六
滝は医者にでもなった方がよいのだと、サドリはぼやいていた。どういうことかと聞けば、滝の魔術師としての才能は人を癒すとか、そちらに特化していて、それに関してはまさしく天賦の才能の持ち主なのだそうだ。
「無駄遣いだ。浪費だ。まったくもって嘆かわしい」
サドリが言うには、滝は熱心に勉強しながら自分の才を伸ばそうとせず、向いていないことばかりするらしい。
「滝は何をしているんです」
「契約とか束縛とか約束とか。そういうものの古い形をずっと探している。まあ魔術師としてそちらに興味が向くのは分からないではないがね」
その時は半分聞き流していた。自分の資質を考えないというのは滝らしくないとは思ったが、滝がやりたいことをやるならばそれは別に悪いことでもないだろうと思っていた。滝がやろうとしていることを知ったのは、滝が神戸から帰って来て数ヵ月経ってからだった。
授業終わり、東館で滝に声を掛けられた。「少し時間あるか」
長い話になるらしく、僕と滝の間では珍しいことだった。二人で東館の階段を降りて、法学部の庭まで行って並んで座った。日が暮れて、西の方の空が焼けるようだった。
「父と兄を殺そうと思っている」
開口一番そう言われて僕は絶句した。滝は黙って僕を見ていた。「どういうことだ」と声が出たのはややあってからのことだった。「父と兄と言っても、今の家のではない。生家の方のだ。僕は養子だ」頭が付いて行かない僕を置いて、話せば長くなるが、と断って滝は人差し指で円を描く。
「安倍という一族がいて、日本の魔術師たちを束ねている。先祖を辿れば、安倍晴明がいるな。陰陽道の本家は土御門だと言われているが、それは表向きの話で、現状日本の魔術は安倍家が握っている」
何の話かさっぱり分からない。滝は構わず続ける。
「僕は半分安倍家の出身だ。父は安倍家の頭領で、兄は次期頭領にあたる。二人とも傑出した魔術師で、到底僕だけでは敵わない。だから僕は神戸に行って
「おい、待て、全く分からない」
僕は混乱していた。一体どこからどう口を挟めばいいのか分からなかった。とりあえずはどこからだ。そもそも。
「なんで父親と兄を殺そうなんて思うんだ」
滝は手を組んで前のめりになった。地面に低く言葉を落としていく。
「僕は安倍の家に生まれ、父と母と年の離れた兄がいた。いや、五歳のあの日まではそうだと思っていた。母は僕に冷たく、そこから何か違和感のようなものを感じることもできたのだろうが、そこまで頭は回らなかった。当時大勢いる下女の中に一人、痩せて薄汚れていたが顔立ちの美しい女がいて、やたらと僕に馴れ馴れしかったから、僕はあまりその下女のことが好きではなかった。ある日兄の部屋で遊んでいた時、兄がほんの軽口のように言ってきた。お前の本当の母親はあの下女だと。僕は、幼かったこともあるが、腹が立つほど考えなしで、事の真偽を父に聞いてみた。父はさっと顔色を変えた」
そこで言葉を切った。滝の指が、固く組まれた。
「下女が死んだのは次の日だ。僕も間もなくして養子に出された。下女の――母の死にあのことが関係なかったわけがない」
断っておくが――。
「僕は母が好きだったわけではない。ほとんど母だということも知らなかったし、知った途端に死んでしまった。ただ僕の感情はさておいて、あの奴ばらは許すわけにはいかない。禽獣の如く下女に手を出しておきながら、事を隠しおおせるでもなく、子供の告げ口で覆るような半端なかたちでのうのうと日々を過ごし、一旦覆れば容易く女を殺す父と、事がどうなるか分かるくらいの分別はありながら、戯れに僕に告げ口をした兄。あの二人を許すのは天道に背く。僕以外に奴らに相応の罰を与えられる者はいない」
僕はすっかり吞まれてしまっていた。僕はこんな滝を知らなかった。だから、滝が何故こんな話を僕にするのかも分からなかった。分かっていたら、次の一言、間違えなかったのだろうか。
「僕が神戸で手に入れた匣には『魔術師殺し』という古代の化け物が入っている。その名の通り、あらゆる魔術師の天敵だ。あれを使役すれば父と兄を殺せる」
「やめろそんなこと」
滝が目をゆっくりと見開いた。そうして僕に顔を向ける。微かに唇が動く。
そんなこと……? お前に
「お前に何が分かる。俺がどんな思いでここまで生きてきて、どれだけの時間を費やしてここまで辿り着いたと、お前に――」
そこでふ、と滝が息を吐いて、薄ら笑いを浮かべた。
「お前、先生のこと好いているだろう」
僕は背筋が凍った。急に何故その話になるのか分からなかった。残照に縁どられる滝の顔は、これまで見たことがないものだった。
「分かっているぞ。先生だって気付いておられるのだ。お前、あの方がどういう方だか分かっているのか。この世で五指に入る魔術師だ。俺達よりよほど長い時間を生きておられる。なのにお前ときたら、この身の程知らずが。一番気に食わないところだ」
そう吐き捨て、滝は立ち上がり、庭の出口に歩き出した。もう会うことはあるまい、そう置き去りにされた言葉を、言葉として意味を諒解できるようになるまでしばらく時間がかかった。それほどに、僕は呆けていた。滝を追いかける気力も湧かなかった。
今なら分かる。滝は僕を信頼していたのだ。だから、彼の人生をかけた宿願を果たす前に、僕には分かってほしいと思ったのだ。一体に、正解などというものがあったのかは分からない。僕がどう言おうと滝は止まらなかったのかもしれない。ただ、僕が間違えたということだけは確かだった。
それから本当に滝は姿を現さなくなった。大学にも。サドリの家にも。サドリに滝について尋ねられたが、答えられなかった。滝の話した事情が、他人に言い触らしていいものと思えなかったからだ。数日経った。サドリは魔術で花火をして遊ぶようになった。無聊を紛らわすために魔術を使ったことなどなかった彼女がそうするのは、見た目の華やかさに反して、寂寥を感じさせた。
君といると先生は楽しそうだ。
滝だって、いなければ駄目だった。夜。出町柳の交差点。僕は立ち止まった。一緒に歩いていたサドリが訝しげに振り向く。
「どうした」
「サドリ、滝は――」
その瞬間、揺れた。
遠くから音がするほどに。近くの家で何かが落ちる音がした。随分と大きな地震だと思っていると、サドリが東の方を凝視していた。やがて、静まる。
「地震じゃない」
サドリの顔がこれまで見たことがない程に白かった。
「お前達の大学の方に何かいる」
咄嗟に、滝だ、と思った。
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