虚空に刷る

ベンゼン環P

第一章 B3P

1-1-1/3 1 保健体育の授業

「バイオ3Dプリンタ、かっこB3Pびーすりーぴーは医療や健康に革命をもたらした科学技術です」

 クラス委員長の渡来とらいがタブレット端末を手に音読する。

 声変わり開始から間もない、少し掠れた声である。

「B3Pは、人の細胞や体を構成する材料を使って、臓器や皮膚、骨などを人工的に作る技術です。日本の研究者、久世くせ輪奈りんな博士が開発をリードし、2050年に初めて人工心臓の移植に成功しました。現在では、心臓、肝臓、腎臓、皮膚などの移植が世界中で行われ、命を救っています」 

「そこまで。ありがとう渡来、座ってくれ」

 保健体育教員の北窓きたまどが、教壇から渡来に目配せする。

 渡来は端末を机に置き、おずおずと着席した。

 

「今日はB3Pの話だな。実際に利用したという生徒は少ないだろうが、耳にしたことぐらいあるだろう」

 北窓は背後の電子ホワイドボードへと振り返り、デジタルペンを手に取った。


 Bio 3D Printer


 北窓はその様に書き込み、さらにBと3とPの文字を丸で囲んだ。


「簡単に言うと、3Dプリンタを使って心臓やら、肝臓やら印刷する技術のことだな」

 北窓は自身の胸を叩き、心臓の位置を示す。

 

「俺にはあまり科学的なことは深くまで分からない。しかし体育教師として、体を再生する技術があったとしても、まずは怪我や病気をしないように気を付けて欲しいと伝えておこう」

 北窓は生徒らに向かってにやっと笑う。いかにも体育教師らしい健康的な笑顔だ。


「さて、B3Pと社会の課題の項目について見てみよう。和戸わど、読めるか?」

「は、はい!」

 和戸と呼ばれた男子生徒――喜歩きほは立ち上がる。そして自席の上にあるタブレット端末を手に取り読み始めた。


「B3Pは多くの人を救っていますが、ろんり的な問題も引き起こしています。B3Pで作られた臓器を持つ人は、普通の人間とどう違うと思いますか? もし顔や体をB3Pで変えられたら、あなたはどう感じますか? B3Pの技術をどこまで使うべきか、クラスで話し合ってみましょう」

 そこまで読み終えると、喜歩は北窓に視線を送り表情を伺う。

 

「よしありがとう。で、和戸はどう思った?」

「え、えっと……」

 突然の問いかけに焦る。文字を眼で追うことに必死で、内容が頭にあまり入っていなかった。

 慌ててタブレットへと眼を落し、内容を確認する。

 そして少しもやっとした気分になる。喜歩はかねてからB3Pに対して思うところがあったのだ。


「先生、このろんり的な問題って……」

倫理りんり的な。なかなか難しい概念だが、B3Pを使うことが人として正しくないと考える人もいるってことだ」

「そうなん……、ですか? 僕は……」

 言いたいことはあるが、言葉がまとまらない。またこの場で発して良い言葉なのかというためらいもある。

 そんな喜歩の様子を見かねたように、北窓が口を開いた。

「敢えて和戸に聞いてみたんだが……、先生がちょっと意地悪だったかもな。では、誰か意見のある者はいないか?」

 教室中を見渡し問いかける。


「あの! 意見、と言うか質問なんですけど……」

 喜歩の前の席の女子――伝田でんたが手を挙げる。

「おう、なんだ?」

「B3Pって体のどんな場所でも作れるんですか?」

 伝田は可愛らしく小首をかしげる。

 

「原理的には作れると聞いたことはあるぞ。だよな、和戸?」

 北窓は再び喜歩に目を向ける。

「はい、そのはずです」

 今度の返事には、しっかりと芯が通っていた。

 北窓は満足気に頷き、伝田へと視線を戻す。

「体のどんな場所でも作れるという前提があれば、何か感じることがあるんだな?」

「はい、つい先日読んだ本があるんです。かなり昔の書籍なんですが、生まれつき手足が無いまま生まれて来た人の自叙伝で……」

「ああ、あれか。有名だよな」

 教室の他の生徒達からも、ああと言う声が漏れる。

 

「その方が言うには、障害は不便だが不幸ではないとのことなんです。それで私には、障害がその方にとってのアイデンティティとして受け入れているかのような印象を受けました。ですがB3Pでどんなものでも作れると言うのなら、4本の手足を作ることも出来るはずです。なのでもし、B3Pで手足が動かせるようになったら、その方はどう思ったんだろうと。その本が書かれた当初には、まだそんな技術も無かったんでしょうけど」

「なるほど、面白い視点だな」

 北窓の顔に関心の色が浮かぶ。


「B3Pを適用する時の患者の状況、という観点から言えば次の3パターンに分けられる」

 そう言うと、北窓はホワイトボードへデジタルペンを走らせた。

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