第3話「砦に咲く友情」
グランツ砦の朝は早い。夜明けとともに兵士たちのかけ声や武器のぶつかる音が、石造りの壁に反響している。その雑然とした喧騒のなかで、私は今日も黙々と仕事をこなしていた。
厨房の手伝い、魔道障壁の点検、備品の整理――。前日よりも少しだけ雑用が減った気がするのは、昨日の水差しの件で私の手際が多少認められたからだろうか。もっとも、いまだに陰口や冷たい視線は絶えない。
「ノクティアさん、ちょっとそこの荷物、倉庫まで運んでくれない?」
若い女の声に呼ばれ、振り向くと、栗色の髪をポニーテールにした少女が立っていた。年齢は私よりいくつか下だろう。素朴な顔立ちに、快活な雰囲気。しかし、その大きな瞳にはどこか試すような色があった。
「わかったわ」
私は荷物を手に取り、少女のあとについて歩く。廊下を抜け、倉庫へ向かう途中、彼女が突然立ち止まり、私を振り返った。
「――あんた、本当に王都の“無能令嬢”なの?」
唐突な質問に、私は思わず口元が緩んだ。噂好きな使用人や兵士たちに、何度も同じようなことを聞かれてきた。
「噂ほどじゃないと思うけど?」
やんわりと返すと、少女はぷっと頬を膨らませる。
「私、メイラ。魔導士見習い。子どもの頃から砦で暮らしてるの。あんたみたいなお嬢様は、絶対すぐ泣いて逃げ出すと思ってたけど、意外と根性あるんだね」
メイラ――そう名乗った少女は、私の目をまっすぐ見て言った。
「根性、というより慣れかしら。王都もここも、意地悪な人は多いもの」
「ふーん……。でも、砦は王都と違って“役に立つ”かどうかがすべて。お飾りの令嬢じゃ、そのうち居場所なくなるよ?」
からかうような口ぶり。でも、その奥にかすかな優しさが混じっている気がした。
「ありがとう。忠告、肝に銘じておくわ」
私は真面目に返事をする。するとメイラは、「なんだ、つまんないの」と肩をすくめて笑った。
「ほら、運ぶの手伝って。うちの兵士たち、筋肉自慢のくせに力仕事は全部新入りに押しつけるんだから」
二人で倉庫に荷物を運び入れる。作業が終わる頃には、自然と会話も弾んでいた。
「ねぇ、ノクティアさん。あんた、魔導はまったくダメなの?」
「ううん、正直なところ……普通の魔導機器は苦手。でも、別の分野なら少しは自信があるわ」
「へえ。砦の魔導障壁を直したって噂、本当?」
私は一瞬だけ動きを止め、微笑んだ。
「運がよかっただけよ」
メイラは「ふーん?」と意味ありげな顔をしたが、それ以上は追及しなかった。
昼を過ぎたころ、砦の見張り塔から警鐘が鳴り響いた。
「魔獣だ! 南の森に群れが現れた!」
大人たちの叫び声が響く。兵士たちは慌ただしく武器を取り、防壁へと走る。
「メイラ、こっちに来い! 見習いも人手が要る!」
上官らしき男が怒鳴る。メイラは一瞬、私を振り返った。
「ノクティアさんはここにいて。新入りは邪魔だって、また言われるから」
私は小さく頷いた。
だが、胸の奥には妙なざわめきがあった。王都では遠い出来事だった“魔獣襲撃”――ここでは命がけの現実だ。
私は食堂に残され、他の使用人たちと一緒に負傷兵を迎える準備をすることになった。やがて、血まみれの兵士たちが担ぎ込まれてきた。
「足をやられた……」「傷が深い! 魔導士を呼んで!」
慣れた手つきで包帯を巻く年配の女使用人に、私は近づいた。
「何か、私にできることはありますか?」
「新入りは消毒薬でも持ってきな」
私は急いで倉庫から薬品を持ってくる。傷口を洗い、血を拭う。だが、いくら応急手当をしても、魔獣の毒に苦しむ兵士の苦悶は和らがない。
「魔導士はまだか!?」
叫ぶ声が響く。私はそっと兵士の腕に触れ、耳元で小さくささやいた。
「痛みを……やわらげます」
人目を忍び、魔力を指先に込める。
――《癒しの理式、第二階梯・安寧》
淡い光が兵士の傷口を包み、ほんの一瞬だけ苦悶の表情が和らぐ。
私が魔導を使ったことには誰も気づかない。ただ、兵士は荒い息をつき、呆然とした顔で私を見た。
混乱のさなか、メイラが血相を変えて駆け込んできた。
「ノクティアさん! こっち、手伝って!」
彼女は肩に小柄な兵士を抱えている。顔色は青白く、体中に引っかき傷が走っていた。
「この人、毒が回ってる。私、解毒魔法はまだ……!」
私はすぐに膝をつき、負傷者の腕をそっと持ち上げる。
周囲の目を気にしつつ、再び魔力を込めた。
――《浄化と癒しの理式、第三階梯・毒抜き》
見えない魔力の流れが、ゆっくりと兵士の体を巡る。傷口から黒ずんだ液体がじわりとにじみ出てきた。
「……うそ。いま、何を……?」
メイラが息を呑む。
私は静かに「気のせいよ」とだけ返す。
やがて兵士の呼吸が楽になり、表情が和らいでいく。
「助かった……ありがとう……」
兵士はうわごとのようにつぶやき、メイラはその様子をじっと見つめていた。
魔獣騒動は夕暮れまで続いた。幸いにも砦の防壁は破られず、死者も出なかった。それでも負傷者は多く、皆がくたくたになっていた。
後片付けの最中、メイラが私のそばにそっと寄ってきた。
「ねえ、さっきのこと……やっぱり、あんた普通の“無能”じゃないよね?」
その目は、疑いと好奇心、そしてどこか尊敬の色を帯びていた。
「……私は、ここでできることをしたいだけよ」
私の答えに、メイラは少しだけ笑った。
「変なの。でも、ありがとう。さっき助けた兵士、私の幼なじみなの。もしあのままだったら……」
その言葉に、私は小さく首を振る。
「お礼を言うのは私のほうよ。メイラさんが頼ってくれたから、私はここに“役目”があるって思えた」
メイラはしばらく黙っていたが、やがてぽつりとつぶやいた。
「私ね、魔導士見習いって言っても、まだろくに魔法も使えなくて。皆には“お荷物”って言われてる。でも……ノクティアさんを見てたら、私もあきらめなくていいのかなって思った」
私はそっとメイラの肩に手を置いた。
「あなたならきっと大丈夫よ。役に立てない人なんて、本当は誰もいない」
不意に、メイラがくしゃっと顔を崩し、笑った。
「ねぇ、これから“さん”付けやめてよ。ノクティア、って呼んでいい?」
「ええ、もちろん」
ふたりで顔を見合わせて笑いあう。夕暮れの赤い光が廊下を染めていた。
その夜、自室に戻った私は、今日の出来事を思い返していた。
砦での生活はまだまだ厳しいけれど、初めて「自分を必要としてくれる誰か」と出会えた気がした。
静かな夜風が窓から吹き込む。私はそっと呟く。
「明日も――きっと、大丈夫」
その小さな決意とともに、私は新しい一日を迎えるのだった。
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