第2話 最初はスケッチの基本、鉛筆から始めようか!


「やっぱり人を襲う青銅竜。構図的にも、わりといい感じになるなぁ」


 背後から届いたのは、どこかのんきで、呑気すぎる声だった。


 だけどその声主の彼が、スケッチブック片手に私と青銅竜の間に立った瞬間、私はそれが演技ではないと悟った。


 本当に、恐れていないのだ。


「よし、動かないでね。今の表情、ものすごくいいからさ」


 そう言ってペンを握った彼の背には、一切の緊張も迷いもなかった。

 むしろ、絵を描くことに没頭している。


 今まさに目の前にある美を逃すまいとする画家のように。


「ちょ、ちょっと!? 逃げないの!?」


「逃げる? なんで?」


「なんでって……目の前、A級モンスターなんですけど!?」


「大丈夫だよ、ほら糸縛しばく


 次の瞬間。

 空中に軽く指を滑らせると、彼の周囲から糸が浮かび上がった。


 純白の魔力糸が編まれるように束となり、青銅竜の四肢を捉えて絡みつく。


 え……っ!?

 糸縛って、探索者なら誰でも最初に覚える、ただの補助拘束スキルだよね?


 案の定、次の瞬間――


「グルゥォオオアアア!!」


 怒りに満ちた咆哮と共に、青銅竜が拘束を破った。


 爆音。

 吹き飛ぶ岩屑。

 震える脚。


 私は思わず目を閉じた。


「やっぱり無理だってば! そんなスキルで青銅竜を止められるわけ――」


「んー次はもうちょっと強度を上げるよ、糸縛!」


 彼の声がまた響いた。


 直後、再び現れた糸が、今度は地面ごと竜を拘束し、完全に固定した。


 まるで時間が止まったかのように、あの巨体がピクリとも動かない。


 なにそれ……え、え?


「え、青銅竜……動いてない……? 嘘でしょ? 本当に止まってる……?」


「ちょっと強すぎだ。これじゃ関節が動かない」


 糸が微かに震え、わずかにたわみ始めた。


「ちょい、解けかけてるよ!? 早く逃げ――」


「しーっ、ちょっと集中したいの」


「……え、私が悪いの!?」


 彼はまるで気にするそぶりもなく、ペンを走らせる。


 そして描き始めた。


「……何、これ」


 心が置いてけぼりだ。

 未だこの空間に、私の感情を休める場がない。


 私はふと、スマホに目をやった。


 そう、《悠生の写生室》の生配信、第23回「青銅竜・翼部詳細写生会」の様子が、私のスマホには今も流れている。

 


“この大きさの青銅竜、私初めて見ました”

“通常サイズのものより、鱗の色が濃いですね”

“次こそ、牙! 牙行きましょ!”

“横向きの画角、ちょっと欲しいかもです”



 それと、何このコメント。

 多分みんな絵描きさんなんだろうけどさ……なんでこの糸縛の異常な拘束力とかに驚かないの!?


 糸縛なんて、初級の拘束スキル。

 E級モンスターを一定時間縛るのが関の山。


 だけどこの人はわずかに魔力の糸をたわませて、関節の遊びまで作っている。

 しかもA級モンスターを相手にだ。

 

「ちょっとだけ横向こうか」


 そう言って彼は拳を軽く振る。

 だが、竜に触れるか触れないかの距離で衝撃は止まり、青銅竜が自然と横を向いた。


 青銅竜自身も何が起こったか、よく分かっていない様子。


 そしてまた、彼は描く。


 魔物を縛り、動かし、ポーズを取り直させながら、観察し、描く。


 それだけのはずなのに。


 なぜだろう。

 私はこの光景から目を逸らせなかった。


「……どうして絵なんて描いてるの?」


 気づけば、私はそう問いかけていた。


 彼は、私の問いに対して、横目でニッと笑って答えた。


「どうして、か。そんなの……楽しいからに決まってるじゃんか」


 その言葉に、心臓がドクンと跳ねた。


 楽しいから。


 私が生態記録士を志した、最初の気持ち。


 モンスターの動きに興奮して、知らない習性に目を輝かせて、誰よりも多くの情報を記録したいと願っていた、あの頃の私。


 だけど今はどうだろう。


 報告書のために潜り、ノルマのために観察し、義務感と疲弊で目の奥が乾いていた気がする。


 忘れてた。

 そうだ、私はこの世界の『わからない』が、好きだったんだ。


「……待って、こんなじっくりモンスターを見たの、初めてかも」


 拘束された青銅竜を、私は夢中で観察していた。


 全身の鱗の繋がり、呼吸のリズム、眼球の動き。どれも記録書に載っていない。


 よく見れば、私の目の前には、『わからない』がいっぱいだった。


 もしこの人の隣にいられたら、私はこの世界の知らなかったことをもっと知れるかもしれない。


 いや、待って。

 違うわ。


 モンスターを縛って絵を描いて。


 つい私も一緒になって眺めてしまってたけど、これさ、後で始末するんじゃない?


 それって、すごく残酷……。


 実はこの青年、悪逆非道な人なんじゃ……。


 あんなに無邪気な笑顔を浮かべてるのに。

 まるで子どものような輝く目をしてるのに。


「よし、描き終わったっ!」


 その瞬間、私は身構えた。


 彼が剣を抜き、竜を殺す未来を想像して――


「じゃっ、帰っていいよ」


「は?」


 聞き間違いかと思った。


 けれど、次の瞬間。

 彼の魔力糸がほどけ、拘束が解除された。


「ありがとうっ! おかげでいいものが描けたよ」


 青銅竜は一瞬こちらを見て――

 そのまま、静かに踵を返し、去っていった。


 ……少し、彼に頭を下げたようにも見えた。


「え、ちょ……どうなってるの?」


「だって、何もしてないでしょ? ただそこにいたモンスターを、絵のために拘束してただけだし。殺す理由、ないじゃん」


 さらりと、そんなことを言う。


 A級モンスターを。


 この最深部で。


 F級探索者のはずの彼が。


 普通だったら、


 モンスターを殺して、


 素材を剥ぎ取って、


 それを売ってお金にする。


 それが探索者。


 富のため、名誉のためになる探索者という職業。


 どうやらこの青年、私の普通なんかじゃ、何一つ計れない人らしい。



 私はふと、思った。


 この人は、いずれS級に行く。


 いや、行ってしまう。

 当然のように。


 きっとそういう探索者なんだ。


 胸が震えた。


 彼はただ絵を描いてるだけなのに。


 私の常識をレールごとひっくり返してしまった。


 この人の隣にいれば私は生態記録士として……いや、一人の探索者として、まだ誰も到達したことのないダンジョンの謎にも辿り着ける。


 なぜダンジョンが誕生したのか。

 そんな真相にまで、辿り着く気がした。

 

「悠生の写生室さん!!」


 私は思わず叫んでいた。


「私を……弟子にしてくださいっ!!」


 私の中の何かが、彼の背を追おうとする。

 それは直感か、本能か。


 はたまた彼の絵に魅力があったのか。


 彼の何が、私にそう思わせたのかは分からない。


 ま、きっとそれも、彼について行けば、自ずと答えが見えてくるだろう。


「いいよ」


 彼は満面の笑みでそう答えた。


 やったぁ!

 まずは彼の傍で、モンスターの観察を……。


「えっとじゃあ最初はスケッチの基本、鉛筆から始めようか!」


「……そっち!?!?!?」


 私は思わずツッコミをいれる。


 そして今、根本的なことを思い出してしまった。


 彼は生粋の絵描きさんだったことを。




‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐




次話から、主に悠生くん視点になります!


どうぞこれからの彼の波乱万丈なダンジョン配信人生、お楽しみください😳


本作は、とりあえずちょうどキリのいい章の30話前後までは毎日投稿を考えています!

それ以降は、ランキングの伸び代で検討します!

30話前後まででも、かなり読後感あるように創れたと思いますので、どうぞお楽しみに!


私、甲賀流、皆様が作品フォロー、★、コメントで応援下さると跳んで喜んでおります‼️笑

これからもよろしくお願いします🙇

 

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