三首の和歌

斐川帙

一、林原進学塾

(一)

 宮本は、ノートパソコンの入った鞄を肩から提げて、交通量の多い道路の狭い歩道をとぼとぼと歩いていた。ノートパソコンは、メーカの軽量という売り文句に違わず1キロをちょっと越えるくらいなのだが、重たそうに肩ひものかかった肩をやたらと上げては、ずり落ちるひもの位置を正していた。

 今日の訪問先は船橋駅から歩いて十分ほどの所にある小さな学習塾だった。

 宮本は、パソコンメーカ系の子会社で、親会社の販売するパソコン及び周辺機器のサポート業務を生業にしている会社で働いていた。彼の現在の仕事は、親会社のメーカが販売しているプリンタに関する問合せ対応で、主な内容は、登録ユーザから来たプリンタ関連の問合せを電話やメールで応対し、場合によっては直接ユーザのもとに出向いて問題を解決するというものであった。オフィスは幕張にあった。

 今日は、午前中に千葉駅近くの証券会社でプリンタの故障部品の交換に赴いたあと、帰途に乗ったタクシーの車中で携帯電話が鳴り、急遽、船橋の学習塾に立ち寄る事になったのだった。電話は、幕張で電話を受けたサポート受付の女性からであったが、彼女が相手から教えてもらった道順は、かなり、いい加減なものだったので、とりあえず、船橋駅でタクシーを降り、そこから、電話で確認しながら目的地に向かう事にした。しかし、電話に出た女性の教え方がぞんざいで適当だったので、その後も宮本は、何度も学習塾に道順確認の電話を入れる羽目になった。きっと受付の女性が話した相手も、この女性だったのだろうと思いながら、我慢して道順確認のために連絡をとった。何度も電話を入れたせいか、仕舞いには相手の女性も切れ気味になっていたが、宮本も相手を嘗めたような彼女のいい加減な口ぶりに憤懣をため込んでいたので、それが口調に出ないよう抑えるのに苦労した。結局、迷わなければ十分もかからない道程を、二十分ほど費やして、目的地に着いた。

 学習塾は、十階ほどの雑居ビルの二階と三階を占拠していた。受付は二階にあった。「林原進学塾」とガラスに大書されている扉を開くと、すぐ右に事務室が仕切ってあり、そこに電話をしてきた事務の若い女ともう一人、年上の男が座っていた。若い女の方は髪を茶色に染めて紫のつけ爪をした派手目の女性であった。一方、年上の男の方は、三十代のやせた背の高い男で、話しぶりはてきぱきとして、頭の回転が速そうな印象を受けた。

 宮本が事務室のドアを開け、簡単に名乗ると、すぐに男の方が立ち上がり、「林原進学塾事務長 古賀憲司」と書かれた名刺を宮本に差し出した。名刺交換が終わると早速、古賀は、プリンタの前に宮本を連れて行き、状況を説明した。

 「生徒の成績表を印刷しようとしたんですけどね、うんともすんとも言わないんですよ。」

 宮本は、プリンタの小さな表示パネルをいじって、印刷データが溜まっているか見てみたが、ないようだった。

 「どこから印刷したんですか?」

 古賀は、自分が座っていた席に戻って、そこに鎮座しているデスクトップパソコンのキーボードを叩き始めた。宮本は、古賀のうしろに立つと、その操作を漫然と見ていた。古賀はエクセルを立ち上げ、生徒の成績表を開いたみたいだった。そして、印刷を実行した。しかし、プリンタには何の反応も起きなかった。

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