第4話 裏切りと崩壊

 縄で腕を縛られたリヴィアは、王宮へと向かう馬上にいた。

 逃げ遅れた乳母や侍女たちの証言によって、彼女がまぎれもなくリヴィア王女であることが確認され、ただそれだけの理由で連行されている。


 彼女の前に馬を引いて進むのは、かつての恋人とまったく同じ名を名乗る青年――『シリウス・エヴァンス』。

 だが、どう見ても別人だった。


 蕩けるような甘い声と絵画のように整った顔立ちを持つ“あのシリウス”とは異なり、この男は平凡な容姿で、声も表情も冷ややかだった。


 ――偶然、同じ名前だというの?

 いいえ……家名まで同じだなんて、ありえない。


 考えたくはなかった。

 でも、離宮の広大な構造を正確に把握し、王族しか知らない秘密の抜け道でリヴィアを追い詰めた男たち。

 あれが偶然だとは、到底思えなかった。


 ――まさか、彼が……?


 最悪の予感が胸に渦巻く中、リヴィアは王宮の姿を目にし、言葉を失った。


  地に伏した王家の旗。

 そこかしこに翻る軍旗には、ベルグシュタイン公爵家の双頭鷲の紋章が描かれていた。


 白亜の城と謳われたかつての王宮は、焼け焦げ、砕かれ、無残な姿をさらしていた。

 縛られた使用人や貴族たちがうずくまるその姿に、リヴィアはようやく悟った。


 ――父上は……敗れたのだ。


 城内は異様な静けさに包まれていた。

 シリウスを名乗る男は、迷いなく謁見の間へリヴィアを連れて行った。

 その場に足を踏み入れたとき、リヴィアは戦慄する。


 玉座に座っていたのは、父ではない。


 血で染まった金髪に、氷のように冷たい空色の瞳。

 まるでおとぎ話に出てくる魔王のような男が、玉座からリヴィアを見下ろしていた。


「ご苦労だったな、シリウス」


 玉座の男が声をかけると、リヴィアの護送を担っていた青年が小さく頭を下げる。

 続いて、玉座の男が立ち上がり、リヴィアの前へと歩み寄る。


「……貴女も、ご苦労だった。リヴィア王女。貴女のおかげで、助かったよ」


 冷笑を浮かべるその表情に、あの甘く優しい恋人の面影は微塵もなかった。


「シリウス……?」

 震える声で問うリヴィアに、男は冷たく告げる。


「その名で呼ぶな。我が名はアレクシス。アレクシス・レオンハルト・フォン・ベルグシュタイン・シュヴァルツベルク。

 ――ベルグシュタイン公爵の嫡男にして、シュヴァルツベルク伯だ」


 リヴィアは目を見開いた。社交界に興味のない自分ですら、その名は耳にしたことがある。

 才知と美貌を兼ね備えた貴公子。貴族の中の貴族。

 その彼が――色仕掛けで王女をたぶらかし、情報を引き出し、そして王を殺したというのか。


「……そして、貴女の父君を弑し奉り、王権を簒奪した者だ。覚えておかれるがよい」


 信じたくなかった。だが、アレクシスが目線を動かす。

 その先に、床に崩れ落ちた父王の亡骸があった。


「あ……ああ、お父様!」


 胸を深々と貫かれ、事切れた父王。その死に顔を見た瞬間、リヴィアの膝は砕けた。

 涙が止まらない。声も出ない。


「さて、リヴィア王女。――いや、“元”王女と呼ぶべきかな。

 私は貴女の罪を糾弾し、罰を与えるつもりだ」


「わ、わたくしには罪など……!」


「この期に及んで……本当に無知とは罪だな」

 アレクシスはつまらなそうに肩を竦めた。


「リヴィア・ミレイユ・エルセリオ。貴女から王女の称号を剥奪する」


 ――王女の称号を、剥奪?


 爵位を持たぬリヴィアにとって、それはすなわち“庶民”に堕ちることを意味していた。

 王女としてのすべての誇りが踏みにじられ、足元に転がされる。


 リヴィアは小さく震えながら、抗う術もなく立ち尽くすしかなかった。


「シリウス。いや、今はただの兵だな。その女を牢に連れていけ」


 “牢”という言葉に、リヴィアの心が折れかける。

 今まで無縁だった場所。汚れ、蔑まれ、人生の終わりを迎える場所。


 「では、さようなら。ただのリヴィア」


 背を向けるアレクシスのその言葉は、まるで悪夢の終わりの鐘のようだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る