第28話 ががー、ぴー

「ゼラ・サラン・マッカードが、黒歴史ノートの著者だったんだあああああ!!」


 民衆の一人がついにこらえきれずにそう叫び、やがて彼らは口々に、おいおいよくもまあ、という顔で感想をこぼし始めた。


「『貴様の影はここには浅すぎる』とか言ってたの、あれもゼラ様が!?」

「『魂を切り刻む月闇の刃』って書いたのも!?」

「『我の前に、お前の奈落はまだまだ眩い』って言葉の意味いまだにわからないんだけど、ゼラ様ならわかるってことか?」


「うわあああああああああああ!!」


 ゼラはその場にへたり込んだ。そして、耳まで真っ赤に染まったゼラは顔を押えて小さく小さく蹲った。


「どうした。何を恥じることがある?」


 そんな彼女へ、暗黒騎士〈ダークオーバードラゴンナイト〉、否、黒歴史ノートが言葉を降らす。


「……はじることがありすぎてあたまがおかしくなりそうですあ……お願いですから、やめてください……」


 その言葉を聞き、更に彼女の様態を見て、黒歴史ノートはそれを次のように形容した。


「『──我が影よ、地に伏して咲け』」


「やめてえええええええええ!! わたくしの名誉が! 商会の信用があああああ!!」


 ところが今度は、その悲鳴に周囲が興奮して沸いた。


「これだよ! この感じ! 他人の痛さに背筋がぞわっとするこのスリル!」

「ありがとうゼラ様!! あんたがいたから、おれ達は今日も元気だ!!」

「これが……生きる恥と書いて『ゼラ』……!」


 彼らの言葉に、もうゼラは面を上げることができなかった。


「……もうこのまま、消えてしまいたいですわ……」


 自然と涙がこぼれだす。もう耐えきれなかった。周囲の人々の嘲笑が波のようにうねり、この砦跡の市場を大いに揺らす。


「どうした〈セラ〉よ。我とともにこの闇夜を駆けようではないか」


「むりですあ……ありえませんあ……」


 そう呟きながら、どうしてこんなことになってしまったのかとゼラはぼんやりと考えた。そもそも、どうしてノートが言葉を発し、形をもってこうして目の前に暗黒騎士なる姿で立っているのか。それどころか、どうしてこうもこんな恥ずかしいセリフを堂々と人前で言えるのか。本来であれば顔面から炎を噴き出し全身が溶岩となって噴き出して然るべきだとゼラは思う。なにせ、今自分がそうだからである。


「どうだ、いいセリフばかりだろう。特に三十二ページ目のセラに語り掛けるこのシーンなどは白眉だ」


「これは知らない語録だ! こんなことまで書いてあったのか、黒歴史ノートには」


「なんでひけらかしているんですの! 本当に恥という概念がありませんのね!」


 妙な暗黒騎士の言葉につられてこっそりと顔を上げたゼラが見たのは、自分自身を広げてそのページを民衆へ見せる暗黒騎士、もとい黒歴史ノートの姿だった。ある種、すっかり仲良くなっているともとれる。


 暗黒騎士〈ダークオーバードラゴンナイト〉もとい黒歴史ノート氏は、大勢の民衆に囲まれながら、自分自身のページを捲り捲り、その中身を解説しているのだ。


「コピーをくれないか! 壁に貼れば毎日笑って過ごせそうだ!」


「いいだろう。我は魔術の塊故、それくらい造作もない」


 ががー、ぴー、という奇妙な音ともに、一瞬眩い光が市場を包む。そして、ぱらぱらとふわふわと、まるで雪のように無数の紙切れが降ってきた。


『暗黒騎士〈ダークオーバードラゴンナイト〉とセラの運命の出会いPart66』


 その一枚を、いやだいやだと思いつつ拾ったゼラは、今度こそ意識が吹き飛びそうになった。当然、そんなようなこと、書いたような覚えがあるのだ。


「もう無理ですわ……こんな恥辱、耐えきれませんわ……わたくしこそ、破廉恥な女でしてよ……」


 享年、十九歳。ゼラ・サラン・マッカードは、砦跡の市場のど真ん中で、ノートに書いた内容を思い出して涙をさめざめと流して倒れ伏す。


「おい、起きろよ金持ち」


 ところが、夢のない冷たい言葉で目が覚めた。享年十九歳はこうしてギリギリのところで回避された。


「コクヨウ?」


 彼女が見上げる先に、見知った執事の男の顔がある。


「今のうちです。とりあえず逃げます」


 彼女の言葉には答えず、コクヨウはさっと彼女を抱えてさっと走り出した。当然、空から舞い降りる黒歴史ノートのページに気を取られていたからと言って、その動きに気づかぬ民衆ではない。


「おい! 歩く面白女が逃げ出したぞ!」


 骨董の山を越え、美術品の合間を縫って市場を駆ける彼と彼女の背を、民衆は慌てて追従した。


「何故だ。なぜ、我ではなくその男と逃げる」


 暗黒騎士は人々の駆ける足音の中で一言を漏らした。

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