テンガイコドクバケモノセンソウ

在野荒

第1話 妖精(自称)


 夢を見ていた。

 神秘的で暖かい夢。

 妖精が――。蝶のような美しい翅をした妖精がふらふらと飛んでいた。

 不意に妖精がこちらを振り向いて、そして朗らかに微笑んだ。

 春の日差しのような金髪に夏の空のように青い瞳、作り物みたいな美貌がゆっくりと近付いて、そして……。

 俺の鼻を、引っ張った。


「ふがっ……!」


 息苦しさに目を覚ますと車窓の様子はすっかり一変していた。

 迫ってくるような低い山々。その裾野にへばり付くような田畑と住宅。快速列車は緩やかなカーブに入り、心地良いGが眠気を覚ましていく。

 不意にカーブが終わり、列車が平衡を取り戻す。やや遅れて体が右に傾いた時、不意に光が弾けた。思わず瞑った瞼が熱くなる。

 目を開き、息を吞んだ。迫るような山々は不意に姿を消し、開けた視界の先には海が広がっていた。オレンジに輝く日差しを受けて、穏やかに照る海面――。そんな美しい視界の端にちょろちょろと飛ぶ何か――。

「ちょっと、クロウ! 起きなさいっ! もう着くよ!」

 甲高い、だけど何故だか不快ではない、心地良い声が耳に響き、甘い花のような香りが鼻腔を擽る。鮮やかな金の長髪、真っ青な瞳、お人形みたいな小さな体。パタパタはためく、美しい翅。

 妖精が――。夢で見たあの妖精が、そこに飛んでいた。

「……どうしたの?」

「いや……」

 俺は小さく溜息を吐く。

「なんでもない」

 夢でまで、お前の顔を見るなんてな。きょとんと首を傾げる妖精に苦笑しながら、俺は荷物をまとめる。

「まもなく、兒浦です。兒浦を出ますと、次は両屋に停まります。お出口は左側です。ドアから手を離してお待ちください。We will soon make a brief stop at Koura……」

 アナウンスが響き、列車が一気に速度を落とす。

 滑り込んだ狭いホーム。我先にと乗り込んでくる制服とすれ違いながら、俺は鞄を担いで出口に向かう。

「うわっ……。きゃっ……」

 東京に何年もいたのに。こいつは未だに人混みに慣れない。人波に流されて困っている妖精を俺は空いた左手で引っ張ってやる。小さな体を包み込むように、掌で優しくぎゅっと掴んで。

「あ、ありがと……」

「行くぞ。ナギア」

 そして、俺は、妖精と二人、兒浦駅のホームに降り立った。

 兒浦――。新しい街――。ここが俺のどん詰まり――。


 俺、室星九郎はどこにでもいる平凡な高校生である――。とは、どうしたって言えやしない。

 こんなに非凡な――いや、異常な高校生は多分どこにもいない。

 小学校で七度。中学は五度。転校した。高校はこれで二校目。父親がいない。母親は死んだ。親戚を転々として、名字が八度変わり、兄弟姉妹が十七人出来て、そして、全員いなくなった。

 協調性が無い。社交性が無い。他人と上手くやれない。変わった子。トラブルメーカー。俺の問題はそんなもんじゃない――。つまり他人は俺をこう言う。あの子は――不気味な子だ。

 室星九郎の周囲では、異常な事が起こる――。椅子が宙を舞い、時計が逆に回り、人形の髪が伸びる。

 あの子は――霊を集める。あの子は――悪魔憑きだ。あの子は――超能力者だ。

 ポルターガイスト、ファフロツキーズ、ウィルオウィスプ――。ありとあらゆる超常現象が頻発し、あり得ない事が日常になる。

 室星九郎は――そういう異常な高校生だ。

 その原因は悪いが俺じゃない。俺の周りに集まるバケモノ共が悪いんだ。

 霊とか妖怪とかUMAとか、そういうバケモノは、実際にいる。うじゃうじゃいる。俺には昔からそいつらが見えるし、会話も出来る。それでそいつらは構って欲しいのか、居心地がいいのか、なんでか俺の周りに集まる。バケモノが集まれば、怪異が起こる。スダマが飛べば風が吹くし、天狗が扇を仰げば魚が降ってくる。見える俺には一目瞭然だが、見えない奴らからすれば奇々怪々なる怪奇現象ってわけだ。

 ホームに並んだ椅子の上、白髪の老人の隣に猫が一匹座っていた。急にそいつがぴょんっと跳び上がるや宙返りを打った。突然ぱっと火花が弾け、前方を歩く老婦が体を硬直させた。どうやら化け猫だったらしい。正体が分かるのは俺一人。他人に見えるのはいきなり弾けた火花とそこに居合わせた俺という人間だけ――。

 いつ作った物だったろう。ペンギンの描かれたICカード。日本全国、北に南に、流れ流れたその果て――。

 駅舎は過剰な程に広かった。田舎の駅は大抵こうだ。右に行けば南口、左に行けば北口。出入り口はその二つしかない。迷いようのない単純過ぎる構造に溜息さえ零れる。

 南口からはこれまた過剰な程に広い駅前広場と真っ直ぐに続く三車線道路。そしてその向こうの海が見えた。夕陽の輝く海を背に、俺は北口に向かって歩き始める。

「おなか減った! なんか食べてこうよ!」

「後でな」

 真っ白なコンコースにぽつんと置かれた臙脂の机には草餅が並べられていて、傍らにはぐっすりと眠り込む老婆の姿があった。「名物」の幟にふらふらと飛んでいく妖精をぎゅっと引っ掴んで、スマホに地図を確かめながら駅を出た。

 駅前はそれなりに栄えていてロータリーには客待ちをするタクシーがあった。誰だか分からないおっさんの胸像を横目に信号を渡り、コンビニの脇の坂を上がる。

 ちょうど下校時間らしく大勢の生徒が坂を下りてくる。

 自転車が猛烈な勢いで下ってきた。俺の隣を飛ぶナギアは気付いちゃいない。ぎゅっと掴んでこっちに引っ張る。

「ありがと……」

「危ないぞ。傍に寄ってろ」

「うん」

 俺以外、誰にもバケモノは見えないし、聞こえない。だが、触れないとは限らない。そこは結構種類がある。俺以外には触れないし物にも触れない奴。俺以外には触れないけど物になら触れる奴。触ろうと思えば人間でもなんでも触れる奴。触ろうと思わなくてもなんにでも触っちゃう奴。色々だ。ナギアは一番融通の利かないタイプで、見えないけどなんにでも触れちゃう奴だ。つまり俺以外の人間からすると、見えないから何も無いはずの場所で何かとぶつかる事になる。大きければ逆に相手を押し退けられるんだが、ナギアは一応妖精だから身長17cmしかない。文庫本よりは大きくて単行本よりは小さいくらいのサイズだ。自転車なんかとぶつかったら吹っ飛ばされて交通事故だ。バケモノはやっぱりバケモノなんでそれくらいじゃ怪我もしないんだが、見てるこっちは心配だから気を付けて欲しい。

 坂は長い。もう5月も半ば、ゴールデンウィークも終わったってのに変なくらい肌寒い。すれ違う生徒達も皆上着を着ている。ジャケットの胸元を押さえて俺は坂を上り続ける。

 駅から20分くらいだろうか。やっと学校に辿り着いた。雨に濡れて赤錆の浮いた校門。隅に溜まった水溜まりにアメンボが泳いでいる。「御用の方は   にお回り下さい」。無意味になった看板の上にナメクジが這っていた。

「迎えはいないわけ? 今日行くって言ってあるのに」

 ナギアが不満そうに口を尖らせる。だが、そりゃ贅沢ってもんだ。

「2年の5月だぞ? こんな中途半端な時期から迎え入れてくれるだけ感謝すべきだ」

「……そりゃあ、そうだけどさ」

「次やらかしたらもう終わりだぞ。……高校くらい出とけって言ったのは誰だった?」

「……先生方に感謝して、大人しくしてなさい」

 言われずともそうするさ。次、問題を起こしたら、高校どころか家が無くなりかねない。盥回しにも限度ってもんがあるんだぜ。

 適当な生徒に声を掛けて職員室の場所を教えて貰う。私服姿をじろじろ見られながら校舎に向かい、来客用玄関からスリッパを借りて校舎内を歩く。打ちっぱなしのコンクリ床が続く校舎は薄暗く陰気臭い。ヒビの入った壁。チカチカ明滅する蛍光灯。薄汚れた看板の掛かるトイレにふらっとナギアが入っていって、慌てて出てきた。「ここ全部和式だよ!」。ああ、そうかい、わざわざありがとう。だが、当然のように男子トイレに入るのはどうなんだ? 「一応お前女だろ」。注意すると「あっ、そっか」。ふらっと踵でなく翅を返して、「ねえっ! 女子も和式だよ!」。そういう意味じゃねえよ。

「今時和式って最悪……」

 お前、トイレ行かねえだろ。

「ねえ、クロウ。あんた大丈夫? 和式でも出来る? やり方分かる? 教えたげよっか?」

「分かるに決まってんだろ! いくつだと思ってんだ。つーか、お前は俺の母ちゃんか」

「だって心配なんだもん。こないだまであーんなにちっちゃかったんだから……」

 また始まったよ。多少付き合いが古いからって。やれやれと肩を竦めて、はっと気付いた。俺に集まる無数の視線。しまった。こいつの声は誰にも聞こえねえから、俺が一人で突然叫んだみたいに聞こえるんだ。逃げるように階段を上がり、二階の職員室を目指す。

 一応ノックしてから部屋に入り、その辺にいた教員に声を掛けたら「はぁ? 転校生?」怪訝な顔をされた。「教頭先生ー。なんか転校生が来てますけどー。……いねえのかよ、だりぃなあ」。露骨に面倒くさそうな男性教員にナギアがキレた。「なんなのこいつ! 腹立つなあ!」。ナギアは机の上に置かれたコップに近寄ると、机に落ちていた消しかすを拾って、「えいっ!」。大人しくしてなさいって言ったの誰だった? こんな事でキレるなよ。注意したいのだが人の目がある。俺は小さく溜息。

 教員はスマホを取り出し、電話を掛け始めた。「あ、教頭先生? なんか転校生っていう男の子が来てますよ。え? 宮野先生? あ、はい。分かりました」。スマホを耳から離し、じろっとこちらを睨め付ける。「担任は宮野先生。窓際の2番目の……あの汚い席」。「ありがとうございます」。頭を下げかけた時にはもう無関心に背を向けていた。

「なによ、腹立つ!」

 怒るナギアを放って言われた席に行く。窓際の2番目。確かに汚い散らかった席におかっぱ髪の女性が座っていた。シミの目立つ古めかしい本を広げて食い入るように読んでいる。「あっ、あいつ! 飲みやがった! 飲んだよ消しかすコーヒー! ざまあ見やがれ!」。そうかい、良かったな、お大事に。

「すいません、宮野先生ですか。転校生の室星と言います」

 そう声を掛けるが、宮野はこっちを向かない。「あの、宮野先生!」、もう一度大きな声で呼ぶと、「え? あたし?」。やっと顔を上げた。

「あの転校生の……」。言い終わる前に宮野が叫んだ。

「ああ! 転校生ねっ! はいはいっ! えっと、ちょっと待ってね……」

 宮野は書類の山をひっくり返して、

「なんか君も大変だよね。こんな時期に転校とかさ。やらかしたんだってね、前の学校で」

「……ああ、はい。まあ」

「なんかいろんな学校でやらかしてんだって? なんかみんな色々言ってるよ。まああたしは知らねーけど。関係ないし。……あった!」

 薄ピンクのクリアファイルを引きずり出すとドンッと俺に押しつける。

「はいっ! これっ! 教頭から預かった……なんか大事な書類らしいから読んどいてっ! まあ今度は大人しくしろよ!」

「……あっ、はい。……あのよろしくお願いします」

 戸惑いながら一応挨拶すると、宮野は衝撃的な事を言った。

「いや、あたしはよろしくする気ないからっ!」

「……え?」

「生徒指導とか? 進路相談とか? あたしそーいうの興味ないからっ! 日本史、世界史、地理、公民。社会科全般に関する質問だったら、5時までは答えてあげる。あとは知らない。悩みとか不安とかぜんぜん知らない興味ない。勝手に悩んで青春してれば? あたしは君に関わらないから、君もあたしに関わらないでっ! じゃっ!」

 宮野はまた本に顔を落とした。後はもうこっちを気にする素振りも無い。

「なんか、すごい先生だね……。あんなのありなの?」

 あのナギアさえドン引きだ。ちょっと気に入らないからって人のコーヒーに消しかす入れるバケモノでさえ引いてる。こいつの自分勝手っぷりはともかく、色んな学校回ってきたけどこんな先生は初めてだな……。

 だが、まあ好都合だ。干渉されないならそれに越した事は無い。俺は一応形式的に頭を下げて、職員室を出た。

 これで後は家に行くだけ。なんだが……。それが一番憂鬱だ。だって、俺には親がない。本当の意味で帰るべき家なんて無い。だから家っても他人の家なんで居心地なんて最悪だ。おまけにいよいよ盥回しも先が無いとなったら緊張もしてくる。

 担任はあり得ない程に不干渉主義らしいが、さてこっちはどうだか。俺は続柄も怪しい遠い親戚の名前を思い出して溜息。

 壁にもたれ掛かり現実逃避気味にさっき貰った書類を読んでいると、がやがや、なんだか騒がしい集団が近付いてきた。

「お嬢! やっぱカレーはチキンじゃねえと!」

「そうかな。ボクはビーフの方が好みだね。というか、それって共食いにならないのかい? ああ、それより今日はターナーの特売日だよ。クーポン券は持ってきた?」

「あっ、忘れちゃった。って……。教えてくれてありがとうだけど、また後でね。私、変な人になっちゃうから」

「そうだぜっ! 俺らの声は他人にゃ聞こえねえんだから、このままじゃお嬢は変人だぜ」

「それは主にキミのせいだと思うな」

「シュコー……。シュコー」

「ひゃぁっ、ちょ、ちょっとシーちゃん。くすぐったいよ……。また後でね」

 ふと顔を上げると、丁度そいつらが角を曲がってくる所だった。

 鮮やかな青い髪をした女子生徒。極彩色の怪鳥。やたら目の大きな怪鳥②。更に女子生徒に絡み付く触手。

 何の変哲も無い集団は、これまた何の変哲も無い廊下を、がやがや楽しそうに過ぎていった。


「「……ん?」」


 声が二つ、重なった。女子生徒がこっちを振り返る。彼女の視線の先には、妖精と俺。俺の視線の先には、怪鳥二匹と触手と、彼女。

 オッドアイの瞳がじっと俺を見つめ、極彩色の怪鳥①が鶏冠を揺らし、目の大きな怪鳥②が体を震わせ、そして触手が蠢いた。

「あー!!!」

 ビシッと彼女が俺を指差して、とんでもない物を見たような顔で叫んだ。

 俺は何食わぬ顔で鞄を担ぎ直し、さて……と、歩き出す。

「ちょーっと待ったーーーー!!!」

 がしっと彼女が俺の腕に抱きついてきて、

「見えてますよね!? 気づいてますよね!?」

「……何の事だ? 何も見えないぞ」

「いや、見えてます! ぜったい見えてます!」

「だから、見えねえって」

 見えてたまるかこんなバケモノ。何も見えない聞こえない。足に絡み付く触手の感触も全然俺は分からない。

「分かりますよね! 感触! ほらっ!」

 ぎゅっと彼女は腕を抱いて、「ほらっ! ほらっ!」と足下を示す。そこにはうねうね怖気のするような醜悪な触手がうごめいて、俺の足に絡みついているのだが、そんな事は俺は知らないし分からない。

「ほらっ! ほらっ! 足に絡み付いてるでしょ! ほらっ!」

 そんな事言われたって俺には分からない。嘘じゃない。本当に本当に分からない。それより腕が、腕が大変だ。柔らかい。温かくて柔らかい。彼女に抱かれたこの腕に触れる柔らかい膨らみの正体が何なのか、俺にはちっとも分からない。分からないったら分からない。

「ほんとに分からないんですか!? じゃあ、なんで固まってるんですか!? なんでがちがちなんですか!? 動けないんでしょ! それはしーちゃんに捕まえられてるから!」

 彼女は「どうだ!」と胸を張るが、俺が動けない理由は触手なんかよりその大きくて豊かで柔らかくて温かい胸にある。のかどうかも俺には分からない。分からないったら分からない。俺の右手が丁度挟まっているこの温かくて柔らかい隙間の神秘についてはきっと知ってはいけないような気がする。俺はただ目を逸らす。腕だけじゃなく頬も温かい。温かいどころか、暑い。いい加減恥ずかしい。

 そんな俺をナギアがニヤニヤニヤ見つめてる。その視線の生暖かさがとにかくうざくてうっとうしい。思い切り睨み付けてやると、「しょうがないなあ」苦笑気味に笑い、ふわふわこっちに飛んできた。なんだか非常に不安だが背中に回り込まれたので何をするつもりか見る事も出来ない。いや、今はこいつは良い。とにかく問題はおっぱ……。じゃない、このバケモノ共だ。俺の他にバケモノを連れてる奴なんて初めて見たがどう考えたってまともなわけがない。関わったらヤベえ。絶対に関わりたくない。ともかくそれには腕だ。だって、もう状況的に動かせないし、痺れてきたし、一体どうすれば……。

「こしょこしょー」

 不意に間抜けな声がした。それと同時に背中にむず痒い感覚が走る。

 強烈な刺激が俺の全身をビクッと跳ねさせる。まさか。気付いた時にはもう遅い。猛烈な勢いでナギアが俺の背中をくすぐり始めた。

「うあああああああ!!!!!!」

 もうたまらない。俺は身を捩らせ、腕を引き上げた。すると、腕が柔らかい何かの間を通過し、続いて指先がその何かに触れるのを感じた。滑るような繊維の向こうにある生温かい柔らかな感触。それを指先が知覚した直後、視覚に飛び込んできたのはとんでもない光景だった。

 跳ねた。弾んだ。揺れた。震えた。

 ブレザーの襟元を押し上げる大きな二つの膨らみが、俺の腕に引っ張られ、まず真上に跳ね上がり、ついで重力に引かれ真下に落ちる。その後だった。膨らみは止まれなかった。止まるにはあまりに大きすぎたのだ。それは再び空に向かって大きく弾み上がり、再び落ちてまた弾んだ。バルンバルンと繰り返される跳ね返り運動はやがて物理の法則に従って、揺れるような小さな物に変り、やがて僅かに震えてやっと止まった。

「よしっ!」

 ナギアががしっと拳を握る。

「いや、何がよしなんだよ!」

「ちょっと巨乳の生かし方が悪いんじゃないかと思って。絵的に地味かなって」

「何の絵だよ。誰を意識してんだよ!」

「知ってる? 静止している側の時間よりも運動している側の時間の方がゆっくり進むんだって。ほんとだね。すごくゆっくりに見えたもん」

「何の話だよ!」

「相対性理論だよ?」

「なんか違えだろそれっ! アインシュタインに謝れっ!」

 って、こいつとバカをやってる場合じゃねえ。彼女の様子を窺うとやっぱり当然怒ってる。

 胸をかばうように抱き締めて、涙目で俺をじろっと睨み上げてる。

 やばい。逃げよう。

 踵を返した俺の目の前に触手が立ちふさがった。俺は無我夢中で触手を引っ掴み、払い除けると、そのまま一目散に駆け出……。

「……触りましたよね?」

 ……せなかった。

「いま、ぜったい、触りましたよね?」

 ぎゅっと俺の服の裾を掴み、彼女が叫ぶ。

「とぼけないでくださいっ! 触ったんだから、一緒に来てもらえますよねっ!?」

 果たして、触ったのは触手か胸か。それは多分きっと分からない方が良い。悄然と頷き連行される俺の横で、ナギアがギャハハハと腹を抱えて笑っていた。

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