第25話 女神像
「――失礼します。私は聖女候補のイリス・カーネリアと申します。この教会で一番偉い方を呼んでいただけますか?」
教会の重たい扉を開けて入った瞬間、イリスはまっすぐ正面を見据え、大きな声で名乗った。
その凛とした姿は、外の陽光を背に受けて神々しくさえ見える。
「せ、聖女候補様ですか!? か、かしこまりましたっ」
対応に出た修道服を着たシスターが、驚いて声を裏返す。イリスよりも十歳は年上に見える落ち着いた雰囲気の女性だったが、彼女も慌ただしくスカートを翻し、教会奥の小部屋へと駆けていった。
ほどなくして、小部屋の扉が再び開くと、そこから現れたのは杖をついた背の低い老婆だった。年齢を重ねた深い皺を刻んでいるが、瞳は澄み、柔らかな気配を纏っている。彼女もまた修道服をまとい、まるでこの場所そのものを象徴するような存在感を放っていた。
「これはこれは……聖女候補様。ようこそお越しくださいました。私はルエダと申します」
老婆は深く頭を下げ、ゆっくりとした口調で挨拶する。
「丁寧にありがとうございます。ですが早速、本題に入らせていただきます。私たちは南にある小さな山の麓――そこにあったゴブリンの巣穴から、後ろにいる女性たちを救出しました。しばらくの間、こちらの教会で寝泊まりさせていただくことはできますか?」
イリスの声は堂々としていて、頼みごとというよりも、当然のように救済を求める者のために場所を貸して欲しいと訴えていた。
俺たちが泊まっている宿屋は広くはない。十数人もの女性たちを泊めるなど到底無理な話だ。だからこそ、信仰の拠り所である教会の協力が必要だった。
「聖女候補様のお願いなら、断る理由などございません。ただ……毛布などが足りるかどうか……」
「そちらは宿屋に協力を仰ぎます。ご安心を」
「……そうですか。でしたら、ぜひとも受け入れましょう」
老婆ルエダは微笑んだ。安堵が広がる。優しそうな人物で助かった。
俺は村の小さな教会しか知らない。外の教会がどういうものか不安はあったが、今のところその差は感じない。
「それと婆さん。この魔石をやるから、食料もなんとかしてやってくれ」
俺は懐から取り出した大きな魔石を差し出した。ワイバーンの討伐で手に入れ、換金のため取っておいたものだ。
「……これは……大きな魔石ですね……あなたは一体……?」
ルエダの目が大きく見開かれる。驚きと同時に、俺の胸元に下がるロザリオへと視線が吸い寄せられた。
「俺はシュウだ。シュウ・ミレイスター。立場は曖昧だが……今はイリスに協力している」
「ミレイ……スター……? それに、その十字架……」
彼女の表情に動揺が走る。
「ん? 知っているのか?」
思わず問い返すと、ルエダは遠い目をした。
「ええ……もうずいぶんと昔のことですが。そのロザリオとよく似たものを身につけていた、たいそう美しい聖女様がおられました。当時まだ若かった私は、その方に大変お世話になったものです……」
「――ミゼット様のことですね!」
老婆の昔話を聞いたイリスが食い気味に口を挟んだ。
「は……?」
俺は固まった。耳を疑う名前が飛び出してきたからだ。
「おい、今聖女って言ったか」
「はい。ミゼット様は先々代の聖女様ですよ」
「は……え……いや、ちょっと待て」
脳が処理を拒否する。あのババアが、聖女?
そもそも巫女って話だったかと思うが……。
「私が目覚めた時、ミゼット様が身につけてらしたロザリオを見てすぐに先々代の聖女様だと気付きました。シュウ様は聞いていなかったのですか?」
「初耳だが……」
「では……オウジ様が元剣聖であることは?」
「はぁっ!?」
畳み掛けるように投げられた言葉に、俺の思考は完全にストップした。
あのクソババアが聖女で、クソジジイが剣聖?
いやいやいや、そんなバカな。
そもそも聖女が何をしてて、剣聖が何をしていたかってのもよくわからねーが、前世の知識からして、相当なジョブ……称号だ。
確かに二人のレベルを聞いた時は、勝てるわけねえと思ったもんだが……。
「いや……いい。今はそれどころじゃない。ひとまず彼女たちの寝床が確保できただけでも十分だ」
「はい。……休ませて落ち着かせたあと、私が事情を聞きます」
それが本題だ。
なぜ彼女たちはゴブリンの巣に囚われ、顔を変える呪いを受ける羽目になったのか。
そして、ゴブリンどもを操っていたあの魔道具。裏には必ず黒幕がいる。
女性たちを教会に案内し終えたあと、三時間後に再度集合することを決め、俺たちは一旦解散することにした。
少し時間ができたので、俺は教会の奥へと足を運ぶ。
ケリュネイアとの約束を果たすために。
「なあ、この像って教会には普通あるのか?」
「ええ。王国内の教会には、基本的には設置されていると思います」
「そうか……」
目の前にそびえるのは、弓を抱えた美しい女性の像だった。純白の石で造られた女神像。教会の奥、中央に祀られ、ひと目で神聖さを感じさせる。
けれど、村の教会には何もなかった。像すらなく、ただ祭壇だけがあった。
祈りとは像に向けて捧げるものではなく、心から自然に生まれるものなのだろうと、自分に言い聞かせる。
そう、ケリュネイアは言っていた――できるだけ教会に足を運び、祈りを捧げよ、と。
俺は女神像の前に膝をつき、両手を重ね、静かに目を閉じた。
「――――」
だが、祈りといっても何を祈ればいいのか。
ジジイやババアが元気でいるようにか? 救った女性たちが幸せになれるようにか?
……それも祈りの一つかもしれない。
『――祈る内容は自由です。好きなことを祈ればよいのです』
その時だった。耳元に、柔らかい声が落ちた。
「なっ!?」
思わず目を開けると、異様な光景が広がっていた。
視界が白と黒で塗りつぶされ、世界が止まったかのように静まり返っている。
シスターも、救出した女性たちも、誰一人として動いていなかった。
ただ一つ、色を宿しているものがある。
ひときわ強い白光を放つ――女神像。
「……お前が、女神アルテミシアか」
『皆には、そう呼ばれています』
――会話が通じた。
心臓が大きく跳ねる。
『私の言葉を覚えていますね。こうして人を助けていること……嬉しく思います』
「助けるだなんて……俺はただ、手の届く範囲でやってるだけだ」
『それで良いのです。人には限界がありますから』
不思議と、その言葉は胸にすっと落ちてきた。
「……なあ、<完全解呪>のリスク。本当に大丈夫なのか?」
『ええ、強大な力には必ず対価が伴います。あなたの場合、それがあのような形で現れているのです』
「じゃあ……お前がそうしたわけじゃない?」
『そうではありません。――あなた自身が望んだのです』
「……マジかよ」
つまり、俺は本当に変態プリーストだったらしい。
自覚はある。あるけど……やっぱり女神に断言されると、逃げ場がない。
『安心なさってください。あなたの施した治療で、誰かがあなたを恨んだことはありましたか?』
「……言われてみれば、ないな」
村人も、アミリアも、イリスも。
今回の女性たちだって――涙を流しながら感謝してくれた。
そうだ、えっちなことをしたとしても、誰一人として俺を憎まなかった。
『ですから、悩む必要はありません。あなたはあなたのままでいてください』
「……そうか」
『これから、あなたには困難が待ち受けます。ですが、逃げずに立ち向かうことができれば……あなたが望む出会いも、きっと訪れるでしょう』
「どういうことだ?」
『ああ、もう時間のようですね。信仰の少ない場所では、長く留まれません。では、またいつか――』
女神の声は途切れ、視界に色が戻る。
いつの間にか俺は膝をついたまま両手を組んでおり、周囲の人々も普通に動いていた。
「……信仰の多い少ないって、祈った人の数とかか……?」
今の出来事を他人に話しても、誰も信じないだろう。
これは俺だけに許された、特別な体験なのだと感じた。
俺はそっと立ち上がり、教会を後にする。
一度宿屋に戻り、集合の時刻まで体を休めることにした。
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