「そ、そんなことないよ。ボクは普通さ。ほら、ここからだよ――」
彼の教科書には、細かな文字や注釈がびっしりと書き込まれていた。几帳面で、勉強熱心なのが一目でわかる。
この日の授業では、王都エインフィリアの成り立ちと、ミシア教会の創設の歴史について学んだ。
だが、その中には――アルテミシアが人間だった頃の記述は一切ない。
実は人だったなどと知る者は、もうこの世に存在しないのかもしれない。
そもそも、アルテミシアと女神像の前で会話できるのは、俺だけなのかもしれない。
本物の声を聞いたことのある人間など、そう多くはないはずだ。
◇◇◇
「ん、ん〜〜〜っ」
最初の授業が終わり、俺は軽く伸びをした。
「シュウくん、疲れるの早すぎだよ?」
「ああ、悪い。こういう座学って久々でさ……慣れてないんだ」
「へえ、そうなんだ」
体を動かさない授業というのは、意外と疲れるものだ。
カナンと雑談を交わしたあと、俺は席を立つ。
そして、教室の前の席に座る一人の少女の前に立った。
一応、顔見知りだ。挨拶くらいはしておかないとな。
「アリーシャ。よろしくな」
「…………」
……あれ? 聞こえなかったか?
「聞こえてるか?」
「……ふんっ。勝手に私に話しかけないで、この愚民っ!」
「…………え」
おいおいおいおい!
なんだこの態度の変わりようは!?
俺、君を助けたんですけど!?
別に見返りを求めてたわけじゃないけど、もう少しこう……あるだろ常識的な反応が!
もしかして、俺が助けたことに気づいてない?
<完全解呪・反転>は外から見ても何が起きてるのか分かりづらいし、仕方ないのかもしれないけどさ……。
アリーシャはツインテールを揺らし、ぷいっと顔を背けた。
どうやら俺とは仲良くする気ゼロらしい。
自分では多少マシになったと思っていたが、どうやら俺のコミュ力ではアリーシャとは分かり合えないようだ。
「……いきなり嫌われたな」
「あはは。アリーシャ嬢はこのクラスでも特別だからね。しかも王女様だから、なかなか心を開かないんだよ」
なるほど。王女という身分は周知の事実らしい。
それでも、相手によってここまで態度を変えるのはどうかと思う。
イリスやセイラにはあんなに丁寧だったくせに。
「ってことで、俺は幼女と絡んでくるわ」
「えっ、シュウくん!?」
次に向かったのは、ネメシアの席。
彼女は一人で座っており、どこか退屈そうに窓の外を眺めていた。
「よう、昨日ぶりだな! まさか教会学校に通ってるとは思わなかったぞ」
「ふっ。我も驚いたぞ――って、な、何をするのじゃ!?」
「ほら、たかいたかーい! ネメシアは高いとこ好きだろ?」
「なっ、うわあ!? や、やめぬかバカモノ! 子供扱いするでないっ!!」
「ちょっとシュウくん!? ネメちゃんに何してるの!?」
昨日は肩車で大喜びだったから、もっと喜ぶと思ったんだけどな……どうやら違ったらしい。
「ぜ、ぜえ……貴様、やりすぎじゃ……我は子供ではない――こう見えて十四歳なのじゃ……」
「いや、子供だろ……てか十四歳? 十歳の間違いじゃ?」
「我は身長が低いだけじゃ! 少し動くだけで疲れるのじゃ。もっと丁重に扱え」
「そうか、なら優しくしないとな」
「ふぬ。わかればよいのじゃ」
ネメシアはメディナと同い年――十四歳。
見た目よりずっと大人らしいが、言動はやっぱり子供っぽい。
……しかし、教会学校って年齢あんまり関係ないんだな。
俺は十七歳。他のみんなも大体同年代に見えるけど――
その時だった。
「――おい、てめぇ。調子に乗んなよ?」
不意に声をかけてきたのは、きっちりと修道服を着こなしている男子生徒だった。
ずっと俺の様子を黙って見ていたらしい。
「俺はガイツ・リーケルト。学校に通いながら助祭の地位にいる。俺の前で勝手な真似はするな」
「へえ、偉いんだな」
短めの茶髪、どこか自信に満ちた目。
助祭といえば、一般教徒の一つ上の階級。
そういえば、エリナも学校似通いながら教会の仕事をしていたなんて言ってたな。
「そうだ、俺はすごい奴なんだ。だから目立つようなことはするな」
「ほどほどにしておくよ」
「ふんっ……ちなみにお前、回復魔法はどの程度だ?」
「ん、下級まで。最近<ピュリフィケーション>を覚えた」
以前は<ヒール>しか使えなかったが、ハレスでの鍛錬のおかげで一歩前進した。
「はっはははっ! 下級だと? 編入生様は本当にザコだな。な、ダッド、モリス!」
「ガイツさんに向かって図が高いぞ!」
「そ、そうだ! 僕も下級までしか使えないけど……!」
こういう取り巻きタイプ、はじめてみた。
たぶんこのクラスではガイツが一番の実力者って扱いなんだろう。
とはいえ、回復魔法だけで優劣を決めるのはどうかと思うが……まあ、本人が気持ちよくしてるならいいか。
昔の俺なら確実にキレていた。
けど今は、ある程度自分の実力も分かってるし、中身の年齢のせいか、前世の頃よりは落ち着いている。
そんな相手にいちいち怒る気にもなれない。
――とはいえ、もう完全に目をつけられたな。
教会学校での生活、早くも波乱の予感しかしない。
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