第14話 書く理由

 放課後の部室は、まだ春の寒さが残っていた。

 校舎に響く足音も、もう聞こえない。


 俺、しおり、キリハラ。三人だけの、静かな空間。


 机の上には、紙とペン。そして、まっさらなノート。



「……今日、なんも書けなかったな」


 俺がぼそっと呟くと、キリハラが肘で軽く小突いてきた。


「そりゃそうだろ。“一人じゃない創作”なんて、慣れてねぇしな」


「でも、何も出てこないってのは……やっぱ俺、才能なかったのかもな」


 その言葉に、誰も笑わなかった。



「……才能とか、関係ないよ」


 しおりが、小さな声で口を開いた。

 彼女の視線は、ノートの端に落ちていた。


「私、昔から、どこにも居場所がなかった」


 俺とキリハラが、彼女の言葉に目を向ける。


「お母さんは……私が物心ついた頃には、もういなくて。お父さんは仕事ばっかり。私の話、ほとんど聞いてくれなかった」

「だから、学校では“ちゃんとした子”でいなきゃって思ってた。誰かに否定されるのが怖くて、ずっと気を張ってた」


 彼女の声は、少しだけ震えていた。


「でも、書くときだけは……自由だった。誰に怒られなくてもいい。誰かを演じなくてもいい。そこにいたのは、“私”だった」



 俺は、ゆっくりと息を吐いた。


 しおりが創作にかけていたものが、ようやく理解できた気がした。


 同時に、コーディと過ごした日々が頭をよぎった。


 ──確かに、あの時間も、誰かに“聞いてもらえる”感覚があった。



 しおりの言葉が、静かに続いた。


「ユウトくんがAIに頼ってたこと、別に間違ってたなんて思わない」


「でも、今は……あなたの言葉を、あなた自身で書いてほしい」


 その目は、真剣だった。


 沈黙が場を支配する。

 その重さを、キリハラが乱暴に蹴散らした。


「……ったく、なんでこうしんみりすんだよ」


 彼は椅子の背もたれにドカッと寄りかかりながら、天井を見上げた。


「俺さ、昔、全国コンペで賞を狙ってたんだよ。自信あった。マジで本気で書いたやつ」


「でも──」


 言葉が一瞬、止まった。


「“既存のAI生成物と類似が見られます”とか言われて、失格になった」


 その言葉に、俺は目を見開いた。


「……そんなの、知らなかった」


「誰も知らねぇよ。話題にもならなかったしな。それがAIの怖ぇとこだよ。“人間が魂削って書いた”っても、数値的に似てるってだけで、アウトなんだ」


 キリハラは、少し笑った。

 でも、その笑いは苦さを含んでいた。


「だからさ、AIがどうとか、効率がどうとか、そういうのがマジで許せねぇ」


「創作ってのは、人間が心臓ぶっ叩いて出した血みたいなもんだろ。それを、“効率”とか“類似率”とかで切り捨てられたら──たまんねぇよな」



 部室の空気が、少しだけ変わった。

 寒さのなかに、熱のようなものがじんわりと広がっていく。



「……ありがとう、二人とも」


 俺は言った。

 ペンを手に取る指が、少しだけ軽くなっていた。



 そのとき、しおりが言った。


「ユウトくん。……私、ちゃんとあなたの言葉が読みたい」

「誰かのじゃない。AIでもない。あなた自身の、言葉を」



 キリハラが小さく鼻を鳴らした。


「……ったく。女にそんな顔されたら断れねーだろ。いいよな、お前は」


「は?」


「ほらよ。今日のテーマな。『名前のない風景』。一時間で一人300字。お前が書き出し、俺が中盤、しおりが締め。三人で一本の物語、まずはそれだ」



 俺は、苦笑した。

 でも、その手は自然と動いていた。


 ペン先が紙に触れ、言葉が少しずつ、形になっていく。



 ぎこちない。頼りない。

 けれど、それは確かに──“自分の言葉”だった。



 たとえ拙くても、人と支え合って綴る物語がある。

 書くことに意味なんてなくても、

 それでも、伝えたい何かがあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る