7-1-2/2 45 激突

「自然を信じろ! 科学は敵――」


「やめろよ!!」


 掲げられた横断幕の前に立ち、喜歩は精一杯叫んだ。

 2、3人が喜歩に視線を向けたが、まだデモの勢いは収まらない。

 

「B3Pは人口削減の陰謀――」


「やめろって言ってんだよ!!」


 今度は声を張り上げるとともに、横断幕を引っ張った。

 幕を握っていた5名が、わずかに前のめりになる。


「な……なんなんですかあなたは?」

 声を上げたのは、メンバーの中でも最も高齢と思しき女性だった。


「なんでもいいでしょ! それより……」

 

 喜歩は啖呵を切ると、研究所の病棟に向かって指を指す。

 

「あなた達は分かってるの!? あそこでは多くの人が怪我や病気と戦ってるってこと!」


「分かってますよ! だからこそ神の冒涜であるB3Pの使用をやめさせ、人々に幸福をもたらそうとこうして……」


 詭弁にすら聞こえない。しかしまるで良いことをしているかのような口振りである。

 

「分かってない! あなた達は何も!」

 

 実際にこれだけの人数を集めて来たのだから、一定数の注目と賞賛は得られたことにはなる。

 但し、幸福をもたらすべき対象を履き違えるという致命的な過ちを犯している。


「あなた達は、自分達だけで気持ち良くなっているだけだ!」


「ちょっと! いくらなんでも失礼すぎるでしょ!」

 

 一体どの口が失礼などとのたまうのか。

 そう思うのなら即刻この場から立ち去れば良い。

 

「おばあちゃんは理解した上で、B3P批判する人もいるって言ってた! おばあちゃんはあなた達を理解しようとしてたってこと! なのにあなた達は、ものの見方を歪め過ぎてる!」


 もし本当に誰かを幸福にしたいと思うのなら、もっと物質的、具体的に物事を見るべきだ。

 神の啓示など必要ない。

 必要なのは、B3Pの恩恵を受けた者達の声に耳を傾けることだ。


「意識が無いまま生かされている父さんが幸せなのか俺にも分からない。もしかしたらあなた達がそれを一緒に考えてくれるんじゃないかって思ってた。でもあんたらはよく分からないまま気味悪がってる!」


「父さん? それにさっきおばあちゃんとも言ったよな? 一体何の話だ?」

 

 集団の中にいた男の1人が身を乗り出してくる。

 しかし、喜歩の視野は著しく狭くなっていた。

 

「父さんがあんたらに何か危害を加えたか? これは俺達の問題だ!」


「だから誰なんだ、お前は? お前の問題なら突っかかってくんなよ!」


 男はさらに一歩踏み出し、その眉は大きく吊り上がった。

 それでも喜歩は止まらない。


「理解するつもりも無いなら、ほっておいてよ!」


「お前も話聞けよ!」

 

 男が喜歩の胸ぐらを掴んだ。

 喜歩ははっとして顔を上げる。男の背丈は喜歩より頭2つ分ほど大きい。

 鬼のような形相の男と目が合い、ようやく軽率な行動をとってしまったと気づく。


 言いたいことは一通り言い尽くした。

 喜歩を奮い立たせる動機も、勢いを失いかけていた。


「あ、あ……。ご、ごめ……」


 男の圧に押され、咄嗟に謝りそうになる。

 しかし能登の言葉が脳裏によぎり、すんでのところで言葉を飲み込んだ。

 謝罪とは罪の所在を明らかにするためのものだ。ここで喜歩が過ちを認める訳にはいかない。

 だからと言って、他に何か言葉を紡げる訳でも無かった。


 男に対する恐怖は増幅し、体の感覚が無くなっていく。そして喜歩の手からぽとりと何かが落ちた。


「何だこれは?」


 男は喜歩の胸ぐらを開放し、代わりにその場に落ちた封筒を拾い上げた。そしてそれを喜歩の頭上に掲げ、角度を変えながら観察する。


「あっ……だめっ! 返して!」


 喜歩の背筋に悪寒が走る。

 それは昨晩書き上げた父への手紙であった。

 本来的にRNT02の存在など外部に知られてはならない。

 その実在を示唆する文章が、よりによってアンチ集団などに渡ってはならないのだ。

 思えば先ほどの啖呵において、父と祖母を引き合いに出したことも浅はかでしか無い。

 

 既に仕出かしてしまった失敗を無かったことには出来ない。それでも喜歩は、男の持つ手紙に向かって必死に手を伸ばす。

 しかしそれが良くなかった。勢い余って小指の爪が男の頬を引っかいていた。


「いってぇな!」


 男は喜歩の頬を打って薙ぎ払う。

 喜歩はあまりにも貧弱だった。

 体が側方へと倒れ、右の頬骨辺りから地に着ける。その衝撃が脳へと伝わり、視界が真っ白になった。


「喜歩!!」


 現場から数十メートルほど離れた場所。そこから女性のしわがれた声が発せられた。

 喜歩を除く、その場の一同が一斉に声の方に振り向く。


「久世だ! 久世輪奈だ! 我々の敵だ!」


 誰かが叫んでいたがその声は、近付いて来るパトカーのサイレンの音にかき消されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る