ミヨコ(51歳)

息子は来春、有名私立大学に進学する。


それは、私が今まで生きてきた中で一番の喜びであり、今までの苦労がすべて報われるように思える出来事だった。


20代で離婚して以来、女で一つで大事に育ててきた息子だ。


実家からの援助と、元夫から細々と支払われる養育費で、息子と二人で慎ましくも平凡に暮らしてきた。


息子は高校に入ると部活も諦め、バイトをして生活を支えてくれた。

人付き合いもあまり得意ではない私だが、小さな清掃会社の正社員としてただひたすら息子のためだけに働き、どうにかここまでやってきた。


しかし、そんな穏やかだった日常も、息子が手にした合格通知によって一変した。


息子は、「将来、母さんに楽させたい」という想いで、有名大学への進学を目指して、塾に通う費用さえ自分でバイトで稼いで勉強していた。そして、その苦労が報われ、誰もが名前を知っている某有名私立大学に合格することができた。


しかし、入学金から前期授業料、教科書代、教材代……。ざっと計算しても、200万円は必要だ。残念ながら国公立の大学にはすべて落ちてしまったが、せっかく受かった有名私立大学への入学を、お金を理由に進学を諦めさせたくは無い。


親の務めとして、この入学費用だけは、なんとしても用意しなければならない。


藁にもすがる思いで金策を考えるうちに、マッチングアプリにたどり着いた。私と同年代の周りの知り合いにはマッチングアプリを使っている者などいない。ひっそりと登録しメッセージを投稿した。


「どうしても、まとまったお金が必要で困っています」

――ありのままの正直な言葉だった。


「まさか、私がこんなことを……」


人付き合いもままならず、ひたすら自分にできる事だけをやってきた私には、男女の思惑を巧みに交わしながら糧を得る。という現状の実態は、あまりにも過酷なものだった。


まず最初に連絡が付いたのは、作業着姿の太った男だった。

近くの駅で待ち合わせ、挨拶もそこそこにホテルに連れ込まれた。


部屋に入った途端に後ろからベッドに押し倒され、私が自分の服のボタンを外そうとモタモタしてると「おい、早くしろよ」と乱暴に扱われ、危うくボタンを引き千切られそうになった。


前戯などほとんど無いままに捻じ込まれ、久しく性行為がなかった身体が悲鳴をあげたが、こちらの事情などお構いなしに、ただ性的欲求をぶつけられただけだった。

あまりに粗雑な扱いに、帰り道は涙が止まらなかった。


二人目は、背が低く髪の薄いサラリーマンだった。

スーツは着ていたが、どこか清潔さに欠ける男で、部屋に入るとすぐにズボンを下ろし、卑猥な行為を要求してきた。


拒む間もなく頭を掴まれ、その異物を無理やり口に入れられた。

口の中で形を変える”それ”が喉の奥まで届きそうになり、吐き気が止まらなかった。


三人目は待ち合わせ場所に来たものの、私の顔を見るなり「うわ、すげぇババァじゃん」と罵声を浴びせ、お金も払わずに置き去りにした。


恥ずかしさと絶望で、その場に立ち尽くすしかなかった。


四人目は、そもそも待ち合わせ場所にすら現れなかった。

約束の時間を過ぎても連絡一つなく、こちらからの連絡にも反応が無いまま、真夜中過ぎコンビニの灯りだけが灯っている街角で、虚しく待つだけだった。


すっかり時間を無駄にしたが、もう怒る気力も無かった。


「次もひどい仕打ちを受けるようなら、もう止めよう」

いくら息子の為とはいえ、私の心がもたない。


私が死んだら、その保険金で息子の入学費用を賄えないだろうか?

そんな、愚にもつかない事を考えるほど追い詰められていた。


その日も、清掃の仕事から帰ってきたばかりの体は鉛のように重く、化粧もせず燻んだ顔には、疲労が色濃く浮かんでいた。


重い気持ちを押し殺してマッチングアプリのアイコンをタップすると、メッセージが入っていた。


これで五人目。


マッチングアプリで繋がった男に会う為に、少しはマトモな服を選んだり、慣れぬ化粧をするのもバカバカしくなりやめた。


仕事帰りの服装のまま、化粧もせずに家を出る。自分でも、ヒドくやつれた、みすぼらしい姿である事は自覚していたが、もう最後かも知れないと思うと、当て付けるように、ありのままの自分で会いに行きたかった。


待ち合わせは駅前のカフェ。

時間通りに着くと、店内には事前連絡にあったパーカー姿のおとなしそうな中年男性が座っていた。顔は地味でこれといった特徴もない。しかし、これまで会った男たちとは明らかに違う小綺麗な印象があった。


私が店に入り、人を探すように店内を見回していると目が合った。


「ミヨコさんですか?」


男は立ち上がり私に声が届くギリギリの声量で問いかけてきた。その声は驚くほど穏やかだった。


「はじめまして」


店の隅にある二人掛けのテーブルに移って、二人で向かい合って座る。急に、着の身着のままで来てしまった自分の姿が、ものすごく恥ずかしく思えた。


男は小さな会社を経営していると話した。彼は、私の身の上話を遮ることなく、ただ静かに聞いてくれた。息子のこと、お金のこと、これまでの苦労……。


人付き合いが苦手な私が、誰かとこんなに話したのは、いつぶりだろう。


「それは、よく頑張ってこられましたね……」


彼の言葉は私のささくれた心に深く染み込んでいった。彼の心からの優しい気持ちが届いた気がして、今まで我慢していたものが堰を切ったように溢れ出し、私はテーブルに突っ伏し、嗚咽した。彼は何も言わず、ただ私の背中をそっと撫でてくれた。


その後、彼とホテルに向かった。


彼は奥さんと別れて久しかった。彼は元奥さんを今でも愛しているが、二人の間に子供は無く、お互いの人生を思う様に生きる為に別れたという。彼は離婚した後も特定の女性と付き合うことをせず、一生独身でいる事を心に決めていると言っていた。


部屋に入っても彼は急かすこともなく、優しく私を抱きしめてくれた。求められた行為も、これまでの男たちとは比べ物にならないほど、丁寧で優しかった。


別れ際、彼は「何かあったらいつでも連絡してください」と、名刺を差し出した。そして、約束した額以上の「お手当」を渡してくれた。


帰り道、自宅近くの公園のベンチに座り夜風に当たる。まだ彼の声を思い出すだけで涙が流れる。見知らぬ人に想いを打ち明け、優しくされたことで心が少しだけ軽くなった気がした。


ゆっくりと目を瞑り現実と対峙する。銀行の残高は、まだまだ足りない。あと、どれだけ続ければ、息子を大学に行かせられるのか?終わりが見えない。


私は意を決してマッチングアプリを開いた。

新しいメッセージがいくつか届いている。


「次も、優しい人だといいな……」


わずかな期待だけを握りしめて立ち上がり、息子の待つ家に向け歩き出した。

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