二つのしるし

44

朝の光は鈍く、雲がまだ空を覆っていた。

最近は本当にスッキリしない。

千穂は茶碗を前にしたまま、箸を握れずにいた。

昨夜の「声なき声」の余韻がまだ耳の奥に残っていて、喉の奥が乾いている。


叔父さんはいつものようにノートを広げ、眼鏡越しに鉛筆を走らせていた。

「──迎えが声を持った。これは新しい段階だ。単なる兆候じゃなく、指名だ」


おばちゃんはため息をつき、卓袱台に湯飲みを並べた。

「子ども相手に指名なんて、酷い話だよ……私ら年寄りを持っていけばいいのに」


千穂は靴下の上から右足を押さえ、息を殺した。

(本当に呼ばれた。……夢じゃない。私を、名指しで)


昼過ぎ。

戸口を叩く音がして、千穂が出ると制服姿のタカミオが立っていた。


「……来たんだ」


思わず声が震える。


タカミオは「早退したんだ」とだけ言って、いつもの落ち着いた目でこちらを見た。


縁側に並んで腰を下ろすと、雨に洗われた庭が鈍く光っていた。

しばらく言葉もなく、ただ風の音だけが二人の間を通り抜けていった。


タカミオが湯飲みを持ち上げたとき、千穂の目が吸い寄せられた。


左手の薬指──その甲に、青黒い痣が浮かんでいた。


「……っ!」


声にならない声が喉から漏れる。

見間違いじゃない。

あの色、あの輪郭。自分の右足の痣と同じだった。


「どうした」


タカミオが首を傾げる。


「……それ……手……!」


千穂は震える指で彼の手を指した。


タカミオは一瞥し、あっさりとした声で言った。

「今朝気付いたんだよね。痛くも痒くもないよ」


千穂の胸に冷たい衝撃が走った。


(私のせいだ。私が引き寄せたから、移ったんだ……!)


「ごめん……!」


思わず頭を下げていた。

涙が込み上げて頬を伝う。

タカミオが手を所在無げに彷徨わせたが、自身の膝の上に落ち着いたようだ。


「ごめん、私のせいで……」


後ろから叔父さんの声が飛んだ。


「ちがう」


いつの間に茶の間から出てきた叔父さんが、険しい顔でタカミオの手を見つめる。


「これは移ったんじゃない。痣はそもそも感染症じゃない。おそらく──対になったんだ。龍印が二つ現れるのは記録にないけれど……偶然じゃないと思うんだよ」


「薬指……」おばちゃんが息を呑む。


「指輪の場所……昔から、縁を結ぶ場所じゃないか」


(うーん、指、というよりは殆んど手の甲だと思う……おばちゃん韓流ドラマとかラブロマンス大好きだから……)


千穂は緊迫した雰囲気だというのに、そんなことが頭に浮かんできたので笑い出しそうになった。

笑っていい場面じゃないのに。



タカミオは少しの間だけ手を見つめ、それから短く言った。


「……いい。俺は気にしない」


「でも──」


千穂の声を遮るように、タカミオは静かに続けた。


「千穂がひとりで呼ばれるなら、俺も一緒に呼ばれたいと思う」


その言葉はあまりに短く、淡々としていたのに、千穂の胸を強く揺さぶった。


涙が熱く頬を伝う。


(どうして……こんなに簡単に言えるの、私泣いてばっかりだ……)


叔父さんはノートに鉛筆を走らせながら、低く呟いた。


「二つの印……迎えを分け合ったのか、結び合ったのか。いずれにせよ、これは運命を共にする印なのだろうか……」


千穂はタカミオの左手を見つめた。

痣はまるで鏡のように、自分のものと呼応している。


(もう……どうしていいかわからない)


障子の外で、風鈴がひとつ鳴った。

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