現実感を欠いた日常の組成式

Case:1

 運が良かったのか、私の就職した会社は、非常にホワイトだ。ブラック務めの限界社畜達と違って、盆も年末年始もゴールデンウィークもある。

 八月十日から始まった取材旅行の旅も、今日で四日目。夏晴れの下の宇都宮駅で、次の目的地候補を一つずつ、頭の中から消している最中だ。

 幾人かに取材をすることは出来ているものの、やはり見知らぬ女に自分の思想を語ってくれる人間は少ない。応じてくれたのは、全部で六人。鎌倉で一人、東京で三人、ここ宇都宮で二人。鎌倉ではバンギャ。東京では夜遊びをしている二人の少女と、夜のバーで出会った個人商店を営んでいるという女。この街では、軽トラを屋台にして旅をしているという、二十三歳と十七歳。収穫はあったが、小説に組み込むには、もうあと何人かに話を聞きたいところだ。

 残った候補は二つ。草津か京都。この場所からなら草津が早いが、しかし、夏の京都というのも風情がありそうではないか。

 少し悩んだ末に、行先を京都に決める。せっかくここまで北上したのに、南に戻るとは。なんとも効率の悪いことだが、その場その場で目的地を決めるというのも、旅の醍醐味なのかもしれない。

 キャリーバッグを引いて、改札を抜ける。新幹線にしようかとも考えたが、やはりここは在来線を乗り継いで行くことにした。

 八番線のホームに立って、スマホで所要時間を確認すると、十一時間弱とある。十二時三十五分発の電車に乗るので、到着するのは十一時ニ十分だ。

 はてさて、次はどんな相手が取材に応じてくれることやら………と、ペンデュラムストーンのペンダントに触れて、宇都宮を離れる電車に乗った。




    現実感を欠いた日常の組成式




 二〇二四年。

 八月十三日。

 午後十一時二十九分。

 電車に揺られながら予約した、京都駅から徒歩七分の場所にあるアパホテルに到着した。手早くチェックインを済ませて部屋に入り、靴もそのままに、ベッドの上に上半身を投げ出す。しかし、疲労感はあるものの、眠気はない。取材旅行中は深夜に行動することが多いため、昼夜が逆転してしまっているのだ。

 深夜の京都に繰り出し、部屋に戻ってくるのが五時前後と仮定して、それからメイクを落としてシャワーを浴びて………となると、睡眠時間は長く確保できても四時間弱。ショートスリーパーに分類される私だが、メイクの時間を考えると、流石に足りない。

 とはいえ、明日の十時にチェックアウトをした後で、もう一泊する予定だ。眠るならば、その時でも問題ないか。

「さて、取材取材っと」

 そう呟いて、体を起こす。

 どこかへ旅行に出かけた際、近くにアパホテルがある場合は、毎回利用している。朝食のビュッフェが非常に美味しいのだ。午前五時までチェックイン可能で、朝食付き。これでお値段八千円程度なのだから、かなりコストパフォーマンスの良いホテルである。唯一の欠点は完全禁煙という部分だが、昨今のホテルは大抵そうなので仕方が無い。

 ホテルから出ると、粘り気のある空気が肌に絡み付いてきた。盆地ということで、夜になっても昼の気温が残ってしまうのだという。迷惑な話だ。

 近くでシェアサイクルを一台借りて、蒸し暑さが目立つ深夜の京都を走る。四条河原のあたりで取材を、とも考えたが、今夜は京都観光がしたい気分だったので、伏見稲荷を目指すことにした。

 一時間以上自転車を漕いで、伏見稲荷大社裏参道でシェアサイクルをポートに戻す。やはり、繁華街と違って、この辺りの夜は人の影が見えない。

 鳥居の下で、バッグの中から錠剤の入った瓶を取り出す。しかし、蓋は開けない。

「………ちゃんと大人やれてたかな、私」

 鎌倉で取材したバンギャと、東京で取材した二人の少女の前で、私は平凡を演じることが出来ていただろうか。自分も彼女達と同類だというのに、上からものを言ったものだ。

 旅行中はまだ、一度も薬の瓶を空けていない。訪れる場所全てでドラッグストアに寄って買い足してはいるが、ホテルの一室でハイになったりダウナーになったりしては、下手をすれば大事になりかねないからだ。

「いい歳してなにやってんだろ、私」

 二月には二十七になるというのに、こんなものに頼らなければ、日常を送れない。酒に溺れる彼女達と変わらない、夜の紺色を肝臓に詰め込む、社会に適応できないレッサーパンダのような女。限られた環境の中でしか、私は生きることが出来ないのだ。

 出多という名は、死んだ父が付けた。人を愛し人に愛され、多くの幸せを生み出すように────と、そんな意味が込められているらしい。平凡な思考からよくもまあここまで難読な名を付けたものだが、姓と合わせることで、まるで違うものになる。

 成ることを予見していたかのようだ、と苦笑して、千本鳥居の前に立つ。一本目を仰いで、自分がそこで首を括っている姿を想像して、鳥居に触れる。

 と、スマホが震えた。画面には『鳴南なな』の二文字が表示されている。

「なに、こんな夜中に」

『別に。なんとなく気になっただけ』

 滅多に電話などしてこないというのに、姉妹の勘でも働いたのだろうか。

「こんな時間に電話してていいの。子供とか起きるんじゃない」

『外で話してるよ、流石に』

 そう、とだけ返す。

 鳴南は、私と一つ違いの妹だ。三年前に沖縄の男と結婚して、昨年には第一子を出産している。

『姉さん』

「なに」

『大丈夫?』

 心配される程、やつれた声をしているのだろうか。この数日薬を飲んでいない所為か、精神状態が若干不安定になっている気がする。

「大丈夫だよ。あんたこそ、体に気をつけなさい。子供もいるんだから」

 そう言って通話を終える。静寂が戻った千本鳥居の前は、風一つ吹いていなくて、どうやら神は私のことなど興味が無いらしかった。

 経験が無い。だから書けない。書くために取材をする。それは本心だが、同時に自身の根底から目を逸らす方便でもあった。

 社会派作家というやつだ、と、赤いインナーカラーの少女は言った。リアリティのある題材を取り上げて書くのか、と。それを理由に、自分とは対極の位置に立つ派手な女に声をかけたのかと。

 だが────私は。

 私が本当に彼女達に訊きたかったのは。

 確かめたかったのだ。いや、答えを得たかった、というべきだろうか。生きるということと、死ぬということ。死を胸中に抱えたまま生きる人間は、どのようにして、死を振り払えばいいのかを。

 特別な理由はない。原稿は進んでいないが仕事は順調だし、多少要領と間の悪い上司はいるものの、セクハラもパワハラも受けていない。これまでの人生で虐められたこともないし、一応週末に呑みに行く友人もいる。

 しかし、特別な理由などなくとも、最期というやつを頭に描いて生きる人間も、存在するのだ。理由がないという部分で、また脳の皺を減らしながら。

 もう一度、自分が死んでいるところを想像してみて、私も幽霊になったりするのだろうか、などと考えた。

「幽霊って、なんだろう」

 私が納得できるような答えを、誰かが持っていたりするのだろうか。もちろん、オカルティックなもの以外で、だ。伏見稲荷に現れるという霊の原理は、存在理由は、どこにあるのだろう。

 思考の全てを把握して管理して制御できないのだから、原稿に手を付けられないのも当然だ。担当からも早く次回作を、と催促されているが、何を書けばいいのか、全くといっていい程掴めない。社会派などと名乗っても、社会の問題には、実のところ大した興味もないのだ。これでは取材に応じてくれた六人に申し訳が立たない。

 シェアサイクルに乗って、北へ走る。夜明けはまだ遠く、しかし一秒毎に白に近付く空が、やけに視界に絡み付いてきてしまって。

 仕事のこととか、原稿のこと、人生のあれこれと薬の瓶が、電線を伝ってどこかの家に届けられる様が、ただ後ろに流れていく。

 気付いた時には東の空が白と水色と薄い橙色に犯され始めていて、私はそれを、ポストの隣に立って見ていた。コンビニで買ったチューハイを呑んで、ショートホープを吸いながら。

「一本くんない?」

 風情の欠片も無い、富小路通り。夜の終わりを呪っている私に、女が声をかけてくる。メイクも服装も特別派手というわけでもない、しかし男受けが良さそうな、実用的な見た目の女が。

 夏の朝の所為か、アルコールが回り始めているからか、分からない。煙草を一本くれないか、という女の頼みを、断る気にはなれなかった。

「さんきゅ」

 私からショートホープを一本受け取った女が、バッグからジッポを取り出して、火をつける。白い菫がデザインされた、洒落たジッポだった。

 女はポストの上に座ると、酒はまだあるのかと私を見て言う。数本買ったので残ってはいるが、初対面でずいぶんと図々しい女である。

「呑むなら別にあげるけどさ。自己紹介くらいしてくれないかな」

 名前ねぇ、と女が煙を電線に絡ませる。そして少ししてから、「どっちの名前がいい?」と逆に質問してきた。質問を質問で返すとは、小学校からやりなおしてほしいものだ。

「どっちの、って?」

「仕事用の名前か、本名か」

 偽名を名乗るつもりだったのか、と眉間に軽く皺を作る。いや、明け方の路上で酒盛りをするだけならば、本名を教える必要性は薄いか。

 どちらでもいい、と答えようとして、しかしやめる。こんな日の出の時間に、普段着という雰囲気でもない女が歩いているのだ。香水も、二種類が混ざっているかのような、そしてそれを隠そうと何振りもかけたような、甘ったるい匂いをしている。夜の女だろうか。いや、私も十分夜の女ではあるのだが、そういう仕事をしている女、という意味で。

 取材になりそうだ、と本名を訊く。

「水流 現」

 受け取ったチューハイを呷ってから、女────現が名乗る。

「現さん、ね」

「呼び捨てでいいよ」

「なら現で。私は薬袋 出多」

 朝焼けが顔を出したその下で、脳味噌が収縮してしまっている二人の女が、互いに自己紹介を済ませる。奇妙な光景だ。

「ねぇ、現」

 ん、と彼女が私を見る。

「嫌じゃなければ、だけど。取材に協力してくれないかな」

 自分が一応作家であること、取材旅行をしている最中であることなどを話して、応じてはくれまいかと頼み込む。彼女が頷けば、七人目の取材対象となるわけだ。

 おそらく夜の仕事をしているであろう、この女。詮索されたくない、という雰囲気を纏っているが、しかし、少し考えた末に、現は「暇な時なら」と承諾した。

 二〇二四年。

 八月十四日。

 午前五時二十三分。

 二十七になる前の夏。

 私は、現と出会った。

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