第20話 ケージ・ダンス①
宇津木が明けたばかりの街に出る。路地裏を抜け、大通りへ。
市場は新鮮な食材を求める人々ですでに賑わっていた。宇津木も、地元の人々に混じって見つくろい、ランブータンやマンゴスチン、ライチなど手で剥いて食べられるフルーツを買い込んだ。11月ではフルーツの旬を外しているが、水分と香りは存分に楽しめる。
市場周りの店には早朝の飲茶サービスである「早茶」を楽しむ客が入り始めている。客の多くは年寄りで、ゆったりとニュースをチェックし、朝食がてらのんびりと朝の時間を過ごすのだ。市場に面した公園でも多くの年寄りが太極拳の練習をしている。香港も都市社会の例に漏れず、何十年も前から少子高齢化が進行している。足りない労働力は、周囲の国々からの移民で補うスタイルだ。
右手と口で器用に剥いたフルーツをかじりながら、公園をぐるりと回ってみる。奥のアスレチック広場で、珍しく若い男が筋トレに励んでいた。坊主頭にタラコ唇。ジューだ。
「よっ!同じフラットだよな」
宇津木が声を掛けると、ジューは驚いたように振り返った。
「俺、“ロニー”。ジャクリーン・フラットの2階に住んでいるんだけど。…フルーツ、食べる?」
勝手にジューの隣のベンチに陣取り、フルーツを差し出した。
「ああ、いや、朝ご飯はこの後って決めているから」
警戒されている。まあ、無理もない。
「おっ、悪りぃ、悪りぃ。アンタ、よく見かけるなと思ってね。名前、なんてぇの」
「…ジュー。ジャクリーン・フラットの3階だ」
ジューがベンチを使った筋トレを再開した。宇津木も隣のベンチで筋トレを始める。
さりげなくジューの体格をチェックする。スポーツかボディビルか、あるいは職業柄なのかは分からないが、かなりガッチリとした筋肉だ。動き方も隙がない。戦闘のプロだとしてもおかしくない感じだ。トレーニング量も、勝手に付き合っていた宇津木が小汗をかくほどだ。宇津木が来る前からトレーニングしていたことを思えば、かなりのトレーニング量である。
トレーニングを終えて水分を摂るジューに、宇津木が、また親しげに話しかける。
「トレーニング凄いね、何かのプロ?」
「いや、まぁ…アンタも相当だろ。仕事は?」
ジューは、言葉を濁しながら探りを入れてくる。
「――警備会社で内勤。バカンス中なんだ。トレーニングは趣味でね」
「ふーん…俺は、警備員だ」
ジューがぶっきらぼうに答える。
「へぇ、アンタも同業?それで、昼間フラットの周りでよく見かけるんだな。夜勤なんだろ、おつかれさん」
本当は夜もよく見かけるのだが。
「よかったら、今日の昼飯、一緒に食おうぜ。俺のパートナーも紹介したいし」
ジューの表情が微妙に動いたのを見て、宇津木が手を差し出した。
「ああ…じゃぁ、バス停前の茶餐廰で」
ジューも手を差し出し、がっちりと握手を交わした。
「おーい、黒島、まだ寝てんのか?そろそろ起きろ」
フラットに戻った宇津木が、ベッドの上段に声を掛ける。
「…今、いいとこだ。起きない」
「は?」
何の話をしているのやら。
「…くそっ」
バフッと黒島が勢いよく起き上がって、髪をくしゃくしゃと掻き回した。
「春陽といいとこだったのに。お前のせいで目を覚ましてしまっただろうが」
イイ夢を中断されたようだ。
「知るか!昨晩、添い寝してやったろ、足りねぇのかよ」
「お前が春陽の代わりになどなるか、阿呆」
黒島がご機嫌斜めで梯子を下りてくる。
「フルーツ買っといたからな。朝飯にしろ。抜かすんじゃねぇぞ」
宇津木は、テーブルでコーヒーを飲んでいる。
「ん…」
黒島が、コーヒーをコップに注いだ。宇津木の向かいに座り、しばらくフルーツをもぐもぐして、コーヒーで一息。
「…で、引っかかったか?」
「おう、とりあえずゴーインに友達になっておいたぜ」
ジューのことである。昨晩、宇津木と黒島で作戦を立てた。待ちの一手では気が狂いそうなので、指示外ではあるが、第3情報解析班は独自に作戦を行うことにしたのだ。
目標は、敵方の戦力・警備体制に関する情報の収集。敵アジトの村に入り込んだときの反応を考えると、身近に見張りがいて、情報を逐一上げている可能性が高い。ならば、その見張りから情報収集してしまおうという算段である。今のところ一番怪しいのはジューなので、まずは宇津木が接触してみたのだ。
「今日の昼飯、一緒することになったから、そこでお前と接触させる。せーぜー頑張れよ、“ビッチ”」
ジューは、黒島のシャワー姿を毎日熱心に覗きに来ている。任務か性癖かはっきりしないが、宇津木のシャワー姿を覗くことはないので、性癖だと仮定して、黒島の方は色仕掛けで近づくことになった。
「あ~~~…好みじゃない」
「体温高そうだぜ、キスも好きだろ」
額を抱えてブヒる黒島に、宇津木が無責任な太鼓判を押す。
午後2時の茶餐廰。ここ香港では、働く皆さんのお昼休みは午後1時。時間のある宇津木達とジューは最ピーク時を外して店に入った。
「こっちな、俺のパートナーの“フラン”。広東語は話せないから、英語でよろしくな」
宇津木の紹介も耳に入るか入らないか。ジューは目の前に座る黒島の姿に釘付けになっていた。今まで遠くからのぞき見ていたが、こんなに真っ正面でじっくりと眺めるのは初めてだ。象牙色の滑らかな肌。長い睫毛に縁取られた瞳は宝玉のような深い光を湛えている。薄く可憐な唇。洗いざらしのコットンシャツの襟元からのぞく鎖骨。首をかしげると滑り落ちるように揺れて艶やかに輝く黒髪。一緒に揺れる翡翠の耳飾りがいっそう、髪の美しさを引き立てる。ジューには、頬の凄惨な傷跡さえ、儚く薄幸な来し方を感じさせた。
「メニュー見る?俺達は大体決まっているから」
黒島がジューにメニューを差し出す。手首の骨と青く浮き出る血管が、黒島の華奢さを強く印象づけた。ジューが、どぎまぎとメニューを受け取る。
宇津木はポークチョップ載っけ飯、黒島はお粥、ジューは鶏もも肉載っけ麺。早い・安い・ウマい。注文後、素早く提供されるのが茶餐廰のいいところだ。
「ジューはどこで警備してんの?」
飯をかっ込みながら、宇津木が尋ねる。
「いや、今は警備と言うより調査の仕事で…九龍の」
――まぁ、言わんわな。
「なら、俺らと似たようなもんだ」
宇津木がニカッと笑う。
「どこも一緒なのかなぁ。本社ビルの警備体制って、ひどくない?俺達の会社じゃ虹彩認証と社員証のチェック。あと、各部屋入るときに指紋認証。ちょっと忘れ物したり、社外に用事にでたりすると、面倒くさくって」
愚痴を装って、黒島が水を向けた。
「うちは、セントラル・コントロール式で、管理室に開けてもらって…あの、あんまり他所で喋るなって言われてて」
「ああ、厳重なんだね。ごめん」
黒島がにこりと謝る。途中で言葉を濁したということは、嘘ではないのだろう。できれば、外から入るときの「鍵」のようなモノを持たされているかまで聞きたかったのだが。
「ちょっと、俺、トイレ…」
ジューがそそくさと席を立つ。
「…まぁ、俺達の正体を分かってて見張っているなら、喋らんわな」
宇津木が呟いた。
「プランBか…」
黒島がコキコキと首を鳴らした。プランB、ジューのケージ・ハウスに入り込んで、情報端末を探し出し、データを盗む。ジューの住む単身部屋は、金網で蓋をした二段ベッド――すなわち「ケージ・ハウス」が詰め込まれた部屋で、ベッド1床ごとに賃貸しているのである。当然、仲良くなってホーム・パーティーに誘われて…なんてわけにはいかない。ベッドに直行できるような状況を作る。
「何分要る?」
「下準備みたいなもんだからな。10分もあればいい」
「OK」
ジューがトイレから戻ってくると、宇津木がすかさず席を立つ。
「トイレ、空いたな。俺も」
入れ替わりで、宇津木はトイレに消えていった。
残された黒島とジューは、しばらく無言で食後のコーヒーを啜っていた。
「手、大きいね」
ジューが、黒島の言葉にハッと目を上げる。“フラン”が肘を突いて、ジューを見つめていた。端麗な顔が、にこりと微笑む。
「どれぐらい大きい?俺と一回り違うかな?」
“フラン”が差し出した手につられるように、ジューが手を差し出した。2人の掌がぴたりと合わさる。
「わー、大っきい!“ロニー”より大きいかも」
無邪気に驚いてみせる。離れていくときに、ジューの掌をすべった、“フラン”の手の感触。滑らかできめ細かな肌だ。いつまでも触れていたくなる。
「ジュー、身体もガッチリして大きいよね。うらやましいな。俺はチビだし痩せっぽちだから」
“フラン”は、コーヒーのマグカップを両手で包むようにして飲んだ。――チビだし痩せっぽち…白いコットンシャツに覆われたしなやかな肢体を思って、ジューの中心は熱くなる。毎日覗いている、あの身体。
「あ、あの、それも悪くないっていうか。“ロニー”もアンタのそういうとこ、好きなんだと思うよ」
ジューは赤面し、どぎまぎしながら応えた。ずいぶんと純朴なようだ。
「――そうかな。ありがとう」
“フラン”がふわりと微笑んだ。ぎこちなく微笑み返したジューの脚を、テーブルの下でそっと“フラン”の脚が挟む。華奢な足首の感触。ジューがドキリとして目を上げると、サラリと頬にかかる横髪を耳に掛けた“フラン”と目が合った。くすりと笑って、手首のヘアゴムで髪をまとめる。露わになる白いうなじに、ほつれ髪が揺れて――…
「お?何だよ、見つめ合っちゃって」
トイレから戻ってきた“ロニー”が笑いながら声を掛ける。ジューが、“フラン”に挟まれていた脚を慌てて引っ込めた。“ロニー”が“フラン”の隣にどかりと座る。
「気ィつけろよ、ジュー。こいつ、強い男が好きなんだ」
“ロニー”が、“フラン”を親指で指し、悪戯っぽく笑った。
「取って食いそうなこと、言わないでくれ。人聞きの悪い」
“フラン”が優雅に微笑む。
「――で、一番は俺なんだよな?」
“ロニー”が、“フラン”の肩を抱いて、顔をのぞき込む。
「どうかな。油断してたら、知らないよ?」
“フラン”がコケティッシュな笑みを浮かべて、“ロニー”の頬にキスをした。“ロニー”が立ち上がる。
「じゃぁな、ジュー、俺達はこれで」
“フラン”も立ち上がって、“ロニー”の横に身を沿わせた。“ロニー”が“フラン”の細い腰を抱いてレジへ向かう後ろ姿を、ジューがねっとりと絡みつく視線で見送った。
〈つづく〉
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