Shout ! 9

 初めて知ったことだが、芳子の親父さんは政府系のシステム設計に関わる人で、半官半民みたいな感じの仕事をしている人らしい。すなわち、今回の立候補者推薦のAI選考に関わるプロジェクトのど真ん中にいた人だったというわけだ。

 それなりに守秘義務のある仕事だし、親父さんが芳子に向かって国家機密をぺらぺら喋ったわけではない。が、昨年の冬頃、父親が晩酌をしながら娘にこんなことを訊いたことがあったそうな。

「芳子、お前、学級委員長なんかの仕事、何回もやってるみたいだけれども……」

「うん?」

「……仕事はそれだけか? 生徒会とか、もっと上の仕事なんかは――」

「何回か話が来たことはあるけど、委員長やってると却って断れる口実になるし、そんなこんなで結局やってないかな」

「そうか。……学級委員長を何回もやってる生徒って、他にもいるもんなのか?」

「うーん、そんなに何人も見るわけじゃないけど……まあ珍しくはないんじゃない? 今、うちの学年六クラスだけど、四組の奈丹樫なにがしさんって人、私と同じような感じみたい。上とか下の学年にもそれなりに」

「それぐらいか。……じゃあ、大丈夫かな」

 最後の一言が意味不明っぽかったけれども、それ以降はもう何の話もなく、芳子自身その会話を忘れかけていた。

 ただ、後日の断片的な話から、父親が何の仕事をしているのかをそれとなく勘付いてしまい、少し気になっていたところに、この春になってたまたま目にしたネット記事で急に「悟ってしまった」らしい。

 そのネット記事とは、学校で実施している「心の健康調査」が外部にダダ洩れになってるという疑惑を報じたものだった。

 全国の全ての学校でと言うわけじゃないが、小中学校では生徒の性格とか心理傾向なんかを判断する材料として、専用の診断テストを導入していることが多い。ストレスチェック、メンタルヘルスリポート、呼び名は様々ながら、実態はとある業者の「心の健康調査」なるプログラムが核になっていることがほとんどである。

 そういえば中二ぐらいの頃だったか、俺が受けたメンタル診断には、係活動とか委員会活動とか文化祭での受け持ち内容とかにまで踏み込んだ項目があったのを思い出す。要は仕事を抱え過ぎて病んでないかどうかの確認だったのだろうが、質問に細かく答えすぎると、小学校では学級委員を何回務めたことがあったとか、学校もろくに把握していないキャリア歴が全部レポートになってしまいかねない調査だった。性格傾向以外にも、本人の精勤ぶりだの、それこそ「頼まれたらイヤと言えない傾向」指数だって算出できるんではなかろうか?

 もちろん個々の診断結果は部外秘で、本人と保護者と、限られた範囲の教員しか知らされないようになっている。そのはずである。

 ところが、まあ話を略して言うと、そのデータが、どうかすると研究資料の名目で比較的容易に閲覧・活用できる形になっているのだという。表向き「個人の特定を困難にした改変を施している」から、プライバシーの侵害はあり得ないということらしい。その一方で、現実には興信所なんかの業界用データベースがその「匿名データ」を取り込んでいて、相当な数の個人情報が〝性格〟とか〝メンタルの傾向〟なんかの項目とセットで、来るべき照会を待っているのだそうだ。

 いずれも真偽不明の情報である。都市伝説的な噂、と言ってもいい。が、その種のルートで払うものを払えば個人情報などいくらでも手に入ると言われる昨今、いかにもありそうなことだ。そもそも大企業の就職時にやってる身元調査など、どんなチャンネルでどんな手続きを経て行っているものなのか、疑い出したらきりがない。

 だから、今回の選挙で防衛省が〝禁断の裏技〟に手を染めたとしても、大声で非難できるような話ではない。というか、そもそも話を聞いた限りでは、俺の感覚だと入口の部分でまず懐疑的になってしまう。

「うーん、筋は通ってるけど……そうまでして、俺みたいな、その、『断り下手な』人間っての? がほしいのかな?」

「当然。今回の自衛隊にしちゃ、頼まれたらイヤと言えない性分の人って、最優先の人材だと思うのよね。初回の選挙で確実に頭数揃えられるし、混乱もなく選挙を乗り越えられれば、制度として定着させられる目処もつくし」 

「……つまり、成績優秀とか、筋肉バカなんかよりも、ずっと……ってことか」

「さすがに話を表にするつもりはないでしょうし、真相は永遠に藪の中だろうと思うけど……別の見方をすれば、そこまでの奥の手を使ってでも、今回の選挙は成功させたいってことなんでしょう」

 しばらく、俺たちは黙り込んだ。堤防のてっぺんを越えた下り階段で、俺は手すりにもたれ、芳子は縁石に座り込んで、まだしばらくは空に居残る様子の夕日を眺めていた。

 芳子の話は荒唐無稽と言う感じではなかった。むしろ、色々と腑に落ちるところも多い。ただ、俺がずっと抱えていた疑問への根本的な説明にはなっていないのも確かだ。すなわち、1なぜそれほどまでに確実な入隊を画策するのか 2非戦主義者までも入隊させようとするのはなぜか だ。

 む、と急に疑問が頭をもたげた。俺みたいな性格の立候補者がやたら目立ったのはそれでわかるとして、非戦主義の人間まで取り込もうとしているのは……頼まれたら断らないとかそういうのとは別の話……だよな? そもそも1と2の関係はどうなっているんだろう? 非戦主義者までも入隊させるほど、今回の選挙を成功させたいということなのか、それとも、この選挙を口実にして非戦主義者も取り込んでしまおうということなのか……1>2なのか、1<2なのか。1=2ではないことだけは確かだけれども――。

「黙っててごめん」

 芳子のかすれた声で、我に返る。

「私、よこしまなこと考えてたの。仁実君に降りかかる不幸を材料にしたら、うまくやればネットジャーナリストとしてデビューできるかもって。だから――」

 芳子が縁石から立ち上がった。すごく真面目な顔で俺の正面に歩み寄る。いつもながら、距離がやたら近い。

「だから、何も教えなかったし、それどころかずっと準備してたの。仁実君の昔の記録たどって、私の仮説の裏付け取って、仁実君にくっついて取材範囲拡大して、選挙の終わりまで証言とか記録取ってから、裏データベースアクセス疑惑のことテーマに記事にしてやろうって。でも……」

「ん、それはもういいよ」

 本心から俺は言った。そんなことだろうと思った、とまでは言わないにしても、裏切られた気分とかはない。まあ言ってみれば予測の範囲内だ。何しろ芳子だし。

「どうせ教えてくれてても何も変わらなかったし、下手に騒ぐわけにもいかなかったんだろ? むしろ、先取りして色々調べといてやろうとか考えたんじゃね? 気にしないで、このまま取材続けてくれたらいい。俺は協力するけど? それか、何かまずいことでもできた?」

「まずいって言うか……なんか調子狂っちゃって。自衛隊の人、みんなすごく親切で――」

「ああ、そういえばなんか気に入られてたみたいだな、三方は」

 例の「婚約者」発言が利いたせいかどうか知らないが、日曜日のあの後、芳子の周りにはしばらくの間人垣が絶えなかった。芳子が取材相手を捕まえて回ったというより、向こうからどんどん謁見にやってきてる感じだったほどだ。

「なんだか、防衛省を悪役にするのは難しそうだなって。別にほだされたとかじゃなくて、あの人たち、本当に気合入ってるって言うか……何らかの、のっぴきならない真剣な理由があるんじゃないかなって」

「それは俺も思ったけど……その〝真剣な理由〟の見当はつかないの?」

「だめ。もしかしたら半年とかそこらじゃつかめないと思う。だから」

 言いかけた芳子が、中途半端な高さに片手を上げ、少し迷った様子を見せて、思い切ったように麦わら帽を取った。広いつばでずっと見えなかった髪型が、初めてあらわになる。

 俺はしばらくまじまじと芳子の頭を眺めてから、わかりきったことを言った。

「えっと……髪切った?」

「うん」

「夏になるから……いや、この件と関係が?」

「だから、内側から自衛隊を見ないとわからないと思って。それで、予備自衛官になろうって」

「予備?」

「知らない? 大学行きながらでも参加できるの。まあ臨時アルバイトの、そのまた見習いみたいなもん」

「えっと……それは、大学上がってからの話、だよな?」

「うん、だけど、まあ決意表明って言うか。このままこの髪型でずっと通そうかなって」

「そ、そう。……お、思い切ったんだな」

「決めたことだから。両立、大変そうだけど、色々得るものも多いって言うし。少なくとも外部からアプローチするよりは、色々わかることがありそう……て、そのことはいいの。理由の半分だから。私がそもそも予備自衛官入り決心したのは……もっと大きな理由があって……それは……」

 やたら早口で喋り散らしていた芳子が急に口ごもった。今日はこいつの珍しい姿ばかり見てるような気がする。

「それは?」

「す……好きな人が、自衛隊に入るっていうのが……」

「んん?」

「そ、そんな予定かけらもなかったのに……なんか、お人好しバカだから、急な入隊話も真面目に受けちゃって……私も、なんか責任あるような気がしたもんだから……」

「ああ…………?」

 一応頷いたものの、実のところは言葉が頭に入ってなかった。いや、上っ面は理解できていたのだ。だから、好きな人って誰? なんてぼんやり考えて、なんでそういう話を俺にするんだろう、とか首を傾げそうになった、その時。

 芳子が恨みがましい目で、きっと俺を睨み据えた。

「なんなの。やっぱり叡子の方がいいのっ?」

 瞬間。

 さすがに論旨がクリアになった。あ、やっぱりこっちの意味か。って、えええ!?

「わ、私にばかり喋らせて! だいたいこんなにずっと近くにいて、もしかしたら、とか可能性は考えなかったわけ!?」

「そ、そう言われましても」

 逆ギレ、という言葉が脳裏をかすめるが、それ以上の反論はまるで組み立てられなかった。なんなんだ、なんでこういう状況になった!?

「遠回しに結婚のことにまで触れたのに、何にも反応しないで! そもそも私が、その場の思い付きで『婚約者』って言葉、使ったと思ってた?」

「そ、そ、それは……その、あえて考えなかった……というか」

「なぜ?」

 芳子がさらにぐいぐい迫ってくるんで、ほとんど鼻がくっつきそうになったところで、俺はようやく「ああ、もうっ」とバックステップした。

「ちょっと待て! いったん落ち着こう!」

「私は落ち着いてる!」

「いやっ、三方、お前っ、多分色々すっ飛ばしてる! こ、こういうことには段階ってものがあるんじゃないのか!?」

 芳子が急に黙り込んだ。一瞬だけ、この数分間を振り返るような素振りを見せ、けれども何ら反省の色などは見せずに、ふっと小さく鼻で笑い、

「仁実君がそんなつまらないお約束的な行動様式を尊重するタイプだったなんてね」

「ごまかすんじゃねーよっ。お前、ふざけてんのか!」

「ふざけてなんかないよ。マジだよ。……ずっと大マジだったよ」

 続けて何かを言おうとするんだけれども、うまく言葉にできないらしく、意味不明の挙動をさんざ続けてから、また黙り込んでしまう。なんだか、下手に言葉をかけると、わーっと泣き出してしまいそうな雲行きまで見えそうだ。

 できることならこのまま何も言わずに全速力で逃げ帰りたかったけれど、そういうわけにもいかん。というか、多分こいつ、また家まで押しかけてきて、今度は無言で部屋に居座るだろうな。

 ああ、そう。そういえばこいつはこういうやつだった。

 理屈屋で一見真面目で几帳面で、もう典型的な委員長タイプ、と見えて、その実、結構一人で突っ走り、バカもやる。やるんだけれども、表向きは優等生っぽく取り繕って、多分家の中で枕抱えてのたうち回っているんだろうなって、そんなイメージも窺わせる、見ていて飽きないやつ。

 俺の周りは小中と半分ぐらいが持ち上がりで、そこからさらに高校まで一緒になってしまった何人かは、もうほとんど兄弟みたいなもんだ。芳子とも、お互いガキの頃からの、みっともなさすぎる場面とか恥ずかしいシーンとかをさんざん共有してきた相手だから、何となく、好きとかデートとかの関係を超越した間柄になってる感じだったんだけど……ああそうか、だから、いっぺんに〝婚約者〟まで飛んでしまうのか……って、いやいやいや。

「ええと。……俺が鈍感過ぎたって話なら申し訳なかったけど……そ、そういう心境になったのって、いったいいつから?」

「聞きたいの?」

「まあ、聞かせてもらえるんなら」

「最初のきっかけは……二年生の夏ごろだったかな。私がプリント忘れたら、仁実君が――」

「ちょっと待って。それ、高校の? 中学の?」

「小学校の」

「……ごめん、その話、長くなる?」

「結構ね」

「あの、俺、そろそろ夕飯に戻らないとなんだけど」

「大丈夫、そっちのお母さんには『朝帰りになるかも』って承諾もらってるから」

「聞いてねえんだよ!」

 結局その夜は、何とか日付が変わる手前で、我らが暴走娘を自宅へと送り届けることができた。もちろんきれいな体のままでだ。まあ両親とも「好きにしたらいいよ」とは言ってくれたけど……いくら自宅での初体験の方が安心だからとは言え……。

 話せば月並みなんだが、とりあえず芳子とは、しばらくお互いそのつもりでつきあってみよう、ということに落ち着いた。相性が合うのはわかりきっているし、婚約とかは何なら卒業式の頃にでもマジメに討議しよう、ってことで。


 そう。その時点では、まだまだこの話は、ちょっと毛色の変わった、一人の高三生の進路決定にまつわるドタバタ、ぐらいに俺も芳子も思ってたんだ。謎と言っても半分ゲーム感覚で、まあ気になるから少し本気で探り入れようか、みたいな認識だった。

 俺たちはまだまだ、ほんのガキのままだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る