第22話 [静かにほどける声]

日が沈む頃、空は濃い藍色に染まり、小さな集落の灯りがぽつぽつとともりはじめた。 私たちは、街外れの小さな宿に泊まることにした。


囲炉裏のある食堂では、数組の旅人が席を囲み、湯気の立つ器を前に談笑していた。 イフミーは、毛布のかけられた窓辺の席に腰を下ろし、ぬるくなったお茶をすすっている。


「ねえ、君はさ……もし、故郷に帰ったら、まず何をしたい?」


私は、卓に置かれた干し芋をひとつかじりながら訊ねた。 イフミーは指先で器を回しながら、少し考えてから、ぽつりと答える。


「……川に、足を入れたい。あの川、いつもあったかかったんだ」


「川、か。君、やっぱり裸足のほうが好きなんだな」


「うん。靴、苦手なんだよね。足が覚えてるものが多すぎて、閉じ込めるのが、もったいなくなる」


そう言ってイフミーは笑う。 窓の外から、細く風が吹き込んで、彼女の白銀の髪がふわりと揺れた。 その髪には、一房だけ、細い革紐で編まれた飾りが結ばれている。


「……それ、いつからつけてるの?」


「ん? ああ、これ……小さいころ、誰かが結んでくれたの。覚えてないけど、ほどけないんだ。不思議だよね」


イフミーは、飾りを指先で撫でながら、少し寂しげに笑った。


私はそれに何も言わず、彼女の指先が飾りをなぞる仕草を、静かに見守った。 その動きにこめられた気持ちは、言葉ではなく、仕草の中に滲んでいる気がした。



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翌朝、私たちは市場の張り紙で見つけた簡単な荷運びの仕事を引き受けた。 木箱を運ぶだけの単純作業だったが、報酬は銀貨一枚。 昼過ぎには終わり、私は露店の薬売りから、保存のきく干し肉と薬草茶をいくつか買い足した。


「これで数日は持つね。次の峠越えに備えておこう」


イフミーは、買い物袋を覗き込んでにこりと笑う。 彼女の顔には汗がにじみ、土のついた足を洗おうと、近くの川へ向かって駆けていった。


私はそのあと、宿に戻る前に、広場の端にある露天で小さな花の飾りを見つけた。 淡い紫の、名もない草花を束ねた簡素なものだったが、どこかイフミーの雰囲気に似ている気がして、つい買ってしまった。


「……帰ったら渡そう」


そんなことを思いながら、私は袋の中にそれをそっと忍ばせた。


財布袋には、銀貨が十四枚ほど残っていた。慎ましく過ごしてはいるが、この先の峠越えや突然の出費を思えば、油断はできない。


その背を見送りながら、私はふと空を仰いだ。 薄雲の隙間から、淡い光が差し込み、木々の葉に反射して小さな虹のように見えた。


旅路の途中、ほんの一瞬だけ垣間見える美しいものたち。

それは、名前も、重さもないけれど……確かに、心を動かす力を持っていた。


「……イフミー。君の故郷が、どうか穏やかな場所でありますように」


私は小さく、そう祈った。



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