第13話 いまは無理


 壊れている。ものごころがついたときにはわかっていた。周りの連中にはあたりまえのように備わっている部品パーツが、自分には足りていない。産まれるときに腹のなかにでも忘れてきたのか、単なる設計ミスか。とにかく出荷されたときにはすでに欠落品ジャンク――修理不可、返品不可。結果として俺はいつもラインの外に立ち、なにもかもが他人事。すべてが鈍く、分厚いガラスの向こう側。皮肉にも見た目と聡さだけは秀でていたおかげで、観察と同調はどんどんうまくなる。素敵な笑顔、喜ばせる言葉、使い捨ての優しさ、期待通りの反応。乾いていく。磨り減っていく。空洞あなが開いているんだ。その空洞を埋めねえと、長くはもたない。俺はいつかこの虚しさにすら飽きて、自らの手で人生に幕を引くんだろう。それすらもわかっていた。


「どうしたの? ずいぶん大人しいのね。あなたも望んでいたことでしょう? サキュバスを相手にするのは始めてで、緊張してる……? ふふっ、心配しないで」


「……」

 

 ターニングポイントは幼稚園キンダーガーテンでの、小さな事故。ネイト少年は偶然にもガラスを叩き割る方法を知ってしまった。安心、興奮、生きている実感。壊れた回路が繋がり電気が走る。は加速度的に意図的な実験へと変わり、両親の心労と示談金の額を増やしながらエスカレート。ついに殺しへと辿り着いたときには漠然とした仮説は疑いようのない確信へ。誰かの命の灯火がこの手のなかで消えたとき、ガラスが砕け散り、俺はせいの鮮烈な躍動を感じることができる。壊れた魂に血が通う、わずかな時間だけ正常に機能する。人並みに眠り、人並みに繋がりを求め、人並みに歓楽を享受できる。――愉しい。空洞が満ちる。これが悦び。これだけがただひとつの、呼吸をつづける方法。

 


「あなたのしたいこと、させたいこと、どんな欲望にも応えてあげる。お腹がすいて仕方がないのよネイト……。あなたが食べさせてくれるのを、ずっと待ってるのに……」

 

「……いまは無理」


 瞳を潤ませ、甘ったるい挑発を口にしながらサラヴェリーナの手が下腹部を滑っていく。どこをどう触れられたら男が喜ぶのか知りつくした指の動き。ベルトのバックルが外され、ひとつひとつボタンを解かれる。蛇みてえななまめかしさでズボンのなかへ手が滑り込んできて、中心を撫でさすった。


「……?」


 俺の身体にぴったりと覆いかぶさり、首筋や胸についばむようなキスを繰り返していたサラヴェリーナの動きが止まる。困惑した表情ですこしだけ体を起こして、手のなかに握っているモノを確認。反応の兆しすらないそれに数秒間思考停止。こちらに向き直るころには、自信満々に浮かべていた妖艶な笑顔はすっかりひきつっていた。


「……き、気分が乗らない? 性急すぎたかしら、意外と繊細なのね……。大丈夫よネイト、怖がらないで。なんでもあなたの好きにしていいのよ……? ほら、見て、触って……きっとすぐ元気に――」


「だから、いまは無理なんだって」


 そう、誰かの命の灯火がこの手のなかで消えたとき。

 安心、、生きている実感。

 


 それ以外の時間はスイッチの入らない不良品。飢えた美しい女が俺を求めてどれだけ息を荒げていようが、熱は生まれず血は通わない。周りの連中が当たりまえのように味わっているこの世のすべての愉しみは、分厚いガラスの向こう側。


「な、な、なんで……? わ、私の魅力が足りないの? う、嘘よ、そ、そんな、わ、わわ、私に反応しない男なんていままで――」


 いままでこの体の魅力と誘惑が通じなかった男はいなかったのか。哀れなほどに青ざめて唇を震わせるサラヴェリーナを前に、多少の罪悪感を覚えなくもない。女のプライド――というか、サキュバスとしてのアイデンティティをへし折ったに等しい。しかし不本意ながら俺はこういう展開に慣れている。うんざりすほどな。言いわけのストックも、相手のこころを掴んだまま意識を俺の下半身から逸らす手先の器用さも持ち合わせてる。問題ない。とにかくフォロー、それからやり込める。


「落ちつけ、お前は充分すぎるほど魅力的。綺麗だし、エロい。最初から言ってんだろ、マジで好み。 だから、これはそういう単純な話じゃな――」


「じゃあ何!? あなた不能なの!? あれだけ偉そうにしておいて!? あれだけ私をそそのかしておいて!? その顔と体で!?」


 思っていた以上にグイグイ来るな……。ここまでの道中、俺の下世話な言動をあしらってた澄まし顔はなんだったんだ。裸になると理性まで脱ぎ捨てちまう性分か? 肩を掴まれ、乱暴に揺すられる視界のなかで豊満な胸が重たく跳ねる。魅力的、それは間違いない。ただ、いまは目の保養以上の意味を持たないだけで。

 

「いやいや、不能ってわけでもない、使えるときにはすげえから……。ただその使えるときが限られてるだけで――」


「この状況を見なさいよ! ベットで、裸で、二人きり! あなた好みの女があなたを求めてすべてを差し出してるの! 美しくて従順で奴隷属性まで付いたサキュバスを前にして何が気に食わないのよ!? ここで手を出せないのが不能じゃなかったら何!? 役たたず! 裏切りもの! いま使わずにいつを使うの!? 宝のもち腐れよ! バカ!」

 

「うるせえな! 殺しのあとだよ! 殺しのあと! 誰かを殺さなきゃ勃たねえの! そういう仕様! お前に首輪をつけたときにはバチバチに勃ってたよ!!」


 ああ、くそ。いまここまでぶちまけるつもりはなかったのに。思いのほか直球な暴言に普通にムカついた。二百年を超える人生のなかでもトップクラスに理解不能であろうカミングアウトを浴びせられ、サラヴェリーナの勢いが弱まる。


「殺さなきゃ……?」


 二人目。ベッドへの誘いを断る機会は何度もあったが、本当の理由まで知ることになった女はこれで二人目だ。マンハッタンの夜景を背にほほ笑む、あの悪魔のような女の顔がチラつく。あいつは「それじゃあいますぐ殺してきなさいよ変態インポ野郎」と若き日の俺を焚きつけ、リストのひとりを始末して血塗れのまま戻ってくるまで本当にベッドで待っていた。あの夜は死ぬほど燃え……イカれた腐れ縁を思い出すのはよそう。どうせもう、会うこともない。いまは目の前のこいつだ。普通の貞操観念を持った女なら、俺の気分次第で体を求められることはないと知り、すこしは安心するところ。……こいつは該当しないな、あきらかに。そして普通の倫理観を持った女なら、人を殺した直後の手で抱かれることにも、ついでのような欲情を向けられることにも耐えられない。お前はどうだサラヴェリーナ。


「あのときは勃ってた……?」


「……六人殺ったあとだったしな。そりゃあもう、痛いくらいに――」


「じゃあ、あのときに抱いてれば良かったのよ!!」


「はあ!?」


 倫理観とは? あきらかに殺しと勃起を一度天秤にかけたうえで後者を重要と判断したよなこいつ? なめていた。普通の倫理観をもつ女である前に、サラヴェリーナは食欲と性欲の化身けしんのような存在。勃てば正義、勃たねば悪。お話はそれから。それがサキュバス。殺人よりも機能不全のほうが罪深い。別ベクトルにイカれてやがる。


「むちゃくちゃ言うなお前! あのときの俺はお前にとって誘拐犯で、無理やり奴隷にしてきたクソ野郎で、汚濁した男! 絶対そういう流れじゃなかったろ! むしろ下半身でものを考えずに行動した俺を褒める場面なんだよあれは! 」


「 私には下半身でものを考える男が必要なのよっ!!」


 聞いたこともねえセリフを叫びながら、半泣きのサラヴェリーナが近くにあった枕を掴んだ。怒り、悔しさ、飢え、やり場のない欲求、そういういろいろを込めて俺の顔面に力いっぱい振り下ろしてくる。


「おい、バカ!」


 腕を盾にして危ういところで受け止めた。こいつ、俺への攻撃が自分自身に返ってくることまで忘れている。二発、三発、悪態とともに猛攻が続く。しんどい。どういう状況だこれは、ガキのお泊り会か? 一発くらい食らってやって、首輪ので冷静になってもらうか。そう考えて腕の力を抜きかけたとき、枕がぴたりと動きを止めた。


「待って、そうだわ! 元のあなたが女神さますら唾棄するほどの邪悪な性癖の持ち主だとしても、これは別人の身体なのよね? この見事な健康体、性的機能に問題があるとはとても思えないわ。勃たないのはあなたのこころの問題。思い込みのせいかもしれないわよ?」


「性癖じゃねえ、仕様だって……。あのな、こんなおいしい状況でピクリともしねえんだ。無理だよ、あきらめろ。こいつがもともと種馬並みの性豪だとしても、中身が俺になった時点で上書きされてる」


「ためしてみなきゃわからないじゃない……! 」


「いや、だから……」


 ためしたんだよ、できうる限りのことを。あらゆる人種とあらゆる国の、女、男、性別の垣根を超えたやつ。処方薬、市販薬、治験薬、違法薬物。名だたる専門医の治療とカウンセリング、思い出したくもねぇ治療器具。シャーマンとの儀式から、僧侶との瞑想まで。なにをためしてもダメだったんだ。反応するのは殺しのあとだけ。生きる悦びにふるえる俺のこころに呼応するように、普段は尻尾すら見せない欲求がおもてに引きずり出される。それが俺で、つまりどうしようもない。


「その顔と体を条件付きでしか楽しめないなんて……。絶対にあきらめないわ。サキュバスの魅力と技術と底力を見せてあげる。今夜は眠れないと思いなさい。私におあずけをするなんて二百年早いのよ。もうほかの女なんて抱けなくなるわよネイト。至高の快楽地獄にむせび泣くといいわ……!」


「なんなんだよお前のそのいちじるしい知能の低下としつこさは……。サキュバスってみんなそうなの……?」

 

「おおむね、こんな感じよ」


「……はぁ。ああ、もういい。面倒くさくなってきた。好きにしてくれ」


 女の体そのものは好きなんだ。見せてくれるんなら見てるよ。嬉々として俺の脚からズボンを引き抜くサラヴェリーナを眺めながら、ベッドに四肢を投げだした。

 

 

 

***


 


「うっ、ううっ……」


「ははは。……な? だめだろ?」


 脚のあいだで肩を落として泣いているサラヴェリーナを前に、乾いた笑いが込み上げる。結果はまあ、ご想像の通り。大の大人がガチ泣きだ。だから言ったんだ、諦めろと。聞きわけさえよければここまで打ちのめされることもなかったろうに。

 

「し、し、信じられない……! ひっく、私はサキュバスなのよ……!? 魅了魔法チャームだってかけてるのに、どうして効かないの……!? うっ、うっ、 屈辱……! こんなの屈辱よ……!」

 

「お前が夢みてきた理想の男から栄養を搾り取りたきゃ、誰かを殺すのを待つしかねえってことだ……」


 いつのまにか妙な術までかけられていたらしい。効かなかったが。上体を起こすと、サラヴェリーナの涙ぐましいの痕跡がぬらぬらと光っているのがよく見えた。シーツを引き寄せて雑に拭う。そのシーツは無言で奪われて、鼻をかむのに使われた。寝る前に、ベルジェから新しいのをもらってこねえとな……。


「ひどいわ、こんなの生殺しよ! ひっく、酷い目に遭いっぱなしで、ようやくっ、ようやく少しイイ思いができると思ったら、顔だけの男だったなんて……! ううっ、アウラドリイスさま、なぜです、どうして私がこんな目に…… 」


「もう泣くなって、ベッドで泣かれるのがいちばん萎え――」


「最初から萎えてたわよ!!」


 なんて瞬発力と切れ味だ……。早く機嫌を取らねえと、一晩中これの相手をさせられて何度も地雷を踏み抜くことになる。


「はー……。ほら、交代だサラヴェリーナ。頑張ってくれたしな、無駄だったけど。安心しろ、俺はちゃんとお返しするタイプ」


 めそめそと顔を覆っている腕を引いて体勢を入れ替える。仰向けにされたサラヴェリーナは、勃たないくせにどうして私の上にいるの? みたいな表情で見上げてくる。涙の跡がのこる目じりや頬にキスをして、開かせた脚のあいだに身体を滑り込ませた。いい眺めだ。これだけでだいぶ勝った気にはなれるのが情けない。


「性欲をくすぶらせた女の厄介さはよく知ってる。というか、それでだいぶ痛い目を見てきた。おかげでナニを使わずとも満足させる技術は磨きあげられたんだよ。存分に味わってくれ」

 

「私はお腹がすいてるのよ! 性欲を発散したいわけじゃないの!」

 

「まあまあ。まずためしてみろ。あれだけ偉そうで、あれだけお前をそそのかした男がどの程度のレベルなのか知っておきたいだろ? スッキリするし、気もまぎれるよ。本気で嫌ならいつでもやめてやるから。騙されたと思って、な?」


 髪を撫でて、ほほ笑みかけて、じっと見つめれば、赤くなって視線を逸らしはじめる。面食いめ。このチョロさで、これまでどうやって身の安全を守ってこれたのか不思議なくらいだ。

 

「……下手だったら、承知しないわ。もっと手が付けられなくなるわよ」


「いいよ」


 唇にもう一度、短いキスを落とす。所有物のケアも立派な主人の務め。ご機嫌取りのご奉仕も、この生意気な態度を崩せるなら悪くない。せいぜい乱れてくれるといい。静かに上がっていく体温を感じとりながら、やわらかな肌に指先を沈める。


 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る