Case:2

「伊・豆!ディス・イズ・伊豆!ディス伊~豆!」

「ディスってるみたいに聞こえるからやめろ」

 十月十二日、土曜日。

 午後二時四十二分。

 伊豆旅行初日。

 伊豆急下田駅前で紅祢が両手を広げて、伊豆に来たぞと宣言した。そのポーズは秋葉に降り立った女子中学生にのみ許されているはずなのだが。まぁ、人生初めての温泉旅行なのだから、テンションの高さは仕方がない。もっとも、正確には伊豆半島内の下田であり、伊豆市ではないが………私達を含めて多くの観光客にとっては、伊豆半島がイコール伊豆であるため、大した問題ではない。

「送迎バス出てるんだっけ」

「のはず。降車口右側に………って書いてある」

 予約した宿は、"下田港を一望できる絶景の宿"が売り文句の、ホテル山田屋。駅からの送迎時間は午後二時半から午後五時半の三時間で、送迎バスが見当たらなければ、他の客を宿まで送っている最中とのことだ。

「でも、せっかくなら、稲取とかが良かったなー」

「一か月前の予約だぞ。部屋空いてるわけないだろ」

 太平洋に直接面した東伊豆や西伊豆のホテルは、数か月先でも予約を取るのが難しい。対して下田周辺は入り江状になっている地形で太平洋を見るのが難しいためか、一か月前でも部屋を取ることができた。角度的に水平線を見ることはできないが、オーシャンビューな客室であることに変わりはない。十七歳と十九歳の温泉旅行としては、十分過ぎる程に豪華な宿だと言えるだろう。

「海見ながらの露天風呂、楽しみだったのに」

「一応海は見えるぞ………っと」

 降車口右側に、『ホテル山田屋』と書かれた小さなバスが見える。バスといっても、座席数が少し多いだけの大きめのバンのようなものだが、送迎用としてはよく見るタイプだ。フジロックの時にも目にした気がする。まだ出発していないということは、幸運なことに、私達が本日一組目の利用客らしい。

「オーシャンビューな露天風呂なら、宿以外にもあんだしさ。楽しもうぜ」

 なんといってもここは伊豆だ。宿からは離れているが、黒根岩風呂という超有名所もある。温泉以外の観光名所も多いことだし、太平洋を眺めながら眠りに就けないなどと、不満を口にしている暇はない。この二泊三日のために、かなり節約してきたのだ。何としてでも元を取らねば。

「それもそうだね。それに、ご飯美味しそうだったし」

 一応、全部屋オーシャンビュー、それも水平線を眺められる土地に建てられていて、すぐに予約を取れる宿が同じ下田エリア内にあったりしたのだが、大人二人、二泊で十万と流石に手が出せなかったので、その半分の金額で済むホテル山田屋を選んだのである。といっても、比較的評価は高く、三ツ星ホテルなので、安宿というわけでもないのだろうが………三ツ星ホテルがどの程度のものなのか、私と紅祢には分からない。

「ああ、どうも。宿泊される方ですか?」

 運転手であろう初老の男が、近付いてきた私達にそう声をかける。気のいい感じのおっちゃん、という印象で悪い人間には見えないが、こういうタイプは、運転中に客に話しかけてくる………という偏見と先入観がある。一組だけしか乗せられない、という制約があるわけでもないはずなので、もう一組、二人か三人程度の宿泊客が現れたりしないものだろうか。

「すみません。私もご一緒してもよろしいですか?」

 と、私の願いがどこかの誰かに伝わったのか、背後から声をかけられる。おっちゃんには悪いが、まさに救世主だ。

 紅祢と二人で振り返ると、比較的長身の女性が立っている。一人で気ままに温泉旅行に来た、という感じだ。

「よかった。零の引き寄せ体質、発動ならず」

 この場に現れる可能性のある知り合いなど、今は出多くらいしか思いつかないので、私の体質の心配はしなくてもいいはずだ。阿比留も温泉旅行ができる程度の蓄えはあるだろうが、十五にすらなっていない女を一人で受け入れる宿泊施設などないだろうし。もっとも、私も未成年で、おまけに紅祢は保護者ではないので、予約を取る際に一悶着あったのだが。

 喜んで、と答えて、三人でシャトルバスに乗る。駅からホテルまでは、車で十分もかからない程度の距離だ。その間に軽く自己紹介を済ませ、世間話のようなものを少ししたが、知り合いというわけでもないので、会話もそこそこで外の景色を眺めることになった。

 ホテルに到着し、フロントで受け付けを済ませる。一緒にバスに乗った女性────喜茶きちゃ 映子えいこという名前らしい────が予約したのは、私達の隣の部屋だったようだが、最早驚きはない。先程は否定したが、これも私の引き寄せ体質の影響なのだろうか。だとすると、この映子も頭のおかしな人間なのかもしれない。今のところは、そうは見えないが。

「畳ってのがちょっとアレだけど、まぁ、温泉旅館って大体畳だよな」

 部屋に入り、荷物を置く。生活するのであれば畳は嫌いなことこの上ないが、宿泊するというのであれば、新鮮さすら覚える。

 決して広いわけではないが、このホテルは全部屋オーシャンビューで、売り文句通り、下田港を眺めることができる。広縁………だったか、あの旅館によくある謎の空間もあるし、清掃も行き届いていて清潔感がある。禁酒をしていなければ、夜の海を眺めつつ、日本酒でも傾けたたいところだ。

「わたしも、旅行中は飲めないし吸えない………」

「帰るまで我慢しなさい」

 受付時には年齢確認もされたのだ。十九歳の紅祢が酔っている姿など見られては、旅行どころではなくなってしまう。

「さて、と。どうしよっか」

 今日はチェックインから夕食までにあまり時間もないので、特に予定も入れていない。できたとしても、周辺の散策程度だ。

 と、紅祢が背後から近付いてきて、私の髪に触れる。

「え、なに」

「伊豆旅行だよ、伊豆旅行。髪長いなら、お団子にしないと」

 さてはゆるキャン見たな、こいつ。まぁ、別にいいけど。いや、まさかとは思うが、聖地巡礼でもするつもりなのだろうか。移動手段が限られているので、ほぼ不可能に近いのだが。

「ちょっと歩こうよ」

 私の髪を丸く纏めた紅祢が、散策に出ようと誘ってくる。夕食は午後六時からで、あと三時間しかない。そのことを考えると、往復二時間半程度の範囲内を見て回るくらいか。

「ハリスの小径………でいいのか、この道」

 先程シャトルバスでも通った、県道一一六号線。須崎柿崎線、とも呼ぶらしいが、ハリスの小径という名も付いているらしい。なんでも、タウンゼント・ハリスなる人物が歩いた道なのだとか。

「うーん、やっぱり、太平洋の水平線、まだ見えないね」

「まぁ、内海だしな、ここ」

 しかし、なかなかの景色だ。建造物は少なく、緑と二種類の青のコントラストがよく映える。田舎に住むのは御免被るが、こうして旅行で訪れるならば、やはり静かな場所が最も良い。

 いづみがこの景色を見たら、間違いなく写真に収めることだろう。その後は────どうなのだろう。これは、彼女の求めている、自分にとっての一番の景色になり得るのか。

「横穴………防空壕?」

 しばらく海岸線沿いを進み、左に立ち並ぶ家々が潮風を堰き止めている場所に着く。ほんの二十メートル程向こうには海があるはずだが、ここには潮騒の音しか届かない。たった二十メートル、家数軒。それだけで、海は音と潮の香りだけの存在となる。

 その場所の岩肌に、横穴があった。紅祢が立ち止まったことから、ここに来たかったのだろうということが分かる。

「特攻基地跡………らしいよ」

 海沿いの横穴で、防空壕ではなく特攻基地跡。ということは、戦時中は海上特攻隊の格納庫として使用されていたのだろうか。

「戦争の歴史を知りましょう、みたいなこと?」

 ずいぶんとらしくない。歴女にでもなりたいのか。

「ううん。正直、映画とかの題材くらいにしか思ってない。薄情だけど、知らない時代の、知らない悲劇だし」

 戦争体験者には悪いが、所詮はそんなものだ。いくら体験談に泣いてみせたり、後世に伝えようとしたところで、知らないのだから真に迫った言葉になどなりはしない。私達の世代からすれば、終わった悲劇に触れているだけ。宗教と同じで、題材として選ばれることがあるに過ぎない。八十年という歳月の川が隔てる、対岸の火事でしかないのだ。

「ただ、なんていうかな。ここも空襲あったとかで、百人?くらい死んでるらしいんだけど」

 有名ではない、どころか知る者などほとんどいないであろう、小さな空襲の話。当時の町民からすれば思い出したくもない記憶であり、そうでない私達にとっては、これもやはり、ただの歴史で、文字列だ。

「八十年も前のことで、もう当時を知ってる人も多分ほとんどいなくて。じゃあ、この町の幽霊って、今も誰かの思い出を食べてるのかな、って」

 死者は生者の記憶に留まり、思い出を食べて延命される。しかし、記憶とは風化していくもので、そして何よりも、原則として、一代限りしか続かない。言葉や文字、映像などで当時を伝えても、それは体験した当人の記憶の断片に過ぎない。

 以前私は、四百年前であれ二千年前であれ、歴史を知っている者がいるならば、霊に寿命は無いと言った。しかし、紅祢の考えは真逆のようだ。

「この向こうにもさ、ロシアだかの船が沈んだ時に乗ってた人達の墓があるらしくて。でも、二百年くらい前のだよ。その幽霊たちって、今、誰の記憶の中にいるんだろ」

 原則として、記憶は一代限りのもの。であるならば、彼ら彼女らの霊というのが存命中であっても、捻じ曲がったものになっているのだろう。

「そういう歴史があるって知っても、当時を知ってるわけじゃない。人が人を呪えるのって、多分せいぜい、数十年が限界なんだよね」

 霊の、死者の寿命は、四百年ではなく数十年。長生きしたとして、限界はせいぜい、八十年か九十年、といったところか。一世紀にも満たないが、人の社会の中では、十分長い時間ではないだろうか。特に、技術の発達が加速している、今とこれからの時代では。

 とはいえ、だ。

「史跡巡りならともかく、観光中にする話じゃねぇよ、それ」

 温泉に浸かって、海を見て、浜辺を歩いて、上等な料理に舌鼓を打つ。今回はそのために伊豆に来たのであって、死者の寿命について討論するのは、また別の機会にしてもらいたいものだ。

「確かに。ごめん」

 たははと笑って、また歩き出す。白浜の方行きたいな、という紅祢に、流石に今日はムリでしょ、と返しながら、まどが浜回遊公園という場所に入る。どうやらここには、足湯があるらしい。私も紅祢も、足湯は初めてだ。

 足湯には数人の姿があったが、私達が近付くと、座ったまま会釈して、座れるようにスペースを空けてくれた。

「海ってさ、大体黒いよね。玄武も属性は水で、色は黒だし」

 海を眺めながら、紅祢がそう言う。

「日本だと、青龍が水属性にされがちだけどな」

 中国の五行説、西洋の四元素理論。どちらにも属性には色が割り当てられているが、五行思想の方では、水が黒、植物が青とされている。青々とした木々だとか青信号だとか、日本語ではしばしば緑を青と表現することがあるが、その理由はこのあたりにあるのかもしれない。例えば、かつては五行思想に倣って植物の色を青としていたが、西洋文化の流入により、水イコール青になった、とか。

 ふと、銅像が目に入る。あのポーズは日本人ならば誰でも知っている。坂本龍馬の像だ。

「そういや下田って、ペリー来た後に、一番最初に開港したとこなんだっけか」

 ペリーが三百人の部下を連れて歩いた、という道もあるらしいが、それはもう少し西の市街地にあるようだ。ここに来るまでに見た柿崎弁天島辺りから黒船に乗ろうとした人間がいたり、ハリスの下へと派遣されたが三日で解雇され、のちに小説などの主人公にされたという女がいたりと、地味に歴史のある町である。いや、歴史など、どこにでもあるものか。ただ知らないだけだ。

「学生さんかい?」

 隣に座っていた高齢の女性が、私と紅祢の会話に入ってくる。年齢を考えれば学生に見られるのは当然のことなのだが、生憎と私も紅祢も、ただのフリーターだ。

「ここいらに興味持ってくれる若い人なんて、ずいぶん珍しいねぇ」

 先程の紅祢ではないが、せっかく普段とは違う土地に来たのだ。旅行先の歴史について尋ねるくらいは、してもいいかもしれない。

「なにかありますか?こう、珍しい話とか」

「どうだかねぇ。昔は色々聞かされたもんだけど、住んでるモンにとっちゃ、なぁんもないただの町さね」

 レポートちゅうやつかい、と聞いてくる老婆。ただの旅行客なのだが、そういえば、この辺りを訪れる観光客の平均年齢はどのくらいなのだろう。宿の予約が取れていれば東伊豆か西伊豆に行っていただろうが、やはり私達の世代がこの辺りを訪れるのは珍しいのだろうか。

「いいとこだと思います。海綺麗だし」

「ははは、なぁんもないけどねぇ。でも、なぁんもないくらいがねぇ、住むにはいいっちゅうか」

 正直、その感覚は全く理解できない。住むなら都会一択だ。徒歩五分圏内にコンビニとスーパー、それと駅の全てが揃っている土地でなければ、絶対に住みたくない。それに、地元愛といった感情も、私は利便性を優先する性格なので、やはり理解に苦しむ。都会の喧騒を離れた土地で暮らす、というのは、自らわざわざ不便な土地に移住する、という意味にしか聞こえないくらいだ。

 ただ、それは生まれた時からネットがあって、様々な電子機器に囲まれて、便利な土地で育ったことで育まれた価値観なのだろう。昔からずっとこの町にいるのであれば、離れがたくもなる………の、かもしれない。いや、やはり、私には理解できない感覚だが。

「おばあさんは、その、戦争の話とか、聞いてるんですか?」

 と、紅祢。今日はやけに、そういう話を気にする。いや、初めて出会った時もそうか。彼女はいつも、生と死について考えている。

「聞いとるよぉ。聞いとるけどねぇ、聞いただけだねぇ」

 高齢といっても、おそらくまだ七十代だ。戦争体験者ではない。すなわち、私や紅祢と同じということだ。

「怖かったって、親から聞かされたけどねぇ。わしは知らんもんだから、ようわからんねぇ」

 この老婆の中にも、親や知人の霊がいるのだろう。だが、その霊が生前何を話して聞かせていても、記憶の断片が彼女の中に遺っているだけで、それは捻じ曲がった死者の霊なのだ。

 ふと、霊も苦しむのだろうか、と疑問を覚えた。最近はめっきり減ったが、一時期は夏になれば必ず、テレビでは心霊系の番組が放送されていたものだ。それに出演するような胡散臭い霊能者は、生前の苦しみを今なお抱えている霊がいるとか、そういう話を真面目くさった顔で口にする。しかし、霊が、死者の影が生者の記憶に住み着いた断片であるならば、その苦しみとやらもきっと、生者の想像でしかないのだろう。

「死んだ親も、枕元に立って昔の話なんてせんからねぇ。なんたって、ほら、化けて出るのも多分疲れるでしょ。ぽっくり逝ったら、極楽で足湯でもするのが一番だぁね」

 それでも、本人が化けて出なくとも、その誰かを知っている人間の記憶の中には、霊として影が遺る。遺影とはよく言ったものだ。葬式の参列者が死者の生前の写真を見ることで、死者の影は、霊として遺るのだから。

 何十年か後になって私が死んだなら、その後は私も、誰かの記憶を食べるのだろうか。きっとそうなるのだろうが、しかし、どうにも気色悪く思えて仕方がない。

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