第70話 編入手続き

 ――翌朝。俺たちはそれぞれ別行動をとることになった。


 俺はイリスとともに教会学校へ。

 他のメンバーは自由行動、という形だ。


 王都エインフィリアは、ハレスの数倍もの広さを誇る。

 貴族を含めた住民の数は十万を超えるらしい。

 前世の感覚ではそこまで多くはないが、この国では一番人口の多い都市だという。


 王城は北地区の中央にそびえ、大聖堂は西地区に。

 そして、俺たちが向かう教会学校もその西地区にあるらしい。


 西地区へ足を踏み入れると、まず目に飛び込んできたのは――まるで城のような巨大建築だった。ステンドグラスの光が朝陽を受けて反射し、建物全体が輝いている。


 イリスの話では、あれがルミナパレス大聖堂と呼ばれる建物だという。

 他の都市の大聖堂は、偉大な伝道師の名を冠しているが、王都のそれだけは例外らしい。

 パレス――つまり宮殿。その名の通り、威厳と神聖を併せ持つ壮麗な建物だった。


 そして、そのルミナパレスの敷地から少し離れた場所。

 高い壁と柵に囲まれた区画があり、そこに――教会学校があった。


「……でけぇな、これ」

「当然です。教会学校は、この国では王都にしか存在しませんから。全国の信徒がここを目指すんですよ」

「ってことは……俺が編入したら、けっこう浮くんじゃね?」

「うーん……どうでしょうね。ただ、普通は試験を受けて入るので、編入は珍しいかもしれません」

「マジか……。てか、この世界って教会学校以外にも学校あるのか?」

「もちろんです。一般教養を学ぶ学校もありますし、魔法大学も存在しますよ」


 魔法大学……。

 聞くだけでワクワクする響きだ。ちょっとそっちに行ってみたかったかもしれない。

 でも、もう決めたことだ。今さら迷っても仕方ない。

 問題は――変な目で見られないことを祈るだけ、か。



 ◇◇◇



「こんにちは――突然ですが、学校長にお取り次ぎ願えますか? 聖女候補のイリス・カーネリアが、アラスター・ランドレース枢機卿より書簡を預かっておりますとお伝えください」

「イ、イリス様!? まさかご本人が……! い、今すぐ校長にお繋ぎしますので、少々お待ちください!」


 修道服を着た若い女性職員が、イリスを見るなり慌てて姿勢を正した。

 その対応の丁寧さに、改めてイリスの地位の高さを思い知らされる。


 それから十分ほどして、俺たちは校長室へと案内された。


「――入ってください」


 ノックの音に続いて落ち着いた声が返る。

 イリスが扉を開けると、そこには俺の記憶にある校長室らしい空間――大きな机と書棚、整然とした調度品が並ぶ部屋が広がっていた。


「お久しぶりです、校長先生。お元気そうで何よりです」

「ええ、イリス様こそ。しばらく見ぬうちに、ずいぶんと凛々しくなられましたね」


 旧知の間柄らしく、二人は柔らかい笑みを交わす。

 校長は白髪を後ろで束ねた老婦人で、眼鏡の奥から穏やかな知性を感じさせた。


「さて……本日はどのようなご用件でしょう? そちらの少年が関係しているようですが」

「察しが早くて助かります。こちらをお読みいただけますか?」


 イリスが一歩前に出て、アラスター枢機卿からの推薦状を差し出す。

 校長は受け取ると、静かに目を通しはじめた。


「……シュウ・ミレイスター、ですか」


 俺の名を小さくつぶやき、校長の視線が手紙から俺へと移る。


「その金のロザリオ……あなた、まさか……」

「もしかして、ミゼットのことを知ってるのか?」


 俺の姓とロザリオ、そして校長の年齢からして、察しはついた。


「ふふ……懐かしい名です。彼女は、私の青春の一ページに刻まれた人ですよ」

「そうか……俺はそのミゼットに拾われて育ったんだ。親代わりみたいなもんだな」

「やはり……。あなたの名を見て、すぐに分かりました。今では知る者も少ないですがね」


 校長は遠い記憶を辿るように目を細めた。

 ――もしかして、ババアってこの学校の出身だったのか?


「ミゼットは私の学友でした。正式に聖女となってからは疎遠になりましたが……彼女がいたおかげで、毎日が刺激的でしたよ」

「へぇ……いい友達だったんだな」

「ふふ、そうとも言えません。彼女は信念に反することがあれば、暴力で解決しようとする人でしたから」

「いや、マジかよ……てか、俺の知ってるババアと一緒だわ……」

「ははは……変わらないんですね。聖女を辞めてから消息を絶ったと聞いていましたが、元気で何よりです」


 どうやら昔からの暴力ババアだったらしい。

 もっとも、加減を知らないだけで、悪意はない……たぶん。


「――さて、編入の件ですね。枢機卿様からの推薦となれば、断る理由はありません」


 どうやら無事に受け入れられそうだ。


「ただ、今空きがあるのは特別クラスのみなのです」

「特別クラス?」

「はい。通常は成績によりAからFまでのクラスに分かれますが、その枠に収まらない、少し……特殊な生徒たちの集まりです」


 つまり、変わり者の寄せ集め、ってことか。

 ちょっと嫌な予感しかしない。


「まあ、そこしか空いてないなら仕方ないか」

「実力が認められれば上位クラスへ昇格も可能ですが、特別クラスからの移動は基本的にありません。その点だけご理解を」

「了解。別に問題はない。事情があるんだろうし」

「さすがはミレイスターの名を継いでいる方。枢機卿様もあなたを絶賛されていました。どんな活躍を見せてくれるのか、楽しみです」


 おい豚……何書いたんだよ。

 推薦状の中身を知らないだけに、余計に不安だ。


「それと、寮の件ですが――入寮でよろしいですね?」

「はい、問題ありません」


 なぜかイリスが即答する。

 この学校の生徒は原則として寮生活らしいし、俺も覚悟はしていた。


「ちなみに、使用人の帯同は?」

「……使用人?」

「貴族の生徒も多くおりますので、身の回りの世話をする者を同伴させることが認められているのです。別室にはなりますが、使用人用の部屋もございます」


 意外にも自由な校風だ。もっと堅苦しい場所だと思っていたが、少し拍子抜けする。

 とはいえ、利用できるなら――


「必要になったら、その時に伝えるよ」

「では、そのようにしておきましょう」


 話がまとまり、俺たちは踵を返す。


「ああ、申し遅れましたね。私は教会学校の校長、アマンダ・レグリナント。これからよろしくお願いしますね、シュウ・ミレイスター」


 優しく微笑む老婦人に軽く会釈し、俺たちは校長室を後にした。

 ――次の目的地は、イリスが紹介してくれる現聖女のもとだ。



 ◇◇◇



 基本的に、教皇と聖女はルミナパレスに自室を持ち、そこを拠点に職務を行っているらしい。

 ハレスの大聖堂を思い出せば、確かに部屋の数は膨大だった。ならば、寝泊まりして働く者がいても不思議ではない。


「こちらの裏口から参りましょう」


 イリスに導かれ、俺は正面ではなく上位聖職者しか通れないという裏口へ向かう。

 扉には指紋認証のような仕組みが施されており、イリスが手をかざすと、魔道具の反応とともに扉が静かに開いた。


 そのまま長い階段を上へと上がっていく。

 途中からは大聖堂の内部を見下ろすこともできず、信徒たちが出入りする区域とは完全に隔絶されていた。


「イリス、アポ無しで突撃して平気なのか?」

「いいえ。ハレス滞在中に手紙を送ってあります。ですから、私たちの訪問は伝わっているはずですよ」

「へえ、そうだったのか」


 あの街には一ヶ月以上いた。

 その間にイリスが手紙を出す機会はいくらでもあったはずだ。


「こちらです――」


 何階まで上がったのかは分からない。少なくとも十階は登った気がする。

 エレベーターのような装置は見当たらず、脚が少し重くなってきた頃――目の前に、不思議な光を放つ魔法陣が現れた。


「え、これって……」

「――転移魔法陣ですね」


 まさかのワードに、思わず息を呑む。

 ドロテイアが転移魔法を使えたのだから、こうした装置があってもおかしくはない。


 イリスと並んで魔法陣の中心に立つ。

 瞬間、視界が白い光に包まれ、次に見えたのは――静寂に満ちた別世界のような空間だった。


 床一面に敷かれた深紅の絨毯。

 誰一人として歩いてはおらず、静かな空気が漂っている。


 イリスは迷うことなく歩き出し、その先に見えたのは巨大な両開きの扉。

 前に立った瞬間、中から澄んだ声が響いた。


「――イリスですね。入りなさい」


 呼びかけるより先に、扉越しにその声が届く。


「はい。失礼します」


 イリスは短く答え、両手で扉を押し開いた。










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