第39話 白いノート
『お前はただのおもちゃだ。最近子供達が大きくなって、わたしの仕事を邪魔するだろう。ちょっとお前が遊んでくれないか。そのためにわたしはお前を作った。さあ、わたしとお前の間に、契約を結ぼう』
もう、ノートには彼、或いは彼女の顔も名前も思い出せない。ただ、あまりにも魔力の『格』が違う、とんでもない魔術師だったことは覚えている。
「すごい! このノートにケーキが欲しいって書いたら本当に出てきた!」
その少女は、魔術師が作った『真っ白なノート』を抱きしめて叫んだ。
「当たり前だ。さあ、それで遊んで、わたしの仕事の邪魔をしないでくれよ」
魔術師は、どこが面白いんだか、という疑問を顔面に貼り付けたまま、自室に帰っていく。
『いやいや、全然当たり前ではありませんわ!』
そして、その様子をゼラ・サラン・マッカードは見ていた。あまりにも驚いて、壁に背中をつける――否、つけたはずだったのだが、なんとこの時、壁はゼラの体を飲み込んでしまった。そこでようやく、ゼラはこれが、誰かの夢、否、黒歴史ノートの夢だと理解した。現に、ゼラがどんなに叫んでも、少女はまるでゼラには気付かない。
「今度はお人形が欲しいなー!」
少女がノートに人形の絵を描くと、そのページが一瞬煌めき、そして人形を作りだす。
「知ってる? お姫さまってとっても素敵なドレスを着ているんですって!」
そういいながら、少女はノートにドレスを纏った自分の絵を描く。すると、やはりノートはひと輝きして少女へドレスを着せる。
少女はそれに気づき、きゃっきゃと喜んで跳ねまわる。
「あなたはすごい! 本当に魔法のノートなのね! みんなの願いをすっかりかなえてしまう、素敵なノート!」
その言葉を聞いて、ノートは別に何か言葉を発するわけでもないが、ふと吹いた風にぱらぱらとめくれるその音が、随分と心地よさげにゼラは感じた。
「大きくなったらお姫様になる!」「空を飛びたい!」「お父さんが笑ってくれますように!」
日を追うごとに、ノートにはたくさんの夢、願望が書き連ねられていった。ノートはそれらを次々に現実にして見せる。
しかし、少女が成長するにあたり、その内容は徐々に変化していった。
「わたくしにふさわしい王子様を世界のどこかから引き寄せなさい。目は青く美しく、髪は流れる砂金のように、わたくしだけを愛して尽くしてくれるの」
「美しくして。世界で一番。必要だったら、相手の美しさを奪ったっていい」
「あの子がわたしより成績がいいのはずるいです。あの子の成績を下げなさい」
『……今そんな人はいないから引き寄せることはできないし、僕は貴女が世界で一番美しいと思う。あの子の成績を下げる代わりに、次の試験の内容を君に教えるから、それじゃあ駄目かい?』
ノートに文字が浮かび上がる。すると、少女は悲鳴を上げた。
「口答えするな! こんなもの、もういらない!」
少女はそう叫び、ノートを窓から投げ捨てた。泥の中を跳ね、ノートはぐっしょりと汚れてしまった。その様に、偶然遭遇した男がいた。彼は靴についた泥を気にする様子もなく、ノートに近付く。
「まったく、お嬢様はまだ使えるもんですら窓から捨てちまう。これは貴重な紙だぞ。丁度いい、トニーがうちの息子に読み書きを教えてくれるというし、使わせてみるか」
彼は魔術師に雇われた庭師であった。彼はノートを摘まみ上げて鞄にしまった。
「ことばがわかるようになりたい」
「あるじさまたちがなにをかいているかわかりたい」
「おとうが『おまえはあたまがいい』っていった。うれしかった。もっとがんばる」
「きょうは屋敷の子がつづりをまちがえてた。ぼくはなおせた。すごいって言われた。」
「ノートさん、ぼくの字、もっときれいにして。みんなが見とれるくらいに」
「もう『庭師の子』って言われたくない。べつの名前がほしい。父のことは嫌いだ」
『「言葉を知らないやつはバカだ。読む力がないやつは、動物と同じだ』
『」
「屋敷の連中が、賢い僕に傅いて、ぼくの話に黙ってうなずくようにしてほしい』
『」
「ぼくに逆らうやつの口をふさげ。文字が書けないやつは、もう字を読めなくなればいい!』」
『……』
ゼラは目の前で見せつけられるノートの記憶に黙り込んだ。
「わたしもかっこいい剣をつくりたい! 女の子でもできるって言われたい!」
「もっと強い剣を百本だして。ついでに、わたしがもう、父を越えた鍛冶師になったと皆に言わせろ」
「ぼくの芸で、お客さんがいっぱい笑ってくれますように!」
「笑ってないやつはバカだ。おれの芸がわからないやつが間違ってるんだ! 全員を笑顔にしろ、金を巻き上げるんだ!」
「ぼくの作ったおかしを、王さまにも食べてもらいたいなあ」
「おれの菓子を食べたやつは、二度と他の味を求められなくなればいい」
ゼラは理解した。このノートは、今までずっと、様々な持ち主の間を転々としてきたのだ。そして、その度に無数の願いを叶え、見てきたのだ。
『ぼくは願いを叶えるたび、願った本人が、最初に何を望んでいたのかを忘れていくことに気づいたよ。でも、ぼくの中にはずっと、誰かの〈最初の気持ち〉ばかりが、残っていったんだ』
お姉ちゃんみたいに歌が上手になりたい大切な人を守れる剣士になりたいいちばんになりたいともだちとけんかしちゃったお母さんの病気がなおりますようにあの本の続きが読みたい
『忘れられたらどんなによかったか』
「この紙束は、恐ろしい魔力を持った邪悪な呪物だ! われわれマッカード家の封印魔術の粋を集め、宝物庫に永久に封じるものとする!」
対して、ノートは特に抵抗する様子もなく、そもそもそんな力もなく、あっさりと封印を受け入れた。ただ、最初は真っ白なノートが、その封印される段になっては、真黒に汚れていた。小さな箱に納められ、ノートは光の一切入らぬ、闇の中にしまわれた。
ノートの記憶もまた、黒に染まり、ゼラもまた周囲が全く見えなくなった。
『この前! 素敵な演劇を観ましたの! 『影騎士』と言いますわ!』
『これは!』
ゼラは見た。幼い日の自分が、表紙の真黒なノートを開き、その中に、文字を書き連ね始めるのを。
「でも、この演劇では、二人がちょっとしたすれ違いでわかりあえず、悲しい終わりをしますわ。わたくしは、そんなものは許せません! たくさんの人が幸せになるように、そんな物語を書きますわ!」
「最近、経済やお金のことを勉強しましたの。なんだか、みんなが幸せになるって難しいですわね」
「なんだかやっぱり、このセラって子、ずっと屋敷の中にいてかわいそうですわ。せめて、彼女だけでも自由に暮らせるようになれば、それでいい気がしますわ」
「お父様もお母様も、最近は勉強のことばっかり! つまらないですわ! わたくしのためだと言っていますが、全然わかっていませんわ! 嘘つき! ああ、本当に、わたくしのために寄り添ってくれる『騎士』がいたらいいのに!」
「遠方でより淑女としての振る舞いを勉強することになりましたわ。このノートを書いて遊んでいる暇もないでしょうし、これはしばらくしまっておきますわ。それに、最近は数字の計算がちょっと楽しくなってきましたの」
ゼラは思い出す。これ以降、このノートを書くことはしばらくなくなる。帰ってきて、このノートを隠した場所をすっかり忘れてしまったからである。
そして、時を経て、十六歳のゼラが、このノートを再び開く。
最初は平静を保ってページをめくっていた彼女だったが、どんどん顔を赤くし、唇を歪めていく。
「いやいや無理ですわ! こんなもの、わたくしが書いたなんて、恥ずかしくて全身が発火してしまいますわ!」
ゼラ・サラン・マッカードはそう叫び、黒歴史ノートを封印する決意をした。
「わかりましたわ、あなたの気持ち」
ゼラがぼそりとつぶやくと、ノートを封印する覚悟を決めたゼラの動きが止まった。
『僕は、今までたくさんの願いを書き込まれ、それを叶えてきた。でも、いつかみんな、最初の気持ちを忘れて、お金や他人を傷つけることばかり書く。僕にはそれがもう、耐えきれなかった……いや、もうどうでもよくなってしまったんだ』
ゼラの前に、黒歴史ノートが開いていた。
『君に対してもそうだ。どうだっていい。君は、僕にとって、またいつもの子供と同じだと、そう思ったんだ』
「違いましたの……?」
ゼラは首を傾げた。ノートが何を言いたいのかわからない。
すると、固まっていた十六歳のゼラが、また動き出した。
「ああもう、こんなもの、世に残しておけませんわ! そうだ、このノートをわたくしがまた見つけて悶絶しないように、注意を書きつけておきますわ!」
そういって、ゼラはノートにさらさらと文言を書き足した。
『拝啓、未来のわたくし、ゼラ・サラン・マッカードへ』
『もしもまた、貴女がこのノートを見つけてしまったのならば、絶対に読み返してはいけませんわああ~~!』
『貴女の書いた過ちが、怒涛の恥辱となって貴女の心身を蝕みましてよ!』
「……これは、確かにわたくしが書いた注意ですわ」
『ねえ、君は、自分の願いにこんなこと書いて、何も思わなかったの?』
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