ヤンデレドクター奈束くんの苦悩

せせら木

第1話 バ美肉男子高校生・奈束等

「なあ、奈束? お前は美少女育成というモノに興味無いか?」 

 放課後の保健室。

 今日も今日とて、素晴らしい保健医である三木川聖みきかわひじり先生にタダ働きをさせられていた俺――奈束等なたばとうは、彼女からの謎の問いかけに対し、思わず疑問符を浮かべてしまう。

 この行き遅れは、いたいけな高校一年生の放課後を潰しておいて、いったい何を言ってるんだろう。

 素直にそう口にしたかったけど、そんなことをすれば俺の明日は無い。

 立場を弁え、見つめていた書類から顔を上げて、三木川先生の方を見やる。

 先生は、体調不良者用のベッドの上で横になり、ポテトチップスを食べながら思い切りヨーツーブの動画を観ていた。

下品に笑ってるし、絵面としては本当に最低最悪だ。本来ならばあんな人に保健医としての資格を与えるべきではないと思う。ここはあんたの家か、と。本当にそうツッコミたい。うわ、しかも今、俺の前で堂々とゲップしやがったよあの保健医……。

「……はぁ……」

 ため息をつき、俺は三木川先生からの唐突な謎の問いかけに答えようとする――

「んなぁっハッハッハ! ひーっ! ひーっ! その流れで『にゃんにゃん♡』て! 『にゃんにゃん♡』てぇ! アハハハハッ! お前っ! ほんとっ! 最高だなあぁぁアハハハハハハハッ! ひーっひひひひひっ! くるひーっ!」

 ……が、まあ、それも無理。

俺の言葉を遮るかのように大爆笑する三木川先生だけど、彼女のスマホからは聞き覚えのある声が流れている。

 アレは……俺が昨日おこなった配信で間違いない。

 女声だけど、ボイチェンを使ったモノ。

 登録者数十万人ほどのバ美肉配信者【たばニャン】。

 それが俺のネットでの裏の顔だ。

 先生は元々たばニャン(俺)リスナーをしてくれていたのだが、ひょんなことから俺はあの人に正体を知られてしまい、

『学校の連中に言いふらされたくなかったら、私の手足になれ』

 そうやって脅されて、今に至る。

 書類仕事とか、本来三木川先生自身がやるべきことなのに、それを俺がしてる理由ってのはここにあるわけだ。

 訴えたら正直勝てそうだけど、それはそれでたぶん全世界にたばニャンの正体が広まることになるだろうし、訴えられない。渋々言うことを聞くしかないというわけだ。

「……はぁぁぁ~……」

先ほどよりも深いため息を放ち、俺は席から立ち上がって三木川先生の元へ歩み寄る。

「あの、三木川先生? ここ学校なんですが? あなたの職場なんですけど?」

 俺が言うや否や、先生は気だるげに「んあ~?」と声を漏らし、ゴロンと仰向けになった。

 その拍子に胸が揺れ……ることはなく、貧相で可哀想で固そうな背な……ではない、胸部がこっちを向く。

 いつも巨乳に対する恨み節が多いこの人だが、パッドも入れずに生きている誠実な姿だけは尊敬したい。

 いつか大きくなるといいですね。もう年齢も三十二で、成長期どころか更年期が先の方で手を振って待っている歳だけど。

「……何だその目は? 『胸無いな』とか考えていそうな目だな?」

「え……⁉ あ、い、いや、そんなことは微塵も……!」

「本当、か? 私の三十二年という人生の経験から見て、今のお前の目は貧乳に対する蔑みと、それから私の年齢に対する嘲笑の色が浮かんでいたように見えたが?」

 ズモモ、と。ドス黒いオーラが三木川先生の周りに立ち込め始め、それを引っ提げて俺の方へ詰め寄って来る。

 正解だ。

 胸のサイズも年齢も、俺は確実に蔑みの色を目に込めて先生のことを見ていた。

 そこは言い逃れできない。できないけど、それを正直に話せば俺の人生は終わる。

 冷や汗を浮かべて、俺はひたすら首を横に振った。

「本当にそんな失礼なこと考えてません! だって俺、配信でいつも言ってるじゃないですか! 『誰が貧乳、つまり貧しい乳、なんて言い出したのかわからない。慎ましやかな胸と表現した方がいい。なぜなら、小さい胸にも男のロマンが詰まっているから』って!」

「うるさい! 配信者なんて場を盛り上げるためなら嘘八百を並べるプロだろうが! ましてやお前なんて自分の性別をも偽っている大嘘つきだというのに!」

「ちょっ! せ、先生! それ今大声で言わないで⁉ 廊下で誰か聞いてたらどうするんですか⁉ やめてくださいよ!」

「黙れ黙れ! 大嘘つきの巨乳好きが……! わかってるんだよ……! 目の色からして、『プッw このおばさん貧乳だしロリ体型だし、女として価値ねーわw 行き遅れ乙w』とかお前が思っていたことくらい……! ぐすっ」

「そこまでは思ってない!」

 言って、俺は思わず自分で自分の口を塞いでしまう。

 そこまで、という言葉の使い方がマズかった。

 涙目になっていた先生は、下を向いてさらにグスグス目に涙を浮かべ始める。

「ほら……やっぱり思ってたんだ。どうせ貧乳でロリ体型で、BBAの私に価値なんて無いんだ……」

「そ、そんなことないですって! 世の中には慎ましやかな胸が好きな人もいますし、年齢に反して若々しい見た目をしている人が好きって人も大勢いますよ! うん! 大勢!」

 たぶん。ほら、ロリコンって割といるし。

「ぐすっ……ぐすっ……。そんな人いるわけないじゃん……ぐすっ……私なんて無価値で……この学校のクソガキ共から青臭い恋愛相談受けることくらいしか能が無いんだから」

「そ、それは立派じゃないですか! 誰にでもできることじゃないし、三木川先生の人望が無かったら誰も寄って来てませんし、それに――」

「立派じゃないもん……。あいつら……私のことを青春のための使い捨て相談BBAとしか思ってないし……そのくせ肌ツヤは良くて胸もブルンブルンで……それを見せびらかしながらボロ雑巾のように私を利用してるだけだもん……」

うぅむ、面倒くさい……。一番最初の話、美少女育成について聞こうとしていたのに、気付けば三木川先生を慰めないといけない流れになってしまっている。どうしてこうなった。

「数学の金井先生も……体育の吉田先生も……私のこと全然相手にしてくれないし……前の飲み会で胸元寄せて強調させた服着て迫っても……苦笑いしながら離れられたし……」

「それは離れられるでしょ……。いったい何をやってるんですかあなたは……」

 無い胸強調してどうする。しかも迫ったって、公の場でか。

「だってだってぇ! 胸が無かったら作るしかないじゃん! 寄せて谷間無理やり作ってパッド入れて戦うしかないじゃんっ!」

 前言撤回。全然パッド入れてたわ。まったく貧乳なのを認めて堂々としてなかったし、何ならパッド入れてこの大きさだったわ。悲し過ぎて俺も泣きそうだわ。

「ひっぐ……えっぐ……ぐすっ……! そうやって……戦うしかないじゃぁん……!」

 ベッドの上で泣く三木川先生があまりにも惨めで、俺はもはや頬を引きつらせるしかなかった。

 これが大津井おおつい高校保健医の実態であり、学校の生徒たちから好かれ、日々恋愛相談を受けている人の姿である。

 皆、三木川先生が裏ではこうして自分の恋愛について頭悩ませてるの知ったらどう思うんだろうか。

 俺は、配信者たばニャンとして、先生のことを相手にしていたから知っているわけなのだが。

「結婚……したいよぉぉ……」

 ……いや、知らない方がいいのかもしれない。さすがにこれはヤバい。普通に引く人とか出てきそう。俺は百戦錬磨だから引くも何もないけど。

「……先生の悩みはいつも通り俺が預かりますから。とにかく、さっき言ってた美少女育成について教えてください。あと、泣き止んでください。スカートもめくれ上がってパンツ丸見えになってますし……」

「きゃっ♡ 奈束のばかぁ♡ さりげなく先生に欲情するとか、そんなのダメだぞ♡ めっ♡ こっつんこっ♡」

 あまりにもキツい。頼むから勘弁してくれ。語尾にハートマーク付けないで欲しいし、こっつんこ、じゃない。いくら何でもこれはグロテスク映像過ぎる。見たくなかった。

「あのー、さっきの話する気無いんなら、俺家に帰っていいですかね? 課題もあるし、暇じゃないんですけど?」

「やだやだぁ! 家帰っちゃダメぇ! 先生のお仕事に付き合ってぇ! 付き合ってよぉ!」

 もはや保健医の威厳なんて皆無だ。幼稚園児みたいにベッドの上でジタバタして駄々をこねる三木川先生。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る