”彼女の記憶”に恋した僕が、現実の君と再会するまで
葉月やすな
第1話 僕の夢が始まる
***
学校の正門は、通らない。
あのざわつきの中に踏み込む元気は、今の僕にはない。
だからいつも、校舎裏の通用門から、そっと保健室へ向かう。
今の僕にとって、“学校”と呼べる場所は、それだけだった。
ベッドに体を沈めて、まぶたを閉じる。
白いカーテン。
アロマテラピー用の薄荷のにおいが心地よい。
安眠できるように、スクールカウンセラーの松浦先生が用意してくれたものだ。
軽い眠気に誘われながら、昨日の夢を思い出す。
いつも出てくるセーラー服の女の子。
笑い声のある教室。
通学路の桜並木。坂の下の文具屋。
彼女は、いつも楽しそうだった。
その風景は、僕の記憶のどこかと、静かに重なっていた。
最初は、ただの夢だと思ってた。
でも──気づけばそれは、“帰りたくなる場所”になっていた。
声。
仕草。
筆箱の傷ひとつにまで、違和感がなかった。
その中でだけ、僕は落ち着けた。
……惹かれている。
そう認めることに、あまり時間はかからなかった。
***
午後の保健室。
いつものカーテンの内側。
「航君、最近は、眠れてるかい?」
松浦先生が、静かに尋ねてくる。
「……夢は、よく見ます。知らない女の子が出てくる。
でも、不思議と落ち着くんです。
ずっと前から、その子を知っていた気がして……」
先生はしばらく黙ってから、ゆっくり笑った。
「きっと、君の心が“安全な場所”を探してるんだろうね。
夢が息抜きになってるなら、それも悪くない。
夢の内容をノートに書いてみるのもいいかもしれないよ」
僕は頷いた。
でも、本当のことは言えなかった。
──あの夢で彼女に会えるのが、日に日に楽しみになっていることを。
***
その日も、夢は続いていた。
修学旅行のしおりを広げて、彼女は友だちと盛り上がっていた。
「京都、行きたいとこありすぎる〜」って、無邪気に笑って。
昨日の続きを見るみたいに、自然だった。
目が覚めても、あの空気は胸の奥に残っていた。
***
みんなが授業を受けている間に、僕はそっと保健室を抜け出した。
廊下の端の階段を上がり誰もいない図書室に入る。
冷たい空気が満ちていて、ここもまた、僕の“避難所”だった。
机の上に、古い卒業アルバムが一冊。
誰かが戻し忘れたものだろう。
何気なく開くと、中に新聞記事が挟まれていた。
【修学旅行帰りのバス事故】
【高速道路上で追突事故、生徒ら犠牲に──阿原市の高校】
その中に、いた。
夢で見た、あの子が。
制服も、笑顔も、間違いようがなかった。
キャプションには──
【遠山結花】
次の瞬間には、もう走っていた。
記事を抜き取って、保健室へ向かっていた。
「先生……この新聞!」
言葉が追いつかない。
息が乱れる。
「夢に出てくる子……彼女、本当にいたんです。
『ふじやまゆか』っていいます。
この学校の卒業生で……修学旅行の帰りに、事故で──」
松浦先生の指先が、わずかに揺れた。
「先生……僕、彼女に伝えたいんです。
“気をつけて”って、“バスに乗らないで”って」
必死だった。
どこかで、救える気がしていた。
「……前に話してたじゃないですか。夢の中に入る方法。
夢の中の人と会話できるって──」
先生は深いため息をついた。
「たしかに、夢を見ている人が、登場人物と意思疎通する実験はある。
でもあれは、自分の意識と会話するという話で……
そこに出てくる人物と現実には、何の関係もないんだよ」
「それに、夢を変えたところで、現実が変わるわけではない。」
「でも、僕は──!」
「航くん」
そのひと言で、すべてが止まった。
「……夢の話は、もう終わりにしよう。
君は、君の現実を生きなきゃいけない」
胸の奥が、ぐしゃっと音を立てて沈んでいった。
何も言えなかった。
夢から、現実に引き戻された気がした。
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