第28話 VSグレン

 心地よい鈴のような虫の声が小さく響き、ひと仕事を終えた私は、ベッドに身を沈めた。

 隣で眠るシュウ様は、穏やかな寝息を立ててぐっすりと眠っている。


 ――だから、私は。

 旅をはじめてから毎晩続けている日課を、今夜も行おうとそっと身を起こした。


 その時だった。


「――行くか……」


 不意に、シュウ様がむくりと起き上がった。

 寝間着のまま、剣も何も持たずに部屋を出て行ってしまったのだ。


「え……シュウ様?」


 思わず声をかけそうになり、慌てて口をつぐむ。

 胸がざわつく。こんな夜更けに、どこへ行くつもりなのか。


 私はすぐに認識阻害魔法を纏い、足音を殺して彼の後を追った。


 やがて辿り着いたのは、村の中央にある教会だった。

 扉をノックしたシュウ様は、ためらいもなく中へ吸い込まれていく。


「……教会。中にいるのは、あの女性たちだけのはず……?」


 疑念が深まり、私は建物の周囲を静かに一周する。

 すると横壁に小さな窓を見つけた。人の目線の高さにある、覗き見できそうな窓だ。


 そっと身を寄せ、光の加減で気配を隠しながら中を覗く。


 ――見えた。

 橙色のランプの灯りに照らされた広間。

 中央に毛布が敷かれ、その上にはシュウ様と、数人の女性たちの影。


「な、なんですか……これは……」


 目を凝らした瞬間、息を呑む。

 はじまったのは、彼女たちによる奉仕だった。


 服を脱ぎ捨て、肌を寄せ合い、次々とシュウ様の体へ口づけを落とす女性たち。

 その全てを、シュウ様は抵抗せず、ただ受け入れていた。


「そ、そんな……! わ、私だって直接見たことのないのに……ズルい……っ」


 思わず胸の奥からこぼれた嫉妬と動揺。

 頬が熱くなり、全身が火照る。

 だが目を逸らすこともできず、私はただ窓越しにその光景を見続けてしまった。


 シュウ様の裸身。

 その逞しさを、彼女たちは心から慈しむように触れ、唇を重ねていく。

 その表情は切実で、必死で、救われたいという想いに満ちていた。


 ……あぁ、だから。

 彼女たちは、あんなにも強くシュウ様を求めたのだと理解してしまう。


 それでも――


「先に……私に手を出してくれてもよかったのですよ……?」


 胸の中で嫉妬の炎が燃え上がる。

 悔しさと寂しさを押し殺すように、私は自分の体を抱きしめた。

 気づけば指先は無意識に肌をなぞり、抑えきれない熱を一人で慰めていた。


 ◇◇◇


 ――翌朝。


「……お、おかえりなさいませ、シュウ様」


 宿の部屋に戻ると、イリスは既に完璧に身支度を整え、待ち構えていた。

 涼やかな微笑を浮かべてはいるが、こめかみがぴくぴくと痙攣している。


「イ、イリス……?」


 何かを言いかけた瞬間、彼女がぐっと距離を詰めてきた。

 そして顔を覗き込み、くんくんと犬のように俺の体の匂いを嗅ぎ出す。


「ちょっ!? な、何して――」


 俺は思わずのけぞった。

 だがイリスは至極真剣な表情で俺を観察し続け、次の瞬間には小さく呟いた。


「少しげっそりしていますね……それと――<ピュリフィケーション>」


 光が俺を包み、肌に残っていた匂いや痕跡までもが洗い流される。


「っ……!」


 バレてる。

 完全にバレている……!


 イリスは一歩下がり、静かに言葉を紡いだ。


「これで綺麗になりましたね。……私は少し外の空気を吸ってきます。シュウ様は時間まで、ゆっくりお休みください」


 そう言い残し、ドアを閉めて出て行った。


「な、なんだったんだ今の……」


 俺はベッドに崩れ落ち、額を押さえた。

 心臓の鼓動がやけに速い。



 ◇◇◇



「――じゃあ、行ってくる」


 朝の澄んだ空気の中、俺たちは二台の馬車を用意し、グレンたちと共にポワンの村を後にすることになった。


 村の入口では、教会のルエダやエイダ、そして残された女性たちが列をなして見送ってくれている。

 彼女たちは昨日の夜のことで精神的に癒やされたのか、晴れやかな表情をしているように見えた。

 その中で、ただ一人、前に進み出た小柄な少女がいた。――メディナだ。


「あ、あの!」


 声を張り上げた瞬間、彼女は自分に驚いたように肩を震わせ、オドオドと両手を胸に添えた。それでも勇気を振り絞って言葉を続ける。


「わ、私も……連れて行ってくだひゃいっ!」


 最後の一言で噛んでしまい、顔を真っ赤にして俯くメディナ。

 俺は思わずイリスやグレンたちの方を見やり、そして小さく息を吐いた。

 歩み寄り、彼女と向かい合う。


「……メディナ。俺たちがこれから向かうのは危険な道だ。お前を巻き込んでまた酷い目に遭わせるかもしれない。それは俺たちの本意じゃない」


 本心だった。

 村で守られる方が、メディナにとってはきっと幸せだろう。そう思っていたのに――


「私……アサシンなんです」


 唐突に告げられた言葉に、思わず間の抜けた声が出た。


「えっと……え? アサシンって、あの忍者みたいなやつ?」

「ニンジャ……は、よくわからないですけど……アサシンは暗殺者のジョブです」


 小さな肩をすくめながらも、メディナは確かにそう言った。

 どう見ても戦闘向きに見えない少女が――暗殺者。


「でも……武器がなければできることは少なくて。いつの間にか武器は取り上げられていたので……」

「ふむ……イリス。もう<鑑定>はしてあるんだよな? 確かか?」

「はい。ジョブは間違いなくアサシン。レベルは八と低めですが……彼女にはスキルが備わっています」

「スキル? ……メディナ、お前、スキル持ちなのか!?」


 思わぬ展開に驚く俺の前で、メディナは小さく頷く。


「……はい。<隠密>というスキルです。……見せますね」


 次の瞬間、彼女の姿がふっと掻き消えた。


「はっ!? えっ……!?」


 慌てて辺りを見回す俺。

 だがすぐ傍から、ややさくような声が聞こえてきた。


「……ここ、です」

「うわっ……!」


 気づけばメディナは元の位置に立っていた。いや――最初から一歩も動いていなかったのだ。

 透明になったかのように、気配も存在感も消えてしまっていた。


「……さすがはスキルですね。私の認識阻害魔法<ミラージュ>よりも、さらに見破りにくいようです」


 横でイリスが淡々と解説する。


「<ミラージュ>……?」

「ああ、シュウ様には説明していませんでしたね。光を屈折させて認識を阻害する光魔法です。ただ、足音や匂いは消せません。それに対しメディナ様の<隠密>は……姿・音・影・匂い、全てを遮断し、そこにいるという事実を認識させない能力のようです。もちろん、物理的には存在していますから攻撃は当たりますけど」


「なるほど……。メディナ、すげぇじゃん!」

「え、えへへ……」


 俺が素直に褒めると、メディナは子供らしい笑みを浮かべた。

 けれどそのスキルは、冗談抜きで貴重だ。持っているだけで特別な存在と言える。


 メディナは少しだけ視線を伏せ、そして真剣な眼差しで俺を見上げた。


「シュウ様……私、親はいません。身寄りもないです……。だから、この力で少しでも恩返しが、したいんです。……きっと、役に立ちます!」


 その声音には覚悟が宿っていた。

 十四歳――俺より三歳も年下。まだ幼さの残る少女だ。

 それでも、弱さや不安よりも強い意志が滲み出ていた。


「お願いします……! シュウ様……!」


 引く気は全くないらしい。

 俺は再度イリス、グレンたちに目をやり、そして再びメディナへ向き直った。


「――メディナ。俺はお前を守れないかもしれない」

「それでもいいです」

「また酷いことが待っているかもしれないぞ」

「いいです」


 まっすぐな瞳に射抜かれ、俺は言葉を詰まらせた。

 そして、ゆっくりと頷く。


「……わかった。そこまでの覚悟なら、俺はもうダメとは言わない。――メディナ、よろしくな」

「はいっ!!」


 パァッと花が咲くように笑顔になったメディナは、勢いよく俺に飛びついた。

 その小さな頭を撫でると、どこか妹のように思えてしまう。


「メディナ。これを持っていけ」


 するとグレンがぽんっと何かを投げ渡した。


「ここに来る途中、野盗から奪ったものだ。短いが扱えるだろ?」

「はい……! ありがとうございます!」


 メディナの両手に収まったのは、皮の鞘付きの小型ナイフだった。

 まるでそれを握る姿が本来の彼女の姿であるかのように、しっくりと馴染んで見えた。


 こうしてメディナを新たな仲間に迎え入れ、俺たちは七人となった。

 村人たちの声援と共に、ポワンの村に別れを告げ、冒険都市ハレスへと馬車を走らせた。


 ◇◇◇

 

 ハレスへの道中。

 最初の移動から三時間ほどが過ぎ、ちょうど休憩を取った時のことだった。


「なあ、シュウ。俺と勝負してくれないか?」


 唐突に、グレンがそんな提案をしてきた。

 真剣そのものの眼差し。断ったら逆に失礼になる、そんな圧があった。


「はぁ……またはじまったわ」

「グレンは強い相手を見ると血が騒ぐんだ。悪い癖だな」

「もう、何度目でしょうか」


 リシアは呆れ顔で肩を竦め、ガロは楽しそうに笑い、エリナは微笑んだ。

 どうやら三人にとっては見慣れた光景らしい。


 魔物の襲撃もなく、体を持て余していたのも事実だ。

 毎朝のようにジジイにしごかれていた俺としては、体を動かす機会はむしろありがたい。


「……いいだろう。ただし真剣しかないぞ?」

「構わないさ。頭と心臓を狙わないって約束でいこう。それに回復役が三人もいる。多少の傷なら問題ないはずだ」


 グレンの剣呑な笑みに、こちらも口元が自然と釣り上がった。

 そうして、俺たちは剣を抜き放つ。


 そのとき、俺はグレンの手に握られた剣に目を奪われた。


「……その剣、ただの剣じゃないな」

「俺の家に代々伝わる宝剣だ。魔剣のように特別な力は宿していないが、切れ味は桁違いだよ」

「宝剣、か……」


 宝剣がその家の宝となるような剣なら、魔剣はスキルや魔法が宿った剣だろう。知らない知識がまた増え、胸が高鳴る。


 気になることができたが、今は勝負の時間。

 俺も腰のロングソードを構え、間合いを測るように距離を取った。


「…………来ないのか?」


 グレンは静かに、だが確実にじりじりと間合いを詰めてくる。

 その足さばきは獣のように軽やかで、呼吸に合わせて空気が揺れた気さえした。


「――<陽炎かげろう>」

「なっ――!?」


 グレンの輪郭が陽炎のように揺らぎ、視界から掻き消える。

 次の瞬間、左から閃光のような斬撃。


「くっ!」


 反射的に剣を合わせ、火花を散らす。


「……ふうん、やるわね。グレンの<陽炎>を初見で防いだ人なんてほとんどいないわ」

「グレン様の技……あれは?」

「魔力を体術や剣術などに転換する魔技よ。足運びだけで幻のように姿を消す――それが<陽炎>」

「そうでしたか……でも、シュウ様はまだまだ余力を残しています」

「ええ、本番はこれからね」


 リシアとイリスが解説する声が耳に入る。

 だが俺とグレンは既に次の一手を探っていた。


 鍔迫り合いから一気に力を込め、俺は剣を斜めに振り上げた。

 グレンの体が後方へ吹き飛ぶ。


「……さすがだ。短い応酬でも強さが伝わってくる。それに――君の剣は重い……」


 汗を滲ませながら笑うグレンに、俺は口を閉ざす。

 ――ジジイ、また俺に何も教えてくれてなかったな。

 魔技なんて知らなかったぞ。ジジイは使えたんだろうか。


「じゃあ、今度は俺から行かせてもらう」

「望むところだ」


 俺は<エアブースト>を発動し、風を纏って一気に加速。

 瞬速で間合いを詰める――が、そこにグレンの姿はない。


「またか……!」


<陽炎>。視覚を欺く足さばきに、斬撃は空を切った。

 やはりBランク冒険者は伊達ではないらしい。


 だが――


「<エアスラッシュ>!」


 地面に向けて風の刃を叩き込み、砂を舞い上げる。

 その舞い散る粒子が落ちない空白。そこにグレンはいる。


「ハァッ!」


 迷わず斬り上げると、ギリギリでグレンの剣が食い止めた。

 しかし、力比べでは俺が勝っていた。刃がじりじりとグレンの胴へ迫る。


「降参するか?」

「これで引くならBランク失格だろう!」


 渾身の力で押し返し、逆に俺の剣を弾き飛ばしたグレン。

 俺は一瞬、無防備となり、宝剣の切っ先が喉元に突きつけられる――


「……決まったな」


 勝ち誇った笑みを浮かべるグレン。

 だが――


「本当にそう思うか?」


 カキン、と甲高い音。

 次の瞬間、グレンの手から宝剣が弾かれ、くるくると回転しながら地面に突き刺さった。


「な……っ!」

「俺の武器が一つだけだなんて、誰が言った?」

「それは、あの時見せた不思議な剣――」


 ローブの内側から抜き放ったのは、青白く輝く剣――『聖製剣』。

 その刃が、グレンの武器を弾き飛ばしていたのだ。


「チェックメイトだ」

「……はは。参った、降参だ」


 剣を首元に当てられ、グレンは潔く両手を挙げる。

 その瞬間、仲間たちから小さな拍手が湧き起こった。


 俺が『聖製剣』を解除すると、再び十字架の柄へと戻る。


「やっぱり君はただ者じゃないな。それに……今の一戦、本気じゃなかったろう?」

「まぁな。この剣を見せたのは、力押しだけが戦いじゃないってことを伝えたかっただけだ」


 グレンの剣は直線的で鋭い。だが真っ直ぐすぎるが故に、絡め手への耐性が薄い。

 だから俺は、自分のもう一つの刃を見せつけた。


 ――ジジイの汚い戦法を思い出す。

 砂を蹴り上げて目を潰す、鍔迫り合いの最中にツバを吐きかける。あれが元剣聖の戦い方だとは思いたくはないが……。


「……どのような仕組みかはわからないけれど、刃のない柄が武器なんて、想像もしなかった」

「まあ、これは俺専用の特別製だからな」


 この剣も一種の魔剣なのかもしれない。

 グレンが笑い、そして真剣な眼で手を差し出してくる。


「ありがとう、シュウ。また勝負してくれるか?」

「気が向いたらな。……それと、あとでいいから魔技とか魔剣について、詳しく教えてくれないか?」

「ああ、もちろんだ!」


 少し暑苦しいが、強く握られたその手に、思わず心臓が焼けるような感覚を覚えた。




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