第4話 悪役令嬢と新入侍女
「……胃が痛くなってきましたわ」
朝。
目が覚めるのと同時に胃がギュルギュルギュルギュルと悲鳴を上げた。
この感覚に覚えがあった。社蓄時代の朝やパワハラまみれな会議前と同じである。
ストレスでどうにかなりそうな時に胃が悲鳴を上げる。なぜ、こっちの世界に転生してまでこの体質を受け継いでいるのかは謎であるが、まあ仕方ない。
「クラリス様。胃薬をお持ちします」
「あ、大丈夫ですわ。お気になさらず」
セリシアは心配そうにそう提案してきたので断った。
これは胃薬でどうこうなるものではないのだ。
「それよりも新しい侍女が来ていますのよね?」
「そうなんです。紹介しようと思ったのですが……体調が優れないようでしたら、また後日体調が良い時にご紹介します」
「いや、構いませんわ。ご紹介してくださいな」
首を横に振った。
このストレスの八割くらいを占めているのは、新しい侍女に関してなのだ。
今までの流れから考えると、この侍女も『ロマンス・レヴェリィ』に登場するキャラクターで、私の知っている動きとは違う動きを見せる。
それを考えただけで胃がどうにかなっちゃいそうだった。
嫌なことはさっさとやるに限る。
じゃないと、一生胃痛と付き合うことになる。
そんなの、ほら、嫌じゃん。
「ですが……」
「構いませんわ。ぜひ顔を合わせたいものですわ」
「……クラリス様がそこまでおっしゃるのなら」
セリシアはあまり乗り気、という感じではなかった。
だけれど、私の指示に従わない、というつもりもないようで、ぺこりと頭を下げて、私の前から消える。
部屋に残されたのは昨日と同じメニューの優雅な朝食。
昨日はパクパク食べていたが、今日は全く喉が通らない。美味しくないとかじゃない。胃が痛いから食べられない。
コンコンとノックが響く。
「クラリス様。本日よりクラリス様にお仕えする新しい侍女を連れて参りました。では、ノエル。自己紹介を」
「……本日からお仕えいたします、ノエル・アイゼンと申します。以後、お見知りおきくださいませ」
そう言って現れたのは、セリシアに付き従う一人の少女だった。
黒髪のボブカットに、きっちりと整えられた制服。背筋が伸び、動きに無駄がない。一つ一つの所作が丁寧かつ洗練されている。昨日今日で身につくものではない。
「まあ……とても礼儀正しい子ですわね」
ふと感じた。妙に目の奥が鋭い。感情が読めない。
隙が見えない。
――できる子だ。それは見てるだけでわかる。だが、なんというか、少し怖い。
私は微笑みを返した。
「ようこそノエル。よろしくお願いしますわ」
そういえば、この子、『ロマンス・レヴェリィ』で見たことないな。
一応そこそこに『ロマンス・:レヴェリィ』はやり込んでいる。
その主要キャラクターを忘れる、みたいなことはないと思いたい。
でも妙な既視感もあるし。
私の海馬……ついに劣化しちゃった?
とにかく今回の人物は私の知っているキャラクターじゃないし、私へ異常な好意の矢印を向けているわけでもない。
それがわかっただけでなんかホッとしてしまった。
ずっと緊張の糸がピシッと張り続けていたので、緩まる。
真面目そうで、作法も身についており、教養もありそうな。今のところ身近で最も信頼し、頼れそうないい子だなと思った。
冷めてしまった紅茶を口付ける。
胃痛はもうすっかり消え去っていて、紅茶を嗜むことだって容易い。
「クラリス様。学園へ登校なされる前に、頼まれていた書類整理を片付けてください、とのことです」
「お父様から?」
「はい」
「じゃあ今からやりに行きますわ」
私は立ち上がって、セリシアと書斎へと向かった。
◆◇◆◇◆◇
五分ほどで片付け終わり、部屋に戻ると……。
「……」
「…………」
ノエルが、私の飲みかけのティーカップをそっと持ち上げて、カップの縁をぺろりと舐める。それからくんくんと香りを嗅いでいた。
「………………」
「……………………」
扉を開けたまま固まる私。
ノエルはゆっくりとこちらに向き直る。
「……申し訳ございません。香りの残り方を確認しておりました。クラリス様の嗜好を正確に把握するためです」
「は、はあ……? 無理がありませんこと……?」
呆気にとられた私はそんな反応しかすることができなかった。
どうしよう。これっぽっちもいい子なんかじゃなかったよ。
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