3夜|潮風よ、また会おう

お姉ちゃんとパパさんは、冷戦状態に突入した。


お姉ちゃんの当たりは次第に強くなり、今ではほとんど口をきこうとしない。昔からの仲の良さを知っているボクからすると、居た堪れなくて仕方がない・・・

でも最近では、パパさんの機嫌の方がむしろ悪いくらいで、二人してピリピリしている間で、ボクはどう振る舞えばよいのだろうか・・・


もっともパパさんの機嫌が悪いのは、誰彼構わずといったところがある。それがママさんにも伝染して、結局ボクとノハラちゃんだけ被害を受けたりするのだ。


ボクが思うのに、パパさんのお酒が悪いのだ。ひどく酔っぱらうのは止めた方が良い・・・ボクだって、そんなパパさんを見るのは悲しいのである・・・


この街に来て何回目かの花火大会のパーティでのことだ。

いつもの通りパーティは大盛り上がりだった。ところが急な用事だと言って、パパさんの姿が途中で消えた。自分の部屋にこもってパソコンとにらめっこしているようなのだ。

花火大会も終わりに近くなったころ、パパさんは部屋から出てきた。顔色が悪い・・・。ボクは心配したが、周りはワイワイ、ガヤガヤ騒がしく、誰も気が付かない。

よせばよいのにパパさんは、ソファーに深く腰掛けて、強いお酒を飲み始めた。そして案の定、酔っぱらって、そのまま横になってしまった。

お客さんが帰った後、ママさんの雷が落ちた。でもパパさんは動じずに、薄ら笑いを浮かべながら反撃を始めた。


――ひどい喧嘩が起きる前触れかもしれない・・・


ボクは心配して、そうならないようパパさんのすぐそばに身を寄せた。


「よう!ロン!心配してくれるのか?お前だけだよ、そんなのは」

パパさんは相変わらず、グラスを持ったママ、ヘラヘラとした笑いを浮かべている。


するとお姉ちゃんが憤然と、ボクのリードを引っ張った。


「ロン、酔っ払いの相手なんかしないで、あっち行こう」


その背中に向けてパパさんが言った。


「悪いな。酔っぱらいで。でも飲みたくもなるじゃないか。次こそ挽回するさ。一発逆転、大儲けだ。そうしたら、最上階に引っ越して、もっと珍しい犬でも飼おうな!」


お姉ちゃんの足が止まった。そして睨みつけた。


「ロンで、いい!わたしは、ロンがいいんだよ!」


ボクはお姉ちゃんの部屋に連れ込まれた。

その晩、ボクは久しぶりにお姉ちゃんとベッドで一緒に寝た。ボクの知っている、懐かしい昔のお姉ちゃんの匂いがそこにはあった。


家の中の重苦しい雰囲気がそれからも続いた。むしろ、どんどん悪くなっているようにも思えた。詳しくは知らないが、原因はパパさんにあるようだった。


とある日の朝のことだ。お姉ちゃんとノハラちゃんを学校に送り出した後のこと、それを待っていたかのように、ママさんとパパさんがかつてないほどの大喧嘩をした。さんざん言い争った後、パパさんはテーブルの上の食器を手で払った。床に食器が散乱した。

そして自動車のキーを握ると、力一杯大きな音を立て玄関のドアを閉め、だまってどこかに出かけてしまった。


残されたママさんは、床に落ちた食器を片付けていたが、その場でしゃがんだママ動かなくなった・・・ボクは心配でたまらなくなり駆け寄った。それでも動こうとしない・・・見るとママさんの目から涙が溢れていた。そして両手で顔を覆うと、すすり泣き始めた・・・


かつてない出来事に、ボクはどうしたらよいか分からず、オロオロするばかりだった。我に返って、一生懸命ママさんを慰めてみても、ママさんの涙が止まることはなかった・・・


その事は、お姉ちゃんもノハラちゃんも知らなかったが、何かを薄々感じ取っているようだった。

そのせいなのか、ママさん、お姉ちゃん、ノハラちゃんの3人は肩を寄せ合っているようにも感じられた。


パパさんは家にいる時間が、めっきり少なくなった。ボクは心配した。このままでは、パパさんが、完全に蚊帳の外になってしまうではないか。


案の定、休日の外出にパパさんの姿はない。このときも、レディ3人とボクとでランチを食べた。ボクも好物のオヤツをご相伴した。


すっかり顔馴染みになった、例の小型犬が話しかけてきた。

少し歳をとった分、体が丸くなったが、性格まで丸くなったわけでないらしい。彼女の話はどこか尖がっている。


彼女が言うのには、最上階に住んでいた、あの大型犬の姿を最近見ないそうだ。一説には、御主人様と一緒に、逃げるようにどこかに引っ越してしまったという噂があると言っていた。

だとすると、どうりで最近姿をめっきり見かけなくなったわけだ。いつも威張っていて、少し面倒くさいところがあったが、いざ会えなくなると少し寂しい。少なくとも、お別れの挨拶くらいしたかった・・・


ある日のこと、パパさんが早い時間に帰ってきた。ここのところ、家にいないことも多かったため、ボクは大層驚いた。しかも実に久しぶりに、ボクを散歩に連れ出してくれたではないか。

そういえば、昔こんなことがあったような気がした。思い出した。あのときは確か、ボクが真っ逆さまにベランダから落っこちたといって、大騒ぎになったのだ。


――今度は大丈夫だろうか・・・


ボクは心配になり、パパさんの顔を見上げた。それを見て、パパさんは「どうした?」と微笑んだ。それはボクの知っている、昔の優しいパパさんの顔だった。


パパさんは遠出して、ボクを散歩道の外れまで連れて行ってくれた。そこは、この潮風が吹く海辺の街で、一番大きな夕日がみられる場所なのだ。沈みゆく夕日を、ボクたちは二人して、黙って眺めつづけた。


どうやらこの日パパさんは、何かを決心したようだった。それからというもの、パパさんはママさんと夜ごと、真剣な顔で、何度も何度も話し込んだ。

ボクはパパさんの変化に驚いた。昔のパパさんに、すっかり戻っていた。穏やかで、優しいパパさんに・・・


でもママさんは、そうではなかった。パパさんと話し合うたびに、感情が激しく揺れ動いている・・・ボクにはそれが、よくわかった。


丁度このころ、お姉ちゃんは大変な時期だった。受験と言うものの真っただ中だったのだ。随分前から自分の部屋にこもって、何やら一生懸命、机に噛り付いていることがあったが、最近はほとんど部屋から出てこない。


一家はそれを、静かに見守っていた。そして、その一大事が終わったと思われるころ、お姉ちゃんがママさんとパパさんに何かを報告した。ママさんは、おめでとうと言って、お姉ちゃんをハグした。


少しして、久しぶりの家族会議が開かれた。その席で話を聞いて、お姉ちゃんとノハラちゃんは動揺した。そして、憤った・・・ノハラちゃんは最後に、泣いた・・・

ボクたちの歯車は、どこかで狂い始めてしまった・・・


こうしてボクたちは、この家を引き払い、二度目の引っ越しをすることになったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る