第17話『さいごのチャンスボトル』



「今日の荷物は——」

ヨルが不思議な笑みを浮かべた。


取り出されたのは、透明なガラスのボトル。コルク栓で密封されていて、中には薄青い液体が揺れている。


「きれい……」


光に透かすと、液体がキラキラと輝いた。


「『さいごのチャンスボトル』。想いを込めたメッセージが、必ず相手に届く」


ヨルの表情が真剣になった。


「ただし、本当に『最後』の時にしか使えない。一度きりの力だよ」


配達先は市内の小学校。放課後の昇降口で、セミロングの女の子が待っていた。


「ヒナです」


小学6年生の彼女は、不安そうにボトルを受け取った。


「本当に届くの? この中に手紙を入れれば」


「そう聞いてる」


ヒナは俯いた。


「来週、転校するの。遠い街に」


彼女の声は震えていた。


「ずっと言えなかったことがあって……」


ヒナが見つめる先に、サッカーをしている男子たちがいた。その中の一人、タケルという少年を指差した。


「3年間、同じクラスだったのに、一度も話したことがない」


ヒバルは驚いた。3年間も?


「私、本が好きで、いつも図書室にいて。タケルくんは人気者で、スポーツが得意で……」


ヒナは震える手で、用意してきた便箋を取り出した。


「これ、昨日の夜書いたの」


『タケルくんへ』で始まる手紙。でも、最初の一行で手が止まっていた。


「『好きです』なんて書けない。恥ずかしすぎる」


ヒナはボトルのコルクを抜こうとした。


その時、サッカーボールが転がってきた。


「あ、ごめん!」


タケルが走ってきた。ヒナは慌ててボトルを隠した。


「ボール取ってもらえる?」


ヒバルが拾って渡すと、タケルはお礼を言った。そして、ヒナに気づく。


「あれ、ヒナちゃん?」


ヒナの目が見開かれた。名前を知ってる?


「珍しいね、こんな時間に。いつも図書室にいるのに」


タケルは人懐っこく笑った。


「転校するんだよね? みんな寂しがってるよ」


「え?」


「特に図書委員の子たち。『ヒナちゃんがいなくなったら困る』って」


ヒナは信じられない様子だった。自分のことを見ていてくれた人がいたなんて。


「じゃ、また」


タケルが戻ろうとした時、ヒナの中で何かが弾けた。


「待って!」


大きな声が出た。タケルが振り返る。


「どうしたの?」


ヒナは手の中のボトルを見た。使えば、安全に想いを伝えられる。でも——


「私、言いたいことがある」


ヒナは一歩前に出た。膝が震えている。


「なに?」


タケルが首を傾げた。周りの友達も気づいて、こちらを見ている。


ヒナは深呼吸した。ボトルをぎゅっと握りしめる。


「私……私……」


言葉が詰まった。でも、もう後には引けない。


「タケルくんのことが好き!」


校庭に声が響いた。


一瞬、時が止まったような静寂。タケルの友達たちがざわめき始めた。


ヒナは目を閉じた。きっと笑われる。『ありえない』って言われる。


「ありがとう」


優しい声がした。


目を開けると、タケルが真っ直ぐこちらを見ていた。


「嬉しい。本当に」


「え?」


「実は俺も、ヒナちゃんのこと気になってた」


ヒナは自分の耳を疑った。


「いつも真剣に本を読んでる姿とか、図書室の本を丁寧に扱ってる姿とか。話しかけたかったけど、邪魔しちゃいけないと思って」


タケルは照れくさそうに頭をかいた。


「でも、転校しちゃうんだよね……」


二人の間に、切ない空気が流れた。


「でも」


タケルが顔を上げた。


「連絡先、交換しない? 手紙とか、メールとか」


ヒナの顔がパッと明るくなった。


「うん!」


二人が連絡先を交換している間、ヒナの手の中でボトルが変化していた。青い液体が、金色に変わっていく。


「これは……」


ヨルの声が聞こえたような気がした。


『想いが届いた証拠。ボトルを使わなくても、君の勇気が奇跡を起こした』


タケルと別れた後、ヒナはヒバルに向き直った。


「ありがとう」


「僕は何もしてないよ」


「ううん。もしボトルに頼ってたら、きっと後悔してた」


ヒナは金色になったボトルを大切そうに抱きしめた。


「自分の声で伝えられて良かった。これで心残りなく転校できる」


彼女の笑顔は、さっきまでの不安そうな顔が嘘のようだった。


「タケルくんとは、離れても繋がってる。それが分かっただけで十分」


ヒバルも嬉しかった。最後のチャンスを、自分の力で掴んだヒナの勇気に。


ハコブネ堂に戻る道すがら、ヒバルは考えていた。


人は「最後」だと思うと、普段できないことができる。でも本当は、毎日が誰かにとっての「最後のチャンス」なのかもしれない。


店に着くと、ヨルが出迎えた。


「ボトルは?」


「金色に変わった」


「そう。それが一番いい結果」


ヨルは満足そうに微笑んだ。


「道具に頼らず、自分の力で想いを届ける。それが一番強い」


その夜、ヒバルの元に小さな手紙が届いた。


『配達人さんへ

今日は本当にありがとうございました。

タケルくんと約束しました。

また会おうって。

いつになるか分からないけど、

その時は、もっと素敵な自分になってるように頑張ります。

ボトルは、お守りとして大切にします。

使わなかったけど、これがあったから勇気が出ました。

ヒナより』


手紙を読みながら、ヒバルは思った。


本当の「最後のチャンス」は、ボトルの中にあるんじゃない。自分の心の中にある勇気を、信じることなんだ。


配達完了の鐘が鳴る。

でも、ヒバルの心には、伝える勇気が残った。

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