第26話 悠生VSキース②


「ペンなんて、握ってんじゃねぇぞ!」


 そう言ってキースは殴りかかってくる。


 さっきまでと動きが違う。


 目の前の彼は、先ほどまでとはまるで別人だった。


 ――いや、ようやく人になったと言うべきか。


 視線に、熱が宿っている。

 焦点が合っている。

 真正面から、俺を「敵」として見ている。


 たったそれだけのことで、全てが変わった。


 キースに本当の意味で、感情が乗ったのだ。


「さっきまでと動きが違う。いいね、その目……!」


 俺はスケッチブックを胸に抱えたまま、身を引いた。


 殺気が濃い。

 動きの軌跡に、感情が混じっている。

 描きたくなるような、線が見える。


「うるさい!」


 声と同時に地を蹴る。

 キースの姿が、一瞬にしてかき消えた。


 いや、違う。


 さっきの分身だ。


 タッタッタッと十数人のキースが駆け回る。


「……っ!」


 だけど、本物は一人。


 背後、足音。


 反射的に屈んだ。

 頭上を拳が通過し、風圧が髪を逆なでる。


 右、二撃目。

 スネを狙うローキック。


 跳ねるように浮かび、紙一重で回避。


「やっぱり速いなあ……っ」


 そう呟きながら、俺は逃げるように後ろへ距離を取った。


 汗が滲む。

 喉が乾く。

 でも心は妙に落ち着いていた。


 楽しい、とまでは言わない。

 だけど確実に、描きたくなる相手だった。


「当たらないっ……!」


 キースの声に、わずかな焦りが滲む。


「なんで避けられる……! 予見演算で、行動は見えてるはずなのに……!」


 キースが、目を見開いていた。


 なるほど、彼の異常なまでの速さは、俺の動きを予測していたんだね。

 とても面白い。


 それでも捉えられないということは、つまり俺が予測にない動きをしているということだ。


「そっか、読めないんだ。まぁ俺、自分がどう動くかなんて、決めてないからね」


「なにっ……!?」


 見せたくなる瞬間。

 描きたくなるポーズ。

 その時、その場所に、自然と身体が動いてしまうだけだ。


 それは攻撃ですらなく、


 逃げでもなく、


 ただの写生のための位置取り。


 そう――俺は戦っていない。


 まだ、一度も。


「なんなんだよ……!」


 キースの動きに、微かなブレ。


 焦っている。

 何かを取り戻そうとしている。

 でも、それが何か分かっていない。


 そんな彼に、俺はそっと語りかけた。


「キース、攻撃はもうしないの?」


「……は?」


「ほら、攻撃しないなら、次は俺の番かなって」


 そして今のうちだと、俺はポケットからスマホを取り出す。


「詩乃、お願い」


 傍らで伏していた彼女に、スマホを手渡した。


「えっ……し、師匠……?」


「写生チャンネルの配信、お願い。視聴者さんと一緒に見届けたいんだ」


 詩乃は手を伸ばし、スマホを受け取る。


「……師匠? それって今から、やるんですか?」


「うん、後で見返せたら、それだけ質の高い写生にもなるでしょ?」


 そう言うと詩乃は、眉を下げ、気の抜けた表情を浮かべだ。


 そして一拍置いて、


「わ、分かりました……ッ!」


 と言って詩乃は痛みを庇いながらゆっくりと座り込み、スマホを横向きに持った。


「……師匠、準備オーケーです!」


 よし、これで視聴者さんにも届くだろう。



“うおおお!?配信戻った!!”

“師匠とキースの戦闘、もう始まってる!?”

“キース、なんか焦ってるな”

“詩乃さん視点ということは……無事だったのか”

“無事でよかったよぉ……しののん”

“録画しとけ、これ絶対神回だから”

 


 俺はペンを握りしめ、キースに向けてにっこりと笑った。


「さあ、描いてあげるよ。君のすべてを」


「……なに?」


「攻撃して。今度は俺がちゃんと受け止めるから」


「……ふざけてるのか?」


 キースの眉がぴくりと動く。


 俺は本気なんだけどな。


 攻撃を受けることで相手の魔力の流れ、関節や筋組織の動き、力の方向まで全てが分かる。


 それが絵の材料になるのだから、俺にとってはあくまで必要な過程なわけであって。


「よいしょっと」


 さっそく俺は、スケッチブックを背負う。


 

“なんだこの流れ”

“え、受けんの? 攻撃を?”

“実はそういった癖の方ですか?”

“ドMすぎて草”

“無防備なの不安”

“信じろ、我らが師匠を”



「な、舐めやがって……っ!」


 キースが怒鳴り、再び残像が奔る。


 怒りの氣をまとい、空間を裂くように疾走。


 そしてその拳が、俺の腹に――


「っぐぅ……!」


 直撃。


 重くて鋭い。

 肺の奥まで空気が押し出される感覚。


 だけど、ちゃんと見えた。


 彼の拳の軌道、重心の移動、踏み込みの角度。

 全部、スケッチの中に残せそうだ。


 

“うわっ、もろに入った!”

“ガチで殴られてるやん”

“でもなんで笑ってんの!?”

“師匠ドM疑惑浮上”

“ガードすらしてないのヤバいってw”


 

 俺は腹を抑えながらも、思わず笑ってしまう。


「うん、いい動きだったよ」


「な……」


 キースの顔が歪んだ。


 また殴られる。


 今度は肩。


 次は膝。


 俺はそれを受けながら、キースが描く攻撃の軌道や特徴を、脳に刻み込んでいく。


 ああ、これだ。


 これこそがキースの本質。


 おかげで描きたいピースがかなり揃った。


 あとは――。


「こっちが攻める番だねっ!」


 俺は四肢に力を込めた。

 ズン、と身体が地に沈む感覚。


 それと同時に、キースが後ろへ飛び退く。


 攻めることで、彼がどう対応するか。

 どんな表情が浮かび上がるか。


 ここを記録すれば、完璧。

 絵を描くための、全てのピースが揃うはず。


 何を感じ取ったのか、彼の顔から笑顔が消えた。


「……じゃあ、いくよ!」


 ダッと強く地面を蹴り、


 俺は最速でキースの懐へ。


「重撃ッ!」

 

「くっ、反射障壁バックリフレクター


 攻撃が届く直前、


 ぴしり、と空気が歪んだ。


 俺の拳が、透明な壁にぶつかった。

 触れてないはずなのに、衝撃が逆流する。

 

「──っぐ!」


 全身が弾き飛ばされた。

 まるで見えない自分に殴られたみたいに、同じ軌道で拳が返ってきた。


 身体が横転する。


 地面を転がって、砂埃を巻き上げた。


「し、師匠!?」


 詩乃の声が聞こえる。

 心配してくれている声音。


 でも俺は笑った。

 無意識に笑顔で返していた。


 だってこれ、最高におもしろくない?


 攻撃と防御が共存するんだよ?


 

“うわああ!? 今のなに!?”

“弾き返された!? 師匠の攻撃が!!”

“反射障壁。上級の補助スキルだよ”

“やっぱりキースって強いんだ”

“さすがの師匠もこれはキツイか?”

“いや、でも笑ってるぞ師匠w”

“相変わらずの戦闘狂で草”


 

「なるほど……力をそのまま相手に返す、か。スゴく興味深いよ、キース!」


 キースが困惑気味に眉を寄せた。


「跳ね返されたんだぞ。今のは致命傷でもおかしくなかった。なのになんで……なんで笑ってられる!?」


「えっと、綺麗だったから、かな」


 いまの衝撃、いまの流線、全部が描きたいって感覚をくすぐる。


 怒りと焦燥の混じった表情で、反射障壁を展開するキースの構え。


 それに攻め寄る何かを描けば――。


 構図としては、完璧だ。

 


“もはやダメージをも芸術と捉えてるな”

“変態です師匠”

“そういうとこだぞ、好き”

“一生ついていきます”

“VS探索者まで写生させてくれて、ありがとうございます悠生さん”



「最後はその壁を打ち破ってこそ、完成だね」


 俺はキースとの距離を詰める。


 あの壁を越す方法は、おそらくただ一つ。

 発動よりも速く、攻撃を叩き込むこと。


 詠唱とともに発動し、起動とともに消え去った。

 

 つまり展開する間もなく、打ち倒せば、


 この戦いの結末を描くことができる。


「……くっ!」


 キースの表情が揺れた。


 頬の筋肉がほんの少しだけ引きつり、かすかに後ろへ退く。


 戸惑い。

 そんなところだろう。


「やめろ……」


 と、一声。

 次は明確な拒否反応。

 おもしろいほど変化するな。


 俺は壁を打ち破るべく、地を蹴り高速で駆けた。


 速く。


 できるだけ速くと、思いを巡らせながら。


 そして発動よりも早くっ!


「は、反射障壁!」


 キースは俺との距離をとるため、バックステップをしながら詠唱した。


 やっぱり速度に対応する術は会得済みと。


「重撃ッ!」


 間に合わなかったか……。


 俺の打撃も、今更止められない。

 放つしかないわけで。


「……フン、食らえよ」


 再び反射障壁と接触する瞬間、キースは安堵の息を漏らしつつ、フッと口角をあげる。


 俺の重撃が空間にめり込む。

 障壁がたわみ、威力の逆流が巻き起こった。


 腕に同等の威力が走った直後、その空間の感触がさっぱり消える。


 あれ、壁が消えた?


 つまり一度の詠唱につき吸収できる威力は一度まで、ということか?


 今すぐに真相までは分からないけど、ここがきっと最大のチャンス。


 それなら――ッ!


「二連目ぇッ!」


 俺が空中でバランスを取り直し、もう片側の拳を振り上げた瞬間、キースが明らかに感情を取り乱した。


「なんでだよ……ッ!」


「重撃――ッ!」


 技はキースの胸部に突き刺さる。


「……ぐあぁっ!」


 ダンッ――


 内部に届くほどにめり込んだその拳は、キースを空間の端まで吹き飛ばす。


 

“…………”

“…………”

“……何が起きた?”

“今一瞬、全コメントが止まったな”



 そして、


 

“うおおおおおおおお!!!!!!”

“スゲェ、スゲェよ師匠ーーーー!”

“倒したよな、さすがに?”

“えっ、反射障壁発動してたよな!?”

“なんでくらってないんだ!?”

“もうわけがわからん”

“誰か頼む、解説してくれ”



 コメントが爆発する。



 キースはその後、壁に背が埋まったままでまるで動こうとしない。


 俺は数秒の間を空けてから、傍に寄った。


「……反射障壁はたしかに、発動していた。なのになぜ、君はダメージを受けて、ない?」


 キースが、ぽつりと呟く。


 手を下ろし、ぐったりとしている。


 もう構えないし、攻撃もしない。

 全身でそう語っているかのようだ。


「受けたよ、ダメージ」


 俺がそう言うと、気力の消えかかったキースの瞳がわずかに見開かれた。


「だけど一発目は最小限に抑えたんだ。それこそ、物が一切動かないほどの威力にまでね。するとすぐ壁の感覚が消えたからさ、二発目は通るかなって。じゃあ案の定……って感じ」


モンスターの位置取りをする時と同じ感じ。

ソッと触れるように、優しくね。


「……意味が分からない」


 と、キースが吐き捨てる。

 しかしその直後、フッ、と口角をあげる。


「僕が手を出していい相手ではなかったですね。どうぞ殺してください」


 それは清々しいほど、潔く、命を投げ捨てたというにはあまりにもアッサリとしすぎた口調。


「殺さないよ」


 もちろん殺すわけがない。


「……っ、なぜ、ですか?」


「だって殺しちゃったら、もう描けないじゃないか。君のことを」


 この世の生けとし生けるもの、全て例外なく、生命があるから美しい。

 死んでしまっては何も残らないからだ。


 人も、モンスターも、植物も、


 全て平等に。


「バカなんですか、貴方」


 と、キースは一つため息。


「その代わりにさ、また今度、キースのことを描かせてよ。次は真正面からさ」


 これでいい。

 戦う姿はもう十分。

 だから次は無防備に佇むキースが描きたい。


「本当にバカバカしいですね、君は。僕にそんな魅力はどこにもないですよ」


「あるよ。俺が見つけて描くから」


 こういうのは、描きながらその人の魅力が溢れるものなんだ。


 だから一度、キースを描いてみたいと思った。


 普段何を考えて過ごしているのか。


 なぜ、こんなことをしたのか。


 きっとその真髄が分かるような気がする。


 キースは俺の問いに答えることなく、通路に向かって歩き始めた。


 ふらつきながらも、ゆっくりと。


「どこに……?」


「どこにって、出るんですよ。ここから」


 その背はもう、こちらに向けられていた。


 ゆっくりと進んでいっている。


「……絵のモデル、については、いつでも声をかけてください」


 最後に一言だけ、


 そう言い残し、通路の奥へ消えていくキースを、俺と詩乃は、静かに見送ったのだった。

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