第31話 本当の自分
中学生になっても、私は人の理想に自分を合わせ続けて生きていた。
友達付き合いは、いつだって相手の望みに合わせて、笑って、褒めて、寄り添ってを繰り返す。
おかげで大きなトラブルは起きなかったし、周りの子たちや先生たちも、私のことを、可愛い子、いい子っていつも言ってくれた。
だから、これでよかったって、そのたびに思っていた。
でも、中学二年の夏。私のことが好きだと告白してくれた男子がいた。
人生で初めて、誰かから、恋愛としての好意を向けられた瞬間だった。
それなのに、私はそれを反射的に断ってしまった。
「ごめんなさい、今はそういう気持ちには、なれないの」
ほぼ無意識にその言葉が出たことには、自分自身が一番驚いた。
そもそも私は、人から嫌われたくないのに、むしろそれとは逆の気持ちを向けられていたのに、なんで断っちゃったんだろう。
きっと、私がその想いを断っても、あの人は私のことを嫌いにはならないって、わかってるからだと思った。
それにしたって、あの人が私のことを好きでい続けてくれるなら、手っ取り早く付き合っちゃえばよかったのかもしれない。
でも、それもなんとなく嫌だった。
そこから先を考えればきりがないし、面倒だったから、それ以上は深く考えなかった。
だって私は、どっちにしろ嫌われなければ、それでよかったから。
そして高校生になり、お父さんの仕事の都合で引っ越してきたこの街でも、私はこのまま、いつも通りの私でいようと思っていた。
誰とでも笑顔で話して、相手の望むことを察して、上手く立ち回って。そうやって、また新しく、みんなに好かれる私を作っていく、はずだった。
でも、すぐに違和感を覚えた。あの人を、初めて見たときから。
入学式の日。人の流れの中で、ふと目を引いた男子がいた。
少し眠たそうな目元。無表情に近いのに、なぜか印象に残る横顔。
あのときの私は、ただ漠然と「この人、何を考えてるんだろう」って思っていた。
世良翔太郎。
最初から、私は彼のことが、全然わからなかった。
目が合っても、微笑み返すわけでもなく、視線を逸らすわけでもない。
まるで、私という存在に対して、何も期待していないような目をしていた。
私は、そのことに戸惑った。
私が、相手の望むことがわからないなんて初めてのことで、どうすればいいんだろうと頭を抱えた。
何を言えば、どう振る舞えば、この人は私を見てくれるんだろう。
翔太郎の顔を見るたび、そんなことばかり考えていた。
でも、ひとつ思うことがあった。翔太郎は、“私と同じ”なのかもしれないと。
私は、私自身が一番わからない。だから、私は翔太郎のこともわからないんじゃないかって。
翔太郎のことをもっと知りたい。もっと一緒にいて、翔太郎のことを見ていたい。そんな想いがどんどん募っていった。
でも、そんな彼の隣にはいつも、高野優花がいた。
翔太郎の幼馴染。
何気ない距離感で、当たり前のように隣にいて、当たり前のように会話をして、当たり前のように笑っていた。
私には、その当たり前が、羨ましくてたまらなかった。
それに優花は、いつも自然体だった。自分を必要以上に良く見せようなんて考えてないし、誰かに気に入られるために何かをするような子じゃなかった。
でも、私に対してだけは、常にどこかこちらを見張っているような視線を送っていた。
それに、翔太郎の話になると、優花はいつも何気なく会話の流れを変える。
私が翔太郎と話していると、優花がなんとなく割って入ってくる。
なるほど、この子は、「私の大切な人に近づくな」って言ってるんだって思った。
確かに、私が翔太郎から離れてしまえば、優花は私に対するその目を変えてくれるかもしれない。もっと私に親近感をもってくれるかもしれない。
でもそう考えるたびに、なぜだか胸が痛んだ。
私は結局、翔太郎から離れることはしなかった。
夏休み前、千尋と適当に街をぶらぶらしながら遊んでいたとき、通りがかったカフェの窓越しに、翔太郎と優花が向かい合って座って、何か楽しそうに話しているのが見えた。
翔太郎があんなふうに笑ってるのを、私はそのとき、初めて見た気がした。
そういえば、夏休みのキャンプのときもそうだった。
木陰のベンチで二人が並んで座り、口数も少なく、決して盛り上がっているわけじゃないのに、二人はその沈黙の中で妙に心地良さそうだった。
そのときの翔太郎の、あの穏やかなそうな目。私には向けてくれたことなんてなかった。
——そこにいるのが、私じゃダメなの?
また、胸の奥がズキズキと痛んだ。
私は、誰かの望み通りになることでしか生きられない。
でも、優花は違った。ただそこにいるだけで、翔太郎と自然に繋がっていた。
それが、悔しくて仕方がなかった。
思い切ってこちらから告白して、いざ翔太郎と付き合えてからも、翔太郎はどこか私に壁を作っていた。
その壁がなくなったと思えたのは最初だけで、気がついたらまた新しい壁が出来ていた。
優花といるときのように、無防備になってくれない。
それが悲しくて、腹が立って、いつもイライラしてた。
優花は、ある時期から私の真似をしてきた。髪型、服の感じ、持ち物、話し方まで。
最初は安心した。私を真似しているうちは、私の以上の存在になることなんて、絶対ないって思ってたから。
でも、だんだん違ってきた。
優花は、私の真似をしながら、私とは違う存在になっていった。
内野陽南という型を借りて、自分なりの何かに変わろうとしていた。
もしかして、また翔太郎を奪われるかもしれない。そう思うと、すごく怖くなった。
そしてその頃には、私は翔太郎に対して、どんな手段を使ってでも自分のことだけを見てもらいたいと思うようになっていた。
優花は徐々に教室から姿を消していったけど、そのときはもう、優花に勝ったとかそんなことすらどうでもよかった。
他の誰かと比べるんじゃなくて、私という存在を、ちゃんと見てほしかった。
その望みは、誰かのためじゃない。
初めて、“私がそうしてほしい”と思った。
心から、自分の意思で。
——そうか、これが、“好き”って気持ちなんだ。
ようやく、わかった気がした。
でも、もう遅すぎた。
痛みは、もう何も感じない。
アスファルトの道路に投げ出されていた自分の身体の感覚が、どんどん遠くなっていく。
ぼんやりとした街灯の光。誰かが泣いているような声。その全てが、ゆっくりとフェードアウトしていくみたいだった。
もうすぐ、私は、死ぬんだ。
こんなことになるなら、最初から翔太郎に、この好きって気持ちを、もっと素直に伝えていればよかったな。
そうすれば、翔太郎は、もっとちゃんと私のことを見てくれたのかな。
そんなこと、今さら考えたって、どうにもならないのに。
私の、バカ。
意識が、静かに、沈んでいく。
でも最期に、ほんの一瞬だけ、私はやっと、本当の自分に触れることが出来た気がした。
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