第11話『夢の地図帳』



「今日の荷物は——」


ヨルが不思議な笑みを浮かべた。右目の時計が、いつもと逆回りに動いている。


「地図帳だよ、ヒバル君」


棚から取り出されたのは、表紙に何も書かれていない真っ白な本。でも、よく見ると表紙にうっすらと星座のような模様が浮かんでは消えている。


「ただの白紙じゃないんだね」


「フフフ、そう見えるかい? これはね、持ち主の『可能性の未来』が描かれる特別な地図帳。でも——」


ヨルは意味深に言葉を切った。


「でも?」


「時々、予想もしない未来を見せることがあるんだ」


配達先は、ヒバルと同じ小学校の6年生、ハルト。成績優秀、スポーツ万能、生徒会長まで務める完璧な優等生だ。


ハルトの家に向かう途中、ヒバルは地図帳を開いてみた。やはり真っ白。でも、ページの端に小さな文字が現れた。


『未来は一つじゃない。過去からも生まれる』


「過去から? どういう意味だろう」


ハルトの家は、高級住宅街にある立派な邸宅だった。門の前に、なぜか小さな天体望遠鏡が置いてある。錆びていて、もう使われていない様子。


インターホンを押すと、ハルト本人が出てきた。きちんとアイロンのかかったシャツ、整った髪。まるで大人みたいだ。


「ヒバル君? どうしたの?」


「配達。君宛ての荷物」


地図帳を差し出すと、ハルトの顔が一瞬曇った。


「地図帳……」


受け取った瞬間、表紙に『ハルトの未来地図』という文字が浮かび上がった。ハルトは息を呑んだ。


「これ、何?」


「未来が見える地図帳らしいよ。でも中身は——」


ハルトがページを開く。案の定、真っ白だった。


「何も見えない」


失望の声。でも、なぜかホッとしているようにも見えた。


「ハルト君、ちょっと聞いてもいい?」


「何?」


「門の前の望遠鏡、君の?」


ハルトの表情が固まった。


「違う。昔、祖父が使ってたやつ。もう壊れてる」


「天文学者だったの?」


「ただの趣味。くだらない趣味だよ」


ハルトの声には、隠しきれない何かがあった。ヒバルは望遠鏡を見つめた。錆びているけど、レンズはきれいに磨かれている。


「本当は、君が磨いてるんでしょ?」


「!」


ハルトは驚いて望遠鏡を見た。


「なんで……」


「だって、レンズだけピカピカだもん」


長い沈黙。やがてハルトは小さくつぶやいた。


「小さい頃、祖父と一緒に星を見てた。『ハルトは将来、宇宙の謎を解き明かす学者になる』って言ってくれた」


「素敵じゃん」


「でも、祖父が亡くなって、両親は『現実的な職業を目指せ』って。医者か弁護士か官僚。それ以外は認めない」


ハルトは地図帳を強く握りしめた。


「だから、天文学の本も全部捨てた。望遠鏡も捨てようとしたけど……できなかった」


その時、地図帳のページに変化が起きた。薄っすらと、一本の道が浮かび上がる。でも、その道は未来に向かってじゃない。過去に向かって伸びていた。


「これ、逆じゃない?」


「いや、待って」


ハルトは地図帳を逆さまにした。すると、過去への道が、そのまま未来への道になった。道の先には、大きな天文台が描かれている。


「これって……」


次のページをめくると、さらに驚くべきものが描かれていた。


それは、年老いたハルトが子どもたちに星を教えている姿。その隣には——


「祖父?」


若い頃の祖父にそっくりな人物が、ハルトと一緒に望遠鏡を覗いている。


「違う、これは……僕の孫?」


ハルトは理解した。過去から受け継いだものが、未来へつながっていく。夢は、世代を超えて受け継がれる。


さらにページをめくると、今度は全く違う未来が描かれていた。


医者になったハルト。でも白衣の下に、小さな星のバッジ。

弁護士になったハルト。でも事務所の窓際に、天体望遠鏡。

会社員になったハルト。でも休日は、子どもたちに星を教えている。


「どの道を選んでも、星とつながってる」


ハルトの目に涙が浮かんだ。


「僕、ずっと『天文学者になるか、親の期待に応えるか』の二択だと思ってた。でも——」


「どっちも選べるんだ」


最後のページには、一番意外な未来が描かれていた。


大人になったハルトが、両親と一緒に星を見ている。両親も、楽しそうに望遠鏡を覗いている。その横には『家族天文クラブ』という看板。


「両親も、一緒に星を……?」


ハルトは気づいた。対立する必要なんてなかった。好きなものを分かち合えばいいんだ。


その夜、ハルトは久しぶりに望遠鏡を家の中に運んだ。


「何それ?」と母親が聞く。


「祖父の望遠鏡。今夜、土星が見えるんだ。一緒に見ない?」


両親は顔を見合わせた。


「勉強は?」


「終わったよ。15分だけ。祖父が『土星の環は宝石みたいだ』って言ってた」


父親が興味深そうに近づいてきた。


「土星か……子どもの頃、一度見てみたいと思ったな」


ハルトは望遠鏡をセッティングした。ファインダーを覗いて、慎重に土星を導入する。


「見えた! お母さん、見て」


母親が恐る恐る覗き込む。


「あら……本当に環があるのね。きれい……」


「お父さんも」


三人で交代しながら土星を見た。ただの点にしか見えない星が、望遠鏡を通すと美しい惑星になる。


「ハルト、天文学が好きなの?」


父親の問いに、ハルトは正直に答えた。


「うん。でも医者にもなりたい。人を助けたいから。両方やってもいい?」


両親は驚いた顔をした。そして、母親が優しく言った。


「宇宙医学っていう分野もあるのよ」


「本当?」


「宇宙飛行士の健康管理をする医者。宇宙と医学、両方の知識が必要なの」


ハルトの目が輝いた。地図帳が見せた未来の一つが、現実になり始めている。


翌日、学校でハルトはヒバルに報告した。


「ありがとう。地図帳のおかげで、大切なことに気づけた」


「どんなこと?」


「未来は白紙だけど、過去からのつながりもある。そして、選択肢は二つじゃない。無限にあるんだ」


ハルトは生徒会の掲示板に、新しいポスターを貼った。


『天文クラブ、メンバー募集! 初心者歓迎!』


「これも未来への一歩?」


「うん。祖父から受け継いだものを、次の世代につなげていく。それも僕の未来」


地図帳は、ハルトの鞄の中で静かに輝いていた。白紙のページには、新しい道が日々描かれていく。


ハコブネ堂に戻ったヒバルに、ヨルが尋ねた。


「地図帳は、どんな未来を見せた?」


「過去とつながる未来。そして、一つじゃない未来」


「ほう、珍しいね。普通は未来だけを見せるのに」


ヨルの時計の目が、意味深に回った。


「もしかして、ハルト君には特別な運命があるのかもしれないね」


配達完了の鐘が鳴る。


でも、ヒバルの心には疑問が残った。


なぜ地図帳は、過去まで見せたんだろう?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る