第10話 素敵な理由ですね

「戦場……」


 マリナさんが口にしたその言葉を、噛み締めるように私は繰り返す。戦争を知らない世代の日本人としてはどこか遠いその言葉が、口に出した途端に現実味を帯びてまとわりついてくるような錯覚を覚える。


「東門を出てからしばらく北東に向かうとね。荒れ果てて植物もほとんど育たない荒野が広がっているの。って言っても、わたしも実際に見たことはないから、聞いた話なんだけどね」


 荒野と言われて頭に思い描いたのは、乾いた土にゴツゴツとした岩場、タンブルウィードが風に吹かれる光景だったけれど。


「だだっ広くて平坦で、軍を移動させるにはもってこいの場所だから、人類の連合軍が協力して攻め込もうとしたんだけど……その先は魔物の領土。大量の魔物に邪魔されて進軍できなくなって、そこでの戦闘がずっと続いてる」


「……そういえばリタさんも――え、と、ループでやり直す前の彼女も、言ってました。ここは、『終わらない戦場』に最も近い街だ、って」


「そう、『終わらない戦場』。または〈無窮むきゅうの戦場〉って呼ばれてる。どうしてそんな名前かといえば……実際に、終わる見込みがないから。始まってもう数百年にもなるって話だったかしら」


「す……!?」


 思っていた以上の長い期間に息を呑む。


「……そんなに長い間、この街のみなさんは危険と隣り合わせに……? というかそもそも、どうしてそんな場所に街を……?」


「それは順序が逆でね。ここは元々、『戦場』に物資を運ぶためのただの中継基地だったらしいのよ。それが段々と発展して、結果として街になっていったんだって。わたしにとっては生まれた頃からこの状況だったからね。もう慣れたわ」


 街の人から戦争に対する陰惨さを感じず、どこか明るく逞しく映っていたのは、彼女のように慣れがあったからかもしれない。


「じゃあ、その『戦場』は、魔物の被害を他の場所まで広げないために、ずっとその場で押しとどめる役目を……?」


「そうね。だから各国は、『戦場』とこの街に人員や物資を供給し続けてる。ここで抑えないと、次は自分たちの国だから。だけど、それだけじゃなくてね。どうして人類は、わざわざ中継基地を造ってまで、魔物の領土に攻め込もうとしたんだと思う?」


「……」


 言われて初めて気づいた。今は被害を抑え込むのが目的だとしても、先に攻め込んだのは人類側なのだ。確かに、どうして……


「〈無窮の戦場〉の先にはね……魔王の居城があるの」


「魔王……」


 先ほども話に出てきた名称。私にとっては勇者や魔物と同じく、ファンタジーの産物だ。


「魔王――魔物たちの王は、そこに存在するだけで魔物を増殖・活発化させるって言われてる。放っておけば増え続ける魔物に、いずれ世界中が呑み込まれてしまうの」


「……それをなんとかするのが、勇者?」


「正確に言えば、勇者が持つ神剣ね。神から授かったっていうこの剣だけが、唯一、魔王の命に届くもので、それを握れるのは選ばれた勇者だけなの。魔王がいなくなれば、魔物の増殖も止まる」


 なるほど、と思ってから、即座に疑問が浮かぶ。


「でも、その魔王は、もう討伐されたんですよ、ね? さっき、討伐記念の市が開かれてるって……」


「それが厄介なところでね。魔王の死は一時的なものでしかなくて、また何度でも蘇ってきてしまうの。おおよそ百年ぐらいでね」


「それは……本当に、厄介ですね」


「でしょ? それに現状、魔王の討伐は勇者一行に任せきりになってしまってる。色んな国のお偉いさんたちがそれをよしとしなかったらしくて、少しでも勇者を支援しようと働きかけてるって噂。その一環が……」


「……『戦場』に送り込まれる、戦力?」


 私の言葉に、マリナさんが笑みを浮かべる。


「できるなら、『戦場』を制圧して大量の兵を送り込んで、勇者が魔王の城へ攻め込む助けになりたい、っていうのが、この戦争の始まりだったって言われてるわ。まぁ、その目論見はとっくに崩れてるし、終わる気配も見えないわけだけど、それでも『戦場』で相手の目を引き付けておけば、勇者は陰から潜入しやすくなる。それに魔王が討伐されても、今いる魔物がすぐに消えてなくなるわけじゃないからね。さっきも言ったように、ここでずっと抑え込んでおかなきゃいけない」


「だから……『終わらない戦場』」


「そういうこと。魔物側も、あの場所を奪われたら城に攻め込まれるって分かってるからか戦力を集中させてくるし、抵抗も激しいらしいからね。本当にこの先ずっと終わらないんじゃないかしら」


「じゃあ、旅人が東門を使わないのは……」


「門を潜るのは『戦場』に向かう人たちだけだからね。あぁ、たまに『戦場』を迂回してくる魔物なんかもいるから、それに対処する守備隊も潜るけど」


「……」


 旅人が東門を使わないこと。東門の先に人類の街がないこと。色々と納得した。

 マリナさんが街の案内の最後に、そして詳細に教えてくれた理由にも得心がいく。この世界を説明するのにちょうどよい場所だったし、危険だから近づかないようにと注意を促す意味もあったのだろう。


 と、納得と同時にわずかな引っかかりも覚える。今の説明では、あるものが抜け落ちているように思えたのだ。


「あの、『戦場』や魔王については分かったんですが……悪魔というのは、どういう立ち位置なんですか? 崇拝する人がいるってことは、悪魔も存在するんですよね?」


「あー、それねー……えーとね」


 マリナさんがわずかに口ごもる。説明しづらいことなんだろうか。


「悪魔たちっていうのは、神々と対立する存在。神を崇める神殿にとっては、決して許せない敵になるわね。両者は大昔に激しく争い合った結果、互いが互いを滅ぼし合って、世界に触れる手を失った、って言われてるの」


「世界に触れる手……?」


「要は、肉体を失って、この世界に直接手出しできなくなった、ってことらしいわ。だから、どれだけ人が神に願っても、都合のいい奇跡は起こらない」


 肉体を持っていた神々や悪魔たち……神の奇跡がない世界……


「それが……この世界の神話?」


「ん? そうね。神話の時代の話。ミレイはこういうのに興味あるの?」


「はい。私、物語が好きなんです。ヘラクレスの十二の難行。ペルセウスのメドゥーサ退治。ファリードゥーンの蛇王討伐。ロスタムの七難道……」


「へらく……何?」


「あ、私がいた世界の物語の英雄――勇者みたいなものです。そういう、英雄譚や神話が好きで……小説も読むんですけど、やっぱりその世界の神話とかをしっかり作り込んでる作品が――」


 そうやって色々読んでいる中に異世界転生や転移ものも含まれていたので、今の状況も比較的早く理解できたのかもしれない。


「――この世界の勇者と魔王も興味深かったけど、神話も面白いですね。神々で複数形ってことは、この世界の宗教は多神教で、それと悪魔が対立してるのは、インドやイランの神話に近いのかな……でも、争い合って互いに滅んだっていうのは、あまり聞いたことが――」


「おーい、ミレイ?」


「はっ!?」


 いけない、つい自分の世界に入り込んでしまった。


「す、すみません。話の腰を折ってしまって……」


「いいのよ。ミレイが好きなもの知れてよかったわ。今度一緒に神殿の図書館に行きましょうか」


 なんだか微笑ましいものを見る目で見られている。ちょっと恥ずかしい。それを誤魔化すように、私は話を元に戻す。


「えーと、神々と悪魔が肉体を失ったって話でしたよね。じゃあ、どちらもいなくなってしまったんですか?」


「いえ、見えなくなっただけで、存在はしてるって言われてる。その根拠の一つに、神官が扱う『法術』があるの」


「法術?」


「さっき、都合のいい奇跡は起こらないって言ったけど、法術だけは例外。神に祈りと魔力を捧げることで、その奇跡のほんの一端だけは扱うことができるの。といっても、人が扱える程度の規模でしかないけどね。それでも、祈りに応えてくれるってことは、神さまがまだこの世界にいる証拠になるでしょ?」


「確かに……」


 科学が発展し、物語の中にしか神を確認できない現代日本と違って、少なくとも祈りに確実に応えてくれる何者かがこの世界には存在するわけだ。


「他にも、時折人々に声や知識を伝えてくれたり、まれに加護を授けてくれたりもする。だから、っていうのも不謹慎かもしれないけど、神々は確かにいる。だけど――悪魔には、それがない」


「……存在する証拠が?」


「ええ。神々と違って人々に恩恵を与えないの。悪魔なんだから当たり前かもしれないけどね。人が悪い考えを抱くのは悪魔が耳元で囁いてるから、なんて話もあるけど、誰もそれを確かめられない。神殿の聖典や物語で語られるだけの存在だから、今では実在を疑う人も多いの」


「じゃあ、悪魔崇拝者っていうのは……」


「そう、存在するかも分からないものを崇める怪しい集団。いえ、神殿が敵視してるものを崇めてるだけでもかなりまずいんだけどね。でも、それだけならまだよかったのよ。問題は、その集団が実際に犯罪に関わってるって噂があったこと。だから街の人も不安がってたし、騎士団も警戒してたところで……」


「……私が、実際に被害に遭ってしまった」


 私の言葉に、マリナさんが頷く。

 貧民街と騎士団詰め所での事件。どちらもその悪魔崇拝者が関わっており、それらを解決するために私は何度も死んでループする羽目になった。本当に、今こうして平穏無事にマリナさんと話せているのが信じられないような大変な体験を……


「だからね、ミレイ。あなたが二つの事件を未然に防いでくれなければ、この街はもっと大変なことになってたかもしれない。……ほんと、よく頑張ったわね」


 マリナさんがよしよしと頭を撫でてくれる。それが、気恥ずかしくも心地いい。


「おかげで悪魔崇拝者は捕まったわけだし、街のみんなもひとまず安心できるってものよね。ミレイもこれ以上やり直さなくて済むでしょ」


「……そう、ですね」


 彼女の言葉に頷きながら、けれど私は不安を拭い切れずにいた。

 元いた世界にも、現状に不満を抱き、徒党を組み、時には暴力行為や犯罪に走る人々は存在した。ミレイさんの言葉からは、悪魔崇拝者たちをそういう人たち――無軌道な若者や暴徒のように認識しているのが感じられた。けれど……


(……本当に、それだけなのかな。実際に対面したあの人たちからは、ただの暴徒とは違う不気味さがあった気がする……)


 そしてその不気味さを、マリナさんも街の人たちも実感できていない。その意識のズレが、私に漠然とした不安を抱かせ続けていた。ただの思い過ごしならいいのだけど……


「さて、案内はこれくらいにして、そろそろ帰りましょうか」


 私を撫でていた手を引っ込め、マリナさんが帰路へと身体を向ける。私は考え事をしていた頭を慌てて切り替え、「はい」と返事をしながらそれについていく。


「それにしても、なんでわたしだけ、やり直す前と後の記憶、両方持ってるのかしら。わたしにも、ミレイみたいに加護が宿ってるとか?」


「それは、分かりませんけど……そもそも、私が持つ力って、その加護っていうものなんでしょうか……?」


「多分そうだと思うわよ。普通は死んだらそれで終わりだし、過去に戻るなんていう力も聞いたことない。魔術や法術でもそんなことできないはずよ。まぁ、そんなに詳しいわけじゃないから、わたしが知らないだけかもしれないけど」


「……本当にその加護だとしたら、神さまはどうして、こんな力を私に……」


 あの時、死にたくないと願ったから……? だから、死んでもやり直せる力を? なんだか少しズレている気もするけど……


「どうしてかは分からないけど、そうね……リタやアルテアを助けるために授かった、っていうのは、どうかしら」


「それは……素敵な理由ですね」


 もしそうなら何度も死んだ甲斐もあるというものだけど……真相は、分からない。それに、本当にもう、この力を使わなくて済むのかどうかも……


「……」


 疑問と不安にモヤモヤとしたものを抱えながらも、私はマリナさんと共に店への帰路についた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る