君と、千年の恋をしよう
HAL
第1話
「はぁ、はぁ、はぁ――」
夜の都。雲に霞んだ月明かりの下、細い路地を一人の若い男が駆けていた。胸を押さえ、息を切らしながら、彼は何かを両腕に抱えている。
「これさえ……この薬さえあれば……君は……死なずに……!」
その声を聞く者は誰もいない。
静まり返った夜の都が、彼の足音と息遣いを、ひっそりと呑み込んでいくだけだった。
◆
「おかあさん、かぐや姫のお話して!」
「またその話? 本当に好きねぇ、あんたは」
とある村の中の一つの家。その中で、母と娘が囲炉裏のそばに座りながら話しをしていた。外はすっかり暗く、空には見事な円を描いた月が地上を優しく照らしていた。
「昔々、竹から生まれたお姫様がいました。その姫は、ある老夫婦に育てられて、あっという間にとても美しい娘になりました。その美しさは、都では知らぬ者のないほどで、多くの貴族が姫に結婚を申し込みました。」
「それで、それで!」
「焦らないで。ちゃんと話すから」
母は微笑んで、話の続きを口にした。
「姫は誰とも結婚しなかった。けれども、その話はやがて帝の耳に届き、興味を持った帝は姫に手紙を出しました。姫はそれに返事を書き、それからふたりは、少しずつ心を通わせるようになりました。けれど――」
そこで、母は一度言葉を切った。
「姫はある日、月を見て泣くようになりました。心配した老夫婦が理由を尋ねると、自分は月の都の民で、もうすぐ迎えが来ると、かぐや姫はそう言いました。帝は兵を率いて姫を守ろうとしましたが、月の使者の持つ異能後からは凄まじく……」
「兵たちも、帝さまも負けちゃったの?」
「そう。姫は傷つく人々を見て、涙を流して言いました。“もう帰ります。だから、これ以上誰も傷つけないでください”と」
「それで、どうなったの?」
「姫は帰る間際に、帝と老夫婦に“不死の薬”を渡しました。『いつまでも私を忘れないで』という願いを込めて。けれど帝は、それを飲むことはありませんでした。帝は、姫のいない世界に生きる意味を見いだせなかったのです」
「飲まなかったの? もったいない!」
「そして、帝はその薬をこの国でいちばん高い山の上で焼かせた。それからあの山は“不死の山”と呼ばれるようになったのよ」
「へぇー……でもさ、不死のほうが絶対いいじゃん
娘は無邪気な声でそう言った。
「そうかもしれない。でも……みんなが死んでいって、自分ひとりだけ取り残されたら、寂しくて仕方ないと思わない?」
「うーん……ちょっとヤダかも」
「それでも、不死を願った人がいたっていう噂もあるよ」
「えっ、だれ? どんな人?」
「さぁね。ただの昔話だよ。帝のもとから薬をこっそり持ち出した人がいたって……でも、本当かどうかは、誰も知らないよ」
「その話、もっと聞かせて!」
「ふふ。また今度ね。今日はもう遅いから、早くおやすみ」
「はーい、つまんないの……」
娘は渋々布団へ潜り込み、母はそっと蝋燭の火を吹き消した。
部屋は、静かな闇に包まれていった。
◆
草木も眠る丑三つ時。あの母娘が眠りにつき、村に静寂が訪れた頃。村を見下ろす山に、一つの人影が見えた。
「かぐや姫のお話…。そうか、もうおとぎ話になるほどの時間が経ったのか」
そのつぶやきは誰にも聞かれることなく、夜の静寂の中へと消えていく。
「一度くらい、会って聞いてみたいものだ。なぜ、こんな運命に導いたのかを」
その人影——少女は、そう呟くと、立ち上がって月を仰いだ。
「お前は、今も月から私達を見ているのか。なぁ......かぐや。」
それが何を意味するのか——それは少女自身にも分からなかった。
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