第41話 奇病

 豚顔を見た瞬間、俺は思わず心の中で叫んだ。

 ――まさか、オーク?


 そう思ったのと同時に、嫌な既視感がよぎる。

 そうだ、『醜化』。メディナや街の女たちを豚顔に変えてしまった、あの呪い。

 自分が思う「醜い顔」を相手に付与する呪術。だとしたら……この豚顔、もしや本物のブルドグ本人……? そんな疑念が頭をかすめた。


「……どうかしたか?」

「い、いや。容態を教えてくれ」


 落ち着け。まだ決めつけるのは早い。目の前の豚顔オヤジがブルドグだと断定できる証拠は何もない。まずは話を聞くんだ。


「この顔を、元に戻してほしくてな」

「………………へ?」


 思わず間の抜けた声が漏れた。


「くっふっふ、冗談だ。この顔は生まれつきだ」

「……勘弁してくれよ」


 笑えない冗談を言うんじゃねえ。心臓に悪い。

 まあ、後ろでマリエルが特に反応を見せていないあたり、やはりブルドグ本人ではなさそうだ。


「欲しいのは治療薬だ。私は代理で来ている。セイラ・クローヴァーという患者のカルテがあるはずだ」

「マリエル、探せるか?」

「任せてください」


 マリエルは慣れた手つきで書棚を漁り、目的のカルテを持ってきた。


「……数ヶ月前から寝たきり。体力も魔力も少しずつ消耗し続ける奇病。回復魔法やポーション、治療薬を定期的に投与しなければ、衰弱死の危険……。なんだ、これ……」


 目を走らせた瞬間、背筋が冷たくなる。冗談抜きでシャレにならない。


「一応聞くが、王都にいる聖女は<鑑定>が使えるんだろ? 診てもらったりできないのか?」

「聖女様は非常に多忙だ。それに、セイラ本人が迷惑をかけたくないと強情を張っていてな」

「患者のくせに遠慮なんかするなっての……。でも、病の正体が分かれば薬も作れるかもしれないんだぞ」

「私もそう思うが、これまでの医療記録に症例のない病だ。そう易々と治るものではないだろう」


 目の前の豚顔オヤジは四十は超えていそうな雰囲気。年齢相応の知識や経験もあるのだろう。それでも首を振るのなら、本当に難病なのかもしれない。


「……とりあえず、了解した。治療薬だったな」


 カルテに記されていた処方を確認し、必要な丸薬を取り出して手渡す。

 オヤジはそれを大事そうに受け取り、帰ろうと扉に向かった――が、その直前にこちらを振り返った。


「君は、変わった修道士のようだな。これほど忙しい中で、親身に話を聞いてくれる者は珍しい」

「……あんな病状を見せられちゃ、普通ではいられないだろ」


 俺は修道士というかプリーストだが、本当のことを答える必要もないだろう。

 セイラは今日対応した患者の中で、間違いなく最も厳しい病状だった。

 親身にならずにいられるはずがない。死ぬかも知れないほどの病、それは前世での六花の病気――ガンを思い出さずにはいられないのだから。


 やがて扉が閉まり、治療室には俺とマリエルだけが残された。


「――シュウ。あなたに聞きたいことがあります」

「ああ」


 やっぱり来たか、と内心でため息をつく。

 俺の<ヒール>、いや実際は<完全解呪>についてだろう。だが、ブルドグ派である彼女に手の内を晒すつもりは毛頭ない。


「あなたの<ヒール>は、速度も威力も常識外れです。関節を痛めていた患者まで回復していたでしょう?」


 マリエルは全て<ヒール>の効果と思っているようだ。


「そうだな……。俺にも詳しくはわからんが、俺の<ヒール>は少し特殊らしい」

「……まあ、いいでしょう。今日は初日です。いずれ嫌でもあなたのことを知ることになるでしょうし」


 マリエルはそれ以上突っ込んでこなかった。ただ、眼鏡の奥から訝しげな視線を外さぬままだ。ひとまず今日は凌げたらしい。


「それともう一つ。明日、問診に行きたいんだが」

「もしかして……先ほどのセイラ・クローヴァーですか?」

「ああ。カルテを見ただけじゃ判断できん。直接、俺の目で確かめたい。もちろんこれは俺個人的な訪問だから、治療費なんて取らないでくれ」

「……そのあと、必ず治療院に戻ってお仕事してもらいますよ?」

「もちろんだ」


 普通じゃないセイラの病状。

 俺の勘が告げている――これはただの病ではない。もっと別の何かだ。



 ◇◇◇



 イリスに言われていた通り、俺は治療院の奥にある修道士やシスター用の部屋で寝泊まりすることになった。全員ではないが、最初のうちは泊まり込みで仕事をするのが一般的らしい。

 同じく男の修道士たちと相部屋で、皆一様に疲れ切った様子を見せている。


「お前、新人か? まだだいぶ若いように見えるが」

「色々あってな。マリエルってシスターに連れてこられたんだ」


 ベッドに横になろうとした時、隣のベッドにいた修道士が声をかけてきた。見た目は二十代前半といったところで、この治療院でそれなりに働いてきた雰囲気を漂わせている。


「ああ、マリエルさんか。あの人はちょっと厳しいところがあるけど、大丈夫だったか?」

「最初はそう思ったんだが、結局は特に文句も言われなかった」

「見てたよ。他の修道士たちが次々と魔力欠乏で倒れていく中、お前だけがケロッとしてたな」

「どうも俺、魔力量が多いらしい」

「ははっ。もしかすると、この治療院の救世主になるかもしれないな」

「救世主なんて柄じゃねえよ。やめてくれ」


 男は冗談めかして笑いながらそう言った。以前イリスにも同じようなことを言われたが、俺にはどうにも似合わない言葉だ。人助けはしたいが、名誉や称号が欲しいわけではない。


 こうやって会話をしていると、ブルドグ派だからといって、根本から腐っているようには思えなかった。治療費がどれくらいかかるのかは知らないが、目の前の修道士は真面目に仕事に取り組んでいるように見える。


 だからこそ、俺は気になっていたことを聞いてみた。


「――そのブルドグ大司教について、マリエルから詳しく聞かないままここに来ちまったんだけど……実際どんな派閥なんだ?」

「そうだな。一言で言えば実力主義だな。大司教様本人は金稼ぎに積極的で、自分自身もさらに上を目指している。だからか、その部下である俺たちも頑張った分だけ給金を増やしてくれるし、実績次第で階級だって上げてくれる」


 言葉の調子からして、盲目的に尊敬しているというよりは、会社の待遇がいいから就職している――そんな考えで所属しているように思えた。


「本人に会ったことは?」

「何度かちらっと見たことはある。でも基本的には教会に顔は出さないな」

「それでちゃんと評価が伝わるんだな」

「ああ。上司の評価が段階的に上に上がって、最終的に大司教様にまで届く仕組みになってる」


 なるほど。少なくとも形の上では、実力が報われる仕組みがあるらしい。

 だが、ブルドグに接触できないなら、俺はここに長く留まるつもりはない。情報を得られれば十分だ。


「といっても、俺は単に給金目当てで入っただけさ。だが、シスターの連中は、大司教様に憧れてこの派閥に入ったって人が多い」

「そうなのか……。こんなこと聞くのも変だが、大司教って、まさか豚みたいな顔のヤツじゃないよな?」

「はっはっは! そんなこと言ったら異端審問にかけられるぞ。……いや、冗談だがな。大司教様は聖職者の間でも有名なイケメンだ」

「…………は?」


 あまりにも自分の想像とかけ離れた答えに、思わず声が裏返る。そういえば、イリスから顔については全く聞いていなかった。


「長い赤髪が特徴的でな、甘いマスクに洗練された立ち振る舞い。女性人気は絶大だ。ここの治療院が他の地区よりも女性患者が多いのも、その影響らしいぞ」

「……そう言われてみると、患者は女性が多かったような気がするな」


 ほとんどは老婆だったが、男性はたしかに少なかった気がする。

 だが、どれだけ見目麗しい人物でも、裏で何をしているかは別問題だ。人の評価など、結局は外面でしかないと俺は思った――。



 ◇◇◇



 皆が寝静まった後、俺は尿意をもよおしてトイレに向かった。

 さすが儲かっている治療院だけあって、トイレは驚くほど清潔だ。前世の技術が持ち込まれているのか、形式も完全に洋式便所。


 俺はパンツを下ろして便座に腰を下ろし、小便をしようとした――その時。


「――シュウ様」

「うあああっ!?」


 突如として目の前にイリスが現れた。

 まさかの放尿シーンを真っ正面から見られてしまう。


「お、おまえっ、脅かすな! 止まっちまったじゃねーか!」

「あらあら。何度も拝見させていただいているというのに、まだ恥ずかしいのですか。お可愛いことですね」

「普通は止まんだよ!」


 ジェットコースターでタマヒュンした時のような感覚になり、小便は完全にストップしていた。


「シュウ様がお休みの寝台におられなかったので探しましたら、ちょうどトイレに入っていくのを見かけたものですから、ご一緒に」

「まあ……夜中に来てくれって言ったのは俺だが……。それで? ギルドマスターとの話はどうなった?」


 本来、今夜は情報共有をする約束になっていたのだ。


「はい。ひとまず協力を得られました。ただ、できるのは逃走を図った時に屋敷や教会を包囲するくらいだそうです」

「まあ、現行犯じゃなきゃ逮捕は難しいからな」

「ええ。ですのでメディナ様にも協力をお願いしました。彼女の<隠密>は相当です。地下施設の調査依頼を――」

「……それ、大丈夫なのか?」


 メディナはまだレベルも低く、戦闘経験もおそらく乏しい。鍛冶屋に依頼した特注の武器だってまだ受け取っていないはずだ。


「最初は私も心配でしたが、恐らく問題ないでしょう。そもそも、私がどうやってこの治療院に忍び込んだと思います?」

「え? あ、そういや……鍵は閉まってたよな」

「――メディナ様が解錠してくださったのです」

「……アサシンって、盗賊みたいな真似もできんのか?」


 思わず眉をひそめる。ちなみに俺はいまだパンツを下ろしたままだ。


「通常はシーフの領分ですね。ただ、なぜかメディナ様はその技術をお持ちでした」

「……そういやメディナって、捕まる前は何をしてたか知らねえんだよな」

「過去を捨てて今を生きる方なのかもしれません。そういう人は少なくありませんから」

「……まあ、そうか」


 あんな可愛らしい少女がアサシンなんてジョブを持っている。

 やはり何か理由があるとしか思えない。

 もしかすると、そのジョブの名前通りに暗殺家業をしていて、その途中でブルドグに捕まった――なんてこともあったりするのかもしれない。


「それで、俺からも頼みがある」

「はい」

「この住所の――セイラ・クローヴァーって人物を<鑑定>してくれないか。ブルドグとは関係ないが、体力と魔力が徐々に奪われる奇病らしい。お前にしか頼めない」

「体力と魔力を……? 聞いたことがありませんね……。――承知しました。すぐに調べてまいります」

「悪いな、頼むよ」


 紙を渡し、イリスに診てもらうことにした。

 直接の患者ではないが、重い病ならばこそ俺は放っておけなかった。


「…………ところでシュウ様」

「ん?」

「続きはされないのですか?」

「っ!! 早く行け! お前がいるから出ねえんだよ!!」

「ああんっ」


 俺はイリスを無理やり個室から追い出し、ようやく落ち着いて用を足すことにした。

 だが、見られたことがよほど体に緊張を与えたのか、小便が出るまでしばらく時間がかかった。


 





―――――――


放尿シーンと言えば、美容スキルの作品でもやったなぁ……

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